
大学時代の4年間、私の部屋は寝に帰るためだけの部屋だった。余計な荷物は家を出るときに邪魔になると思ったし、思い出のものは母に言われてほとんど捨ててしまっていた。
そうこうしている間に、私にも「就活」の二文字が降りかかる。
その頃は超就職氷河期。文系大卒でこれといった特技もない私には「一般職」が妥当だったし、両親もそれ以外は認めなかった。
しかし全く採用される気がしなかった。私が人事の人間だったら、自分を採用しないと思ったからだ。
それは脳内でシミュレーションしてみれば、すぐに分かることだった。
人事「弊社を選んだ動機はなんですか?」
まさき「本当はここじゃなくてもいいんです。」
人事「一般職を希望される理由は?」
まさき「ワタクシの家では選択肢は与えられておりません。それに、文系大卒なら一般職が妥当ですよね?」
人事「学生時代、特に頑張ったことはありますか?」
まさき「部活とアルバイトを少々・・・」
人事「これまでに力を入れてきたことはありますか?」
まさき「母の地雷をいかに回避するかに尽力して参りました。」
余談だが、「買い手市場」の新卒採用で、「弊社を選んだ動機」はまるで意味を成さない。
応募できる会社には全て葉書を送った。その分物凄い数の「お祈りレター」が届いた。
「娘の就職先」=「父のステータス」である父が、無言の圧力を掛けてくる。家の中はピリピリとした雰囲気で張り詰めていた。合否連絡の日には、家族全員が息を呑んでリビングで合否の電話を待っていた。
私は「すぐ出る内定!」「就職面接の極意」というような本を読み漁り、例文を暗唱しては面接で使った。そんなものが役に立たないことくらい、自分が一番良く分かっていた。
今になってみれば、正直に「仕事が好きなんです」「アルバイトは無遅刻・無欠勤だったんです」と話せば良かったと思うが、言葉を失っていた私には、自分の思っていることを豊かに表現できる術がなかった。それ以上に、そんなことを話しても、世の中の大人達が相手にしてくれるわけないと、どこかで諦めていたのかも知れない。
さらに、再び「あがり症」「隠れ対人恐怖症」問題も追い打ちを掛けてくる。
人事「声が小さいですね・・・?」
まさき「・・・。」
面接官の前に「オブジェ(机)」はあっても、私の前には「オブジェ」がないのだ。(*「あなたの人生は誰のもの?(9)~隠れ対人恐怖症とアルバイト~」参照)
そうして私は、かろうじて内定を貰った小さな会社を半年で辞め、その後外資系企業に第2新卒として採用されることとなる。