約束の日曜日になり、昼過ぎの西武線に揺られ西武球場まで足をのばした。
プロ野球なるものを生で観戦したことは無く、最近取り始めたという富岡ちゃんのスポーツ新聞のおかげで、レフトスタンドポール際の外野席に2人で陣取った。
夏の暑い日のデイゲームだったからなのか、西武日ハム戦という微妙なカードのせいなのか、レフトスタンド外野席はひと気がまばらだった。
地べたに座る形の観戦形式で、かなりポール際に陣取ったために試合内容はよくわからなかった。
けたたましく鳴り響くトランペットはプロ野球応援の醍醐味で、試合より熱狂的なファンが陣取る一角の方を、むしろ見ていたくらいだ。
その時初めて知ったのだが、プロ野球観戦というのものは生で見るのとテレビで見るのとでは感じ方が違う物で、テレビで見る場合は投手と打者が1対1の状態を中心に映し出しているから、息詰まる投手戦でもそれなりに白熱できるのだが、生で、しかも外野席ともなると投手戦では何をしているのかよくわからない。
きわどい判定など、無いに等しい。なぜなら見えないから。
ストライクなのかボールなのかさっぱり見当もつかないし、ボールが飛んでこないのだから外野手など動きもしない。
その日はたまたま両チームの投手の出来が良かったのか、7回まで無失点のいわゆる好ゲームであったのだが、外野席的には面白くも可笑しくもない試合内容だった。
半ば飽きてきつつあった7回、突如日ハム打線が爆発する。
その年30本以上のホームランを打った日ハム最強の助っ人、ウインタースがレフトスタンドポール際にどでかいホームランを叩きこんだ。
それまではろくろく試合も観戦せずに、肩肘ついて寝そべりながら芝生の草をむしっては放り投げてを繰り返していた僕達だったけど、場内の大歓声でそれがホームラン性の当たりであることに気が付いたときには、ウインタースの放った打球は僕達の目の前を通過しようとしていた、まさにその瞬間だった。
慌てて飛び起き、目の前の鉄柵から身を乗り出し、日ハムファンでもないのにガッツポーズで大喜びをしながら、鮮やかな放物線を描くその打球を興奮して見送った。
「すっげー、ここ通っていったよお、ここだよ」
僕は自分の目の前を人差し指で何度もなぞり、同じく興奮する富岡ちゃんと抱き合った。
「やっぱ打つなぁ、ウインタースはぁ。だいぶ見逃しいたけどホームラン見れてよかったぁ」
僕達の目の前を通過したプロが放ったホームランの弾道は、まさに「突き刺さる」といった表現がぴったりなほど、僅か数秒の出来事だった。
このホームランで僕たちは一気に盛り上がったのだが、ウインタースがグランドを1周する間に2回ほどバックスクリーンに映し出されたホームランの瞬間の映像には、まばらなレフトスタンドポール際の外野席で、田舎者丸出しではしゃぐ僕たちのガッツポーズもしっかりと映し出されていたのだった。
ホームランを間近で見て、ささやかながらスクリーンデビューまで果たした僕たちは大満足で西武球場を後にした。
西武球場で試合を観戦したにもかかわらず、ウインタースと日ハムのファンになってしまったことは、もはや言うまでもない。
夕方過ぎには終わってしまったデイゲームにもそれなりの満足感を得て、僕達はまた練馬の下宿へと戻るために西武線に揺られた。
練馬の駅に着いてもまだ帰るには少し早いと感じていたので、プロ野球観戦で未だ興奮冷めやらむ僕たちは、ゲーセンで野球ゲームをしてから帰ろうという事になった。
そのゲームセンターは、テーブル型のゲーム機が6,7台あるだけの小さなもので、練馬駅から下宿に向かう途中、時代に取り残されたようにひっそりとたたずんでいた。
駅前にはもっと大きな、ゲーム機の種類も豊富な近代的なゲームセンターがあったから、わざわざここの時代遅れのゲームセンターに来る者もなく、いつ行っても客は僕達だけだった。
遊びに行った帰りとか、予備校の帰りが一緒になったときとか、銭湯に行く前とか後とか、そういったタイミングでたまに訪れていて、僕たちが好んでやっていたのは対戦型のコラムスと野球ゲーム。
2人で同時に遊べるから、対戦型のゲームを好んで選んでいた。
富岡ちゃんはゲームがあまり得意ではなく、対戦成績は僕の方が圧倒的によく、時と場合によっては大差で勝利なんてこともしばしばだった。
その日も対戦型のコラムスで一通り遊び、いつものたまたま必殺コンボが見事に決まって、僕が連戦連勝で迎えた、野球ゲームでの出来事。
プロ野球の試合を観戦し、目の前でホームランを見た余韻に浸り、コラムスの連戦連勝でだいぶ気を良くしていたことは否めない。
今さっきファンになった日ハムで2連勝し、3試合目はチームを変えようと思った。
その理由は、ゲームとはいえ、ワンサイドの展開に飽きたから。
つまり、そういうことだった。
期待の外国人バナーザードとアップショーが前評判以上の結果を出せなかった、数年遅れのゲーム機の中の設定のダイエーホークスは、低迷を極めていた。
弱小チームと言えばダイエーと言われていた時代があり、練馬の時代遅れのゲームセンターの野球ゲーム内のダイエーは、さすがの僕と言えども、富岡ちゃんの選んだジャイアンツ相手では勝ち目はないように思われた。
ゲームと言えども当時のジャイアンツの選手層は異常ともいえる充実ぶりで、5枚看板の投手陣の仕上がりに、ダイエークリーンアップは軒並凡打に打ち取られていた。
早い回からクロマティー、原、吉村のバットが火を噴き、得意の長打攻勢で得点を重ねていき、序盤から富岡ちゃん率いるジャイアンツが優勢に試合を進めていたのだ。
その時ふと、僕の頭にこんな考えがよぎった。
「このまま気持よく富岡ちゃんを勝たせてあげようか」
この時自分の中にある感情で、奢りのようなものがあったのかなかったのかまではよくわからないが、ダイエーという弱小チームのお粗末なチーム力を借りて、このゲームの展開をうまく演出しようと考えたことは確かだった。
ジャイアンツ打線が火を噴き、得点を重ねて点差が開き、猛攻に次ぐ猛攻でバッターの放った打球は右中間を真っ二つに割るタイムリー長打コース。
ぐんぐんと伸びるボールを見送り、僕がコントロールするセンターはまっすぐ最短距離でボールを追うのではなく、少し遠回りをしながら速度を緩めて打球を追いかけていった。
得点できるタイミングで大量に得点してもらおうと、そしたら富岡ちゃんも気持ちよく今日1日が終われるのではないかと、よかれと思う感情の方がはるかに強く、僕はあえて、長打を見送っていたのだ。
気づかれないように。
もちろんそれは、僕だけがこっそりしていることであり、微妙なコントローラーの操縦によってワンサイドゲームになるような演出だった。
決して「ほら、手抜いてやるから勝てよ」などと思っていたわけではない・・・と思う。
思惑通り右に左に打ちまくり、コロコロと転がるボールを尻目に走者一層のタイムリーヒットとなって初めてのビックイニングになる大チャンス。
打ったバッターが2塁を回り3塁を陥れようかとした、その時だった。
卓上のゲーム機に並んで座り、肩を寄せ合ってゲームの中の角ばったぎこちない動きで走るキャラクターを目で追っていたのだが、2塁と3塁の間で思いがけずランナーの足が止まった。
2塁と3塁の間で止まったまま動かなくなったその場面を見てもまだ「ほら、走らないと、富岡ちゃんアウトになっちゃうよ」などと急かしていたのだけれど、それは何らかのトラブルで一時止まってしまったのではなく、止まる意思をもって、富岡ちゃんが止めたものだった。
富岡ちゃんは急に「バンっ」と音がするくらいに卓上のゲーム機の表面を叩いたかと思ったら立ち上がり、怒った様子でゲーセンの外に飛び出して行ってしまった。
東京に来て友達になって数カ月ほどが経ったけど、それは初めて僕に見せる怒った姿であり、富岡ちゃんに対して「怒る」という感情という物すら想像していなかった僕にとって、それはあまりにも意外で突然の出来事だった。
今この瞬間、一体何が起こっているのかしばし理解できないほどに、富岡ちゃんの行動は僕にとって想定の範囲を超えていた。
急ぎ足で歩く後姿を慌てて追いかけ「どうしたの、富岡ちゃん、急に」と声をかけたけど、振り向きもせず、何も言ってはくれなかった。
「ちょっと待ってよ、富岡ちゃん」そう言って駆け足で近づいて、左手で肩をつかんだ。
富岡ちゃんは一瞬立ち止まり、僕の手を振りほどくと、一言こういった。
「ひどいよ」
そのまままた早歩きで行ってしまう富岡ちゃんの後ろ姿を、僕はもう追うことが出来なくて、富岡ちゃんは手に持っていた何かを地面に投げつけ、それを拾うこともせずに僕の視界から消えていなくなってしまった。
呆然と立ちすくむ僕は、富岡ちゃんの言った「ひどいよ」というセリフと、今さっきあったゲームの出来事を考えていた。
それは、何に対して「ひどい」と言っているのか、よくわからなかったからだった。
僕の知っている富岡ちゃんは、ゲームで負けたくらいで激高するような人物ではなく、今日1日何をやっても連戦連勝の僕の「ツキ」に対して「ひどい」と言っているようには思えなかった。
富岡ちゃんは、決してそんな人ではない。