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23歳でゲイであると自認し、上京3年、渡米5年、現地で同性婚に至る話。―セクシャリティの葛藤が結果的にキャリアも後押し―

Image by Olia Gozha

ずっと前から分かっていた…そんな気がしてくる。

「普通、どのくらいの年齢で自分のセクシャリティを自覚するのだろう?」という疑問はストレート(異性愛)の多く人にとってはあまり意識をしたことがないものでしょう。そもそもセクシャリティというものが自覚するものであるという考えに新しさを感じる人も多いかもしれない。「その時点で“普通”でない」と感じる人には、変な質問にさえ感じるかもしれない。

私はゲイ(同性愛)の男性です。ずっと自分のセクシャリティについて何も考えていなかった、もしくは考えることを心の何処かで拒んだままで、自分をストレートだと思い込んで――ある時点からはきっと自分で自分をそう思い込ませて、23歳で大学を卒業するまでを過ごしました。その日々も最後の方は、心の何処かではもう分かっていて、それを確認するチャンスを伺っていたような、誰かに後押しされたかったような、そんなところまでは来ていたような気がします。

大学卒業後の夏、趣味関係の知り合って間もない同年代の男性と酒の場でやたらと仲が良くなり、気づくと手を繋いで夜道を帰っていました。結局その後家呑みの末、二人共酔いつぶれてそのまま雑魚寝になりました。夜もふけてフト気がつくと、彼が後ろから密着するように添い寝をしてきていることに気が付きました。その時、”後押し”を求めていた私はそれに応えました。その夜を以って、やはり自分はゲイだったのだと確認をしました。覚悟、のようなものを決めた…少なくとも、そういうつもりにはなっていました。

自分がセクシャリティを自認したのはこの日が最初だと自分では考えていますが、その瞬間にセクシャリティが変化したわけではないのは当然分かっていました。「それでは一体いつから?」と考えるようになりました。小さいときから、所謂「好きな女の子」というのはいましたし、お付き合いするようになった事も何度かありました。そういった異性と恋をしていた記憶というものがありました。しかし、自分のセクシャリティにようやく向き合うようになった後からその記憶を考察すると、それは人として友人として尊敬しているような、そういう感情で、他のみんながいう恋というものとは違うものだったのだろうなぁという思いに至りました。

そういった記憶の裏で更に深く思い返せば「ああ、あの時はこの人に想いを寄せていいたんだなぁ」と思う同性の存在に気が付きます。そうして記憶を辿るうちに、本当はもっとずっと前から自分でも分かっていたような、そんな気がしてきます。


東京へ出たいという気持ち

高校のときに漠然と作曲家を志すことを決め、関西の大学で音楽を専攻しましたが、結局体育会の部活動に圧倒的情熱を注ぎ、普通より少し時間をかけて卒業しました。職業音楽家になろうとほんの一瞬就職活動の真似事のようなことをしましたが、作品選考を経て面談をするようなことまではしたものの、採用には至らず。そのまま学生という肩書も失ってしまいました。小遣い稼ぎでやっていたプログラミングの仕事や、ごく稀にあった音楽を提供する仕事をフリーランスという肩書で続けていく事にはしたものの、実際にはフラフラしているだけで、そのままではいけないという事も分かっていました。

高校のときに漠然と作曲家を志すことを決め、関西の大学で音楽を専攻しましたが、結局体育会の部活動に圧倒的情熱を注ぎ、普通より少し時間をかけて卒業しました。職業音楽家になろうとほんの一瞬就職活動の真似事のようなことをしましたが、作品選考を経て面談をするようなことまではしたものの、採用には至らず。そのまま学生という肩書も失ってしまいました。小遣い稼ぎでやっていたプログラミングの仕事や、ごく稀にあった音楽を提供する仕事をフリーランスという肩書で続けていく事にはしたものの、実際にはフラフラしているだけで、そのままではいけないという事も分かっていました。

先に書いた夏の“後押し”は、そんな風にフラフラしているときに起きました。日本では多くのゲイの人達がそれを隠して生活をしています。私も当時そのように二重生活を送り始めました。インターネットのお陰で、所謂「遅咲き」とされる自分でも、他のゲイの人達がどうやって生活しているのかを調べたり何となく想像したりすることは簡単でした。実際にはインターネットの情報だけで分かった気になっていただけなんですが、知っていくうちに東京への興味というものが育っていきました。大都会の方が沢山の仲間がいて、イベントなども桁違いに沢山あるように思えたからです。

その頃はソーシャルネットワークが盛んになり始めた頃でした。実名を明かしていないゲイ用のアカウントというものを別に持っている人が多くいました。そこでは、普段セクシャリティを隠している相手とは話さないような、匿名性を活かした活発な交流が行われていました。私も匿名でゲイであることを明かすためのアカウントを作成して、色々な人と交流するようになりました。そうしてあっという間に育っていった興味は行動へ移り、その年12月には運良くプログラミングエンジニアとして渋谷の小さな旬の会社で職を得て、上京しました。


東京で二重生活

「このままフラフラしていてもいけない」という気持ちが重くのしかかる一方で育っていった東京への興味が、就職・上京へと行動する後押しになったのは間違いありません。そうして「音楽もきっと東京のほうがチャンスがあるだろう」という夢への言い訳のようなものも携えて、東京での二重生活が始まりました。

念願の、というほど別に願っていたわけではありませんが、初めての一人暮らしというものを「気楽でいいものだ」と楽しんでいました。特に自分のセクシャリティを自認したので尚更です。誰か、ゲイであることを秘密にしている人と住んでいるのと違って、家の中では二重生活をする必要がありませんし、本当の自分でいられるという風に感じていたのかもしれません。実家で窮屈な思いをしていたというわけではありませんが、何かが違ったのでしょう。

二重生活という言葉を繰り返し使っていますが、そう言われてもあまりピンと来ない人もいるかもしれません。二重生活をしているという事がどういう事かというと、例えば友人と恋愛の話になったとき、彼氏の話を彼女の話として言い換えて話したり、いつもは誘いを断る理由を具体的に言う相手にも、二丁目にゲイの友達と飲みに行く約束のことは言えずに嘘をついたり…。生活全体に分断されたレイヤーが存在するような感じです。ゲイであることがバレることに警戒しながら生活をしています。どんなゲイの人でもそうであるというような言い方はしませんが、多くの人が「バレればそれまでの生活が壊れてしまう」というような気持ちがあるのだと思います。少なくとも何らかの変化が間違いないですから、そういう気持ちが芽生えるのは自然な事だと思いますし、私もそうだったと思います。

ただ、そう警戒しながら生活している、と言っても日本ではバレて命の危険があるという程ではないので、私にとってはその二重生活というのがそんなに苦痛というわけではありませんでした。ゲイであることを明かしていない友達たちとの付き合いも楽しんでいましたし、東京へでてきてできたゲイの友達との付き合いも楽しんでいました。


メンターとの出会い―最初の職、次の職

会社で働くということをするのが初めてだった私は日々色々とドキドキしながらも、忙しく過ぎていく毎日をわりと楽しく過ごしていました。私がゲイである事を知らない友達と遊んだり、お互いゲイであることを知っている友達と遊んだりする傍らで、デートに行ってみたり、そういう事もしていました。そのうち同性の恋人ができました。

最初の渋谷での職は1年ともたずに辞めてしまいました。音楽の方に専念するという、夢を言い訳にして働くことから逃げていると思われても仕方のないスピード離職でした。ただ、夢は口にするもので、前職の仕事の関係で知り合った外部の映像関係のクリエイターの方のお誘いで、作曲家/エンジニアとうポジションで働かせて貰えるという会社を紹介頂きました。職場は赤坂見附でした。実はそこで私も、役員をされたその方も非常に苦労をする羽目になったのですが、同じ場所で苦労をともにするなかで、その方の存在が尊敬するメンターとなっていきました。

色々と普通ではない苦労をしたその会社は散々周辺に迷惑をかけながら空中分解しました。その会社にいる2年のあいだ、その繋がりから映画音楽の仕事をするを機会を数回頂き貴重な経験をさせていただきましたが東京での生活が丸3年になろうかという時期に「さぁこれからどうする?」とまた投げ出されてしまいました。その時、それまでなんとなく考えていた海外留学の可能性を真剣に考え始めました。


地元へ戻り留学準備

具体的には何も考えていなかったけど、貯金もしていたし海外ドラマを観ながら英語の勉強もしていました。この漠然と留学という目標は、自分が音楽家としてまだまだトレーニングが足りないという心の底での認識がモチベーションになっていました。それは、その時感じていた「それからのキャリアに対する閉鎖感」と言い換えることもできるかもしれません。時を同じくして別の閉鎖感というもの感じていました。東京で二重生活を続ける間に蓄積していった、ゲイとして行きていく上での日本の閉鎖感です。

渡米―Onenly-gayに


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