今思えば、なぜこれ程鮮明にあの日の事を覚えているのかが不思議でならない。
今の私からすれば、遠い遠い過去の思い出…それだけに懐かしくも無性に戻りたくもなる、あの幼少期の空の下…
…私は小さな町の小学校の校門にいた。
「京ちゃん、どうしたの?早くおいで!」
校門の傍らでマゴマゴしている私を、母は怪訝な表情で呼びとめた。
この時私は、母の呼びかけには全く気づかず、以前から脳裏に鮮明に焼きついたある情景と、今、目の前に広がる情景との矛盾の狭間で、必死に頭をめぐらしていたのです。
遡ること2年前、幼い頃の記憶と言うのは、ある種「夢の中の記憶」の様なもので、ともすると、それが現実に起きた事なのかどうかも確信が持てなくなる様なものもあります。似た思い出として残っているものです。
小学校一年生の時、二年生のガキ大将と喧嘩して、友達に運ばれて机の上に寝かされた記憶、宿題を忘れたのか、タオルを(この当時は手拭いというもの)忘れたのか、その理由は覚えていないですが、そんな些細な事で教室の後ろに立たされたんです......恥ずかしかったなあ。
そして何より鮮明に記憶にあるのが、この後私が体験するファンタスティックで懐かしい物語の始まりにつながる、一枚の絵だったのですね。
小学生になって、最初の授業だったのだろうと思います、皆さんにも覚えがあるでしょう...別に勉強がしたくてと言う訳でもないのに、新しい書物である教科書を、早く開け見たいな、と言うそんな体験を...。
私は先生が話をしているのをよそに、国語の本を開いて見ると、そこに衝撃的な一枚の絵が、私の目に飛び込んで来たのです。
その絵は、校門を中心に満開に広がる桜の木は、まるで新入生を歓迎するかのように、校庭いっぱいに広がり、その中をピッカピカのランドセルを背負った子供達が、お母さんの手を引かれ、楽しそうに、している絵でした。
一般的には「それがどうしたの?」っ言われそうですが、私の実家は「みなかみ町」と言って、群馬でも北のほうにで、いわゆる山奥と言うほどでもないのですが、入学式の頃は桜の蕾さえ出ていない状なのです。
ですから、桜の花が咲き始めるのは、新学期が始まって2〜3週間後の事なので私が最初の授業で、開いた本の絵にあるような情景は、幼い頭の私にとってありえない事なのです。
だから「こんな事ってあるのかな...?いいなあ!」と言う想いが、よっぽど強かったんでしょうね。