家族のヘルプがない国際結婚カップルは大変だ。
いくら親との関係が悪いという友人でも、多少家賃を払って実家に居候していたが、我が家の場合は事情が違う。
私達は小さなワンルームマンションに、最低限のものを購入して暮らしていた。
ある時、それまで全く連絡をよこさなかった母が、わざわざスーツケースを持ってやって来た。そして実家にあった、ありとあらゆる私の所有物を置いて行った。事前の確認はもちろん、「生活が落ち着いてから」という優しさの欠片もない。
まるで「親子関係は子供が結婚した時点で終了」と思っているようだった。
主人は早い段階から、私が両親からきちんと愛されていない事を悟っており、なるべく一人で両親と会わないように、と理解を示してくれていた。
日本に到着して私はすぐに事務職に就き、日本語をほとんど話せなかった主人は悪戦苦闘の結果、6か月目に日本の会社に正社員として登用された。
東京の生活自体は、パリの生活に比べ100倍楽しかった。店やレストランはいつでも開いている。夜一人で出歩いてもちっとも危なくない。街行く人に、突然ツバを吐きかけられることもない。学生時代からの友人にはいつでも会える。
しかし仕事のほうは、なかなか適応が難しかった。私はそれまで日本の会社で殆ど仕事をしたことがなかったのだ。ロンドンでは好印象だった私の履歴書も、日本ではただの怪しい人物にしか見えない。
既婚アラサー女子
海外帰り
国や仕事を転々としている
配偶者はフランス人
特技は英語のみ
面接官「お子さんは?」
まさき「今のところ予定はありません。」
面接官「子供って、いいものですよ~」
こんなやりとりで落とされたこともあった。
不況の中、アラサーの私には選択肢がなかった。この時ばかりは、早い時期に専門職を選ばなかった自分を恨んだ。
さらに同僚達の事情聴取は辛かった。そもそも面接で配偶者の国籍を聞くこと自体に驚いたが(フランスなら大問題だ)、配属される先の同僚達にも周知の事実となっているのには腹が立った。
そして、未だに「コピー取り」や「お茶を入れる」という仕事が存在することに驚いた。私が第2新卒として働いた外資の会社では、女性にこれらの仕事を頼むことは「セクハラ」の範疇で、厳しく禁止されていたからだ。
「コピー取り」や「お茶を入れる」仕事が悪いのではない。「英語を使った事務職」として採用しておきながら、蓋を開けてみたらメインがそちらの仕事になっていることが許容し難かったのだ。
しかし、これが厳しい現実。
「私はもう、アラサーなのだから仕方ない」
「これが私の選んだ道なのだ」
「今まで私は何をやってきたんだろう?」
色んな思いが交錯して、時に会社のトイレで悔し泣きをした。
そしてそんな私にも、Xデーは容赦なくやって来る。