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17/2/4

海鈴

Image by Olia Gozha

* 昨年、私の父親は60歳半ばでこの世を去ってしまった。2年間の闘病生活で末期ガンと懸命に闘っていた。抗がん剤投与、化学療法と有らゆることを試みたがガンには勝つことが出来なかった。家族みんなが悲しさのどん底に落ち、寂しさ・無念、そして人生の不条理を強く感じた。なぜ、まだ若い元気な自分の父親がこんな目に合うのかと。

 

*  父親は、昔広島県の福山市に仕事の都合で単身赴任していた。元気な時、豊かな自然と美しい海、そして歴史的な建造物がたくさん存在する広島県が大好きで年に数回観光に行っていた。広島県にある宮島の厳島神社も彼の大好きなお寺の一つであった。理由は、母親にプロポーズした思い出の場所だからである。今年、広島カープが優勝一躍注目を浴びた広島県を、父親も「住みやすく、自然が一杯で行くと幸せを感じる。人々も幸せそうだ、特に食文化と海は日本一だ」と言っていた。

 

*  私は、初めは父親の病気のことを書くか迷ったが、日本には何十万人のガン患者がいる。歌舞伎界の市川海老蔵さんの奥さんも、私と同じ年齢で末期のガンと闘っている。本当に多くの人々が死の恐怖に怯え苦しんでいるので、何か自分の経験が社会の役に立たないか模索していた。

 

*  昨年、私は父親の遺灰をスプーン一杯分、宮島の海に撒きに行った。私はその瞬間を今でも忘れない。その日まで頭の中は絶望感と悔しさで一杯であったが、それを海に撒いた瞬間「ハッ」とスッキリした気持ちになり小さな鈴の音色のような優しい音が頭を過ぎった。最近、インターネットで調べていたら偶然こちらのサイトを発見した。これは、本当に何かの必然だと感じ、過去の記憶を読み返し、何か残したいと思い応募に踏み切った。

* 今年、今年長男が生まれ「海鈴」と名付けた。理由は、3つある。1つ目は、亡き父親が日本一と言っていた宮島の素晴らしい海を表したかった。2つ目は、私が宮島にて聞こえた黄金の鈴の音色を連想した。3つ目は、あの優しい鈴の音色のように、息子が多くの人々に癒しを与えてあげることのできる優しく、海のようの広い心を持った大人になってもらいたく名付けた。

*  宮島の大自然のオーラとそこに住む人々の想いが、被災地広島に来る多くの人々を心を癒し、戦争のない平和な社会へと変えて行くことを、切に願うばかりである。ありがとうお父さん

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