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17/2/8

会社員が中国にけん玉を持って行ったら、東京2020を目指すことになった話。

Image by Olia Gozha

訪れていただき、ありがとうございます。

これを読んでくださった方々が、読み終わった後に押し入れから古びた木のおもちゃを引っ張り出し、遊んでくれることを心より祈っております。

(写真/2年前のけん玉コレクション)


3年前、中国の砂漠で。

ボランティア活動で中国の砂漠に行った。

現地の学生と日本の文化交流をしようみたいなプログラムがあって、そのネタとして「けん玉」を持ってった。

これがとても大きなきっかけとなる。


同期入社で同じアパートに住む同僚にけん玉を教えてもらった経験もあり、異国の地でけん玉の先生をした。

現地の学生たちは日本の木のおもちゃを喜んでくれたし、プレゼントしたからまだ遊んでくれているかもしれない。


問題は、居酒屋での出来事だった。

ボランティアは17時には終わり、食事やお風呂を終えても20時には自由時間になる。

そこから地元民の集う飲み屋を飲み歩く。

居酒屋はWi-Fiが充実している、というのは先発隊から聞いていた。

スマホに翻訳アプリをしっかりインストールし、あわよくば現地でワンチャンみたいな妄想もないことはなかった。


でも、全くと言ってこのスマホとアプリは役に立たなかった。

むしろ逆効果で「異国人を忌み嫌う目」を向けられ、境目を痛感させられるだけだった。

それでも数打ちゃ当たる精神で絡みまくる。

翻訳アプリの精度も今より悪かったのもあってか、「現地の人と仲良くなろう作戦」は難航していた。


結局、作戦を練りながら仲間内で飲んでいた。

その最中、無意識にけん玉をしていたんだと思う。

周囲の目線を感じた。


めっちゃ見てる。


翻訳アプリを表示したスマホをかざす自分とはみんな目を合わせないのに

100年ぐらい前に生まれた木のおもちゃをいい年して振りかざす自分とはみんな目が合った。


そこからは「秒」だった。


言葉は通じないけど、けん玉を渡すと嬉しそうな顔をする。

好奇心と興奮と少しの緊張が入り混じった表情。


まず、大皿という一番簡単な技を教える。

ひざを使うのがコツだと、ジェスチャーで伝え、何回か繰り返す。

すると、必ず成功する。

その瞬間、ハイタッチ。

もうそこにある笑顔と雰囲気は間違いなく友達のそれだった。


自分「こいつ、すげぇな。」


ただただこのおもちゃに感動していた。

反対の手には最新のスマホを握っていた。


それから帰国するまで毎晩、現地の人たちとひたすらけん玉で遊んでいた。

ちょっとした熱狂を居酒屋で生み出しているのは間違いなくこの木の塊だった。

おかげでみんなと仲良くなれたし、タクシーの運ちゃんなんてどこへでもタダで連れまわしてくれた。

女の子のお店にだって。え


そうしておれは趣味欄に堂々とこう書くようになった。

会社員 27歳 男性 独身 趣味:けん玉



けん玉の普及活動に没頭する

けん玉の持つ「コミュニケーションさせる力」に魅了された。

色んな所にけん玉を持ち歩いては、いろんな人に遊んでもらった。

言葉が通じなくてあれだけの熱狂を生むのだから、言葉の通じる日本人はなおさらだった。

調子に乗ってけん玉を買わせまくっていた。


リアルだけでは飽き足らないと思っていた時、なんかの雑誌で「来年流行りそうなもの」の特集を目にした。

けん玉が20位以内のどっかにランクイン。(アメリカから逆輸入の形で)

北陸三県がTOP3にランクイン。(北陸新幹線開通目前だったので)

私はその時、転勤で北陸にいた。


自分「今が好機!!」


すぐに同僚(わたしにけん玉を教えてくれた)を北陸に招き、KENDAMA HOKURIKU Tourという名の撮影旅行を敢行した。

11月の3連休。

北陸にしては珍しく全日晴れ、当時の自分的には大満足の映像作品が仕上がった。

同僚の結婚式の余興映像を20本以上作ってきた技術が活きた瞬間である。

(写真:富山の立山連峰をバックに茶番の一枚)


問題はどこに公開するか。

当初はFacebookを想定していたけど、これは全世界に届けたいと欲が出た。

(そのためにフリー音源で作成してたのだけども)


そして、勢いでYouTubeにチャンネルを開設。

チャンネル名が必要なことに気づき、あわてて同僚とSkypeをしながら「damassy(だまっしー)」というチーム名を考えた。

けん玉と魂をかけて、この名前に決めた。


ここに大人になれないオトナタチのけん玉チームが誕生した。

会社員 28歳 男性 独身 趣味:けん玉(所属/damassy)



とあるアーティストのPVコンテストで優勝

ひとつの作品を世に公開でき、正直満足していた。

(再生数が伸びるわけはもちろんない)


けん玉発信の手段として開設しただけだったのでチャンネルは放置気味だった。

そこに訪れたYouTuber向けのとあるアーティストの新曲PVコンテスト。


即喰いついた。


同僚「けん玉と風景美を合わせたら絶対PVっぽい!!」

自分「アーティストのファンの間でけん玉がめっちゃ流行るかも!!」


またも同僚を北陸に呼び寄せた。

(しかも、この時メンバーが一人増えた)


そして、またしても北陸は奇跡の晴天。

めちゃくちゃイケてる日の出とけん玉を映像に収めることに成功。

けん玉を普及させたいという(不純な?)動機ながら、優勝してしまった。

(しかも、その後のコンサートツアーに招待してもらった)

(写真/石川県の先端から見えたご来光&けん玉)


このおもちゃを流行らせようという想いがどんどん大きくなっていく。

全ての機会がけん玉を普及させるチャンスに見えた。え

けん玉関係ない同期旅行に全員けん玉を買わせて参加させたことすらあった。え


ここら辺から社内で「けん玉のひと」と言われるようになった。

会社員兼YouTuberもどき 28歳 男性 独身 趣味:けん玉(映像コンテスト優勝経験あり)



東京への転勤。そしてワールドカップへ。

春に東京に異動で戻ってきた。

文化の発信地、TOKYO。


自分「けん玉を流行らす風がおれたちに吹いている」


とか、勝手に思ってた。

東京二十三区をけん玉して回ろう、とか

けん玉のやり方動画を撮ろう、とか

普及活動は加速の一途。


(写真/やり方動画を撮った後の集合写真)


そして、渋谷で開催されたけん玉練習会に参加したとき、某TV局のけん玉イベントの手伝いに来ないか、と声をかけてもらった。

もちろん、二つ返事。

ブラウザの向こう側にいたはずの日本けん玉界のレジェンド達と同じ空間にいることに興奮しつつ、イベントの手伝いはがむしゃらにやった。


後片付けも終わって打ち上げに遅れて合流すると、レジェンド達に熱烈歓迎された。

おれたちの働きっぷりに「あいつらは誰だ!?」となっていたらしい。

単純にうれしかったし、なんか認められた気がした。(無論、けん玉の実力ではない)


damassyと名乗るも「ボロ雑巾ズ」という名で定着してしまったが、ここでまたしても声をかけてもらうことに。


レジェンド「来月開催されるワールドカップも手伝ってくれない?」


ここも、二つ返事で決めた。

開催地は広島県廿日市市。

仕事で1日休みを取って、みんなで乗り込んだ。

一応途中で、雑巾を買った。


3日3晩、海外の若者と寝食を共にするのはとても刺激的だった。

多くの海外勢の自由人っぷりに振り回されっぱなし。

こぼれたレッドブルをこんだけ拭きまくった2日間はないだろうってぐらい拭った。雑巾で。


それでも、10か国以上から何百人と集まったけん玉ワールドカップはとんでもない熱狂を生み、決勝の舞台横で見た「努力の結晶の表出」と、それに沸き立つ大勢の振り上げる拳に涙が込み上げた。

どっと疲れたけど「けん玉」の持つ凄さや可能性をまたしても痛感させられた。


中でも印象的だったひとりの青年との出会い。

名門スタンフォード大学に在学しながら1日8時間もけん玉の練習をしていて、けん玉メーカーのプロでスポンサーもついてる。

そんな彼が将来のことをどう考えているのか気になったので聞いてみた。


青年「人生、楽しければいいんだ」


反則的な笑顔でそういう彼の言葉に完全に心を打ちぬかれた。

そして、今はまだメジャーもマイナーもないただのおもちゃかもしれないけど、なんか変わっていく気がした。

それを変える後押しをしたいと思った。


ひとり一本けん玉を持つ世の中に。


目標ができた。

会社員兼YouTuber兼イベント運営手伝い 28歳 男性 独身 趣味:けん玉(重度のこじらせ)



ただの会社員、プレスリリースされる。

ワールドカップ開催前にあるオーディションに申し込んでいた。

レコード会社の洋楽レーベルがアーティスト取材やイベントリポートをする公認のYouTuberを募集していたのだ。


もちろん、秒でエントリー。


書類と映像審査を通過し、ワールドカップ終了後に面接の案内が来た。

面接時にいろいろと問答があり、終盤に模擬インタビューがあった。

普通なら楽曲のこととかを聞くのだろうけど、とっさに出たのはけん玉を体験させるお得意のやつだった。

それが功を奏し(?)、合格を果たした。


その後、大規模音楽フェスで何人ものアーティストに取材をし、プレスリリースされ、10以上の媒体に取り上げてもらった。

日本の伝統文化で遊んでもらいつつ、アーティストの素顔をさらけ出させるこのおもちゃにつくづく感心した。


もはや何を目指してるのかわからない、と後ろ指をさされながらもけん玉普及活動に勤しんでいた。

会社員兼YouTuber兼イベント運営手伝い 29歳 男性 独身 趣味:けん玉(プレスリリース済み)



ニューハーフショーが区議会議員との繋がりを生んだ!?

この頃にはメンバーが6人まで増えていた。

会社員とけん玉普及活動の二足の草鞋を履いて、日夜動き回る日々。

そんなある日、メンバーの一人が変なことを言い出した。


メンバー「ひとつ賭けをしたい。今度六本木にあるショーパブに行ってくる。そこのオーナーと打ち合わせするために。もしかしたら時間と金の無駄になるかもだけど、下手するとけん玉に繋がるかもしれない!!」


LINEの文面は上のような感じで、全く意味が分からなかった。

よく聞くと、知人経由でおれらの活動に興味を持ってくれたのがそのショーパブの店長らしい。

普通にお金を払ってショーを見て、その合間に打ち合わせが行われる、と。

とりあえず、自分とそいつと紹介してくれた知人の3人で六本木の夜に飛び込んだ。

そのお店のサイトがかなりの雰囲気を醸していてビビっていたのを今も覚えている。


自分の知らない世界がそこにあった。

ニューハーフの方との交流も初めてで、けん玉の話(主に下ネタ)で異常に盛り上がった。

店長(というか座長)との打ち合わせも至極真面目なものだった。


日本文化を世界に発信したい。


という想いでプライベートでも活動されていて、即意気投合。

おれらにある議員さんを紹介したいとのことだった。


後日、紹介してもらった区議会議員さん。

街おこしのイベントをとても精力的にされていて、特に子供たちへの色んな機会の提供にすごく力をいれているのが伝わってきた。

その中で「けん玉」というキーワードをとても魅力的に感じてくれていることも。


それからイベントに何度も呼んでもらうことになる。

初めて呼んでもらったときに、子供たちの歓声と笑顔をこのおもちゃが生み出してるのを目の当たりにしてもらったから。

同時に自分たちもリアルイベントを通じたひととのふれあいから、2020年の東京オリンピックでも何かしら関わりたいと思うようになった。

クールジャパン、インバウンド、どんなキーワードも「けん玉」に通ずる気がした。

(リオオリンピックの映像でもけん玉出てたし)


この頃から、上司がどんどんやれ、と応援してくれるようになった。

会社員兼YouTuber兼自治体イベント運営 29歳 男性 独身 趣味:けん玉(主に普及活動)



紅白にけん玉登場。そしてオリンピック競技へ。

damassyも結成2年目。

自治体イベント、動画投稿、アーティスト取材、ワールドカップなどを経てあっというまに1年が過ぎようとしていた。

そんな年末。

ビッグニュースがけん玉界を襲ったのだ。


紅白にけん玉が出る。


と。

けん玉界のレジェンド達が10人も出て、アーティストを盛り上げる。

視聴率が何十パーセントもある大みそかの国民的番組にけん玉。

この燃え滾るけん玉の火に少しでも油を注ぎたい、おれらももっともっと普及活動がんばろうと思った矢先、紅白出場直後のレジェンド達と飲む機会が。

興奮冷めやらぬ彼らの熱気に自分のモチベーションも高められる。

高揚した自分はワールドカップに誘ってくれたレジェンドに打ち明けた。


自分「東京2020にどうにかして絡もうと思ってます。」


返ってきたのは予想を超えたものだった。


レジェンド「2020に絡むのは当然。けん玉をオリンピック競技にしたい。」


口が開いてしまった。

そっちか、と。


彼は新年早々に世界中のけん玉プレーヤーが見るオフィシャルサイトで高らかに宣言した。


胸が躍った。

このワクワク感。

けん玉がオリンピック競技になる。

世界中の子供たちの憧れになる。


おれらにも何かできるはず。

自分たちでないとできないこともあるはず。

なんとなくそんな気がしている。



この物語はここで終わり。


いまわたしは

会社員兼YouTuber兼自治体イベント運営 30歳 男性 独身 趣味:けん玉(主に普及活動)

だけど、これからどうなるか自分でも全くわからない。


非言語コミュニケーションツールであり

老若男女が遊べるおもちゃであり

自己表現の手段にもなりうる

子供たちの「ママ、できたよ!!」の声を聞かせてくれる。


この温もりあるおもちゃに人生賭けてもいいんじゃないか。

そう思っている。


またこのストーリーの続きを記せるよう、邁進します。

お読みいただきありがとうございました。


ENJOY KEDAMA LIFE.


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