古民家に暮らす私たち夫婦のもとにやってきてくれたから、
レトロ
と、名付けた。
レトロはまだお腹にいて、意思表示もできないくらい小さくはかなかった。
小学生の頃からお母さんになるのが夢だった私は、
お腹に話しかけるのが大の得意。
まだきっと卵のようなうちから、なにかにつけてレトロに話しかけたりお腹をなでたりしていた。
妊娠5ヶ月くらいになると、
胎動を感じられるようになり、レトロが魚みたいにお腹の中でぐるんぐるん泳ぐのが分かった。
そして、
レトロは私の話しかけや手のぬくもりに反応するようになった。
生まれる前の赤ちゃんについて母子手帳や母親学級で配られる資料以上になんの知識もなかったし、それに、そういった資料で目にするのは、臓器や神経系の発達ばかりで胎児の情緒的なことなど一切書かれていない。人に話したところで不思議がられそうで、公にする気もなかった。
でも、確実に、レトロは私のお腹の中で立派に生きていて、自分の意志のようなものをもって私とコミュニケーションをとっていた。
鈍感な夫がレトロに話しかけると、分かりやすいようにと私が苦しくなるくらいいつもより大げさに動いてみせた。
妊娠8ヶ月ともなると、
レトロのコミュニケーション能力はずっと高まり、
私がレトロの足裏をぎゅーっと押すとそれに応えるようにぎゅーっと押し返すようになった。
その力加減が絶妙で、
私が優しく足裏を押したときには優しく、
少し強く押せば強めに押し返してくれた。
それが楽しくてよくそんな風に遊んでいた。
寝る前には絵本を読んだ。
『はらぺこあおむし』
いつもおんなじ時間、おんなじように、おんなじ本。
早く蝶になったキレイな姿を見せたかった。
妊娠9ヶ月。
大切な友達が亡くなった。
がんだった。
膵臓がん。
病気が分かったときには既に手遅れで、がんは全身に転移し、延命治療もしないと友達自身が決め身の回りの整理をしたという。
身重の私の身を案じて、本人は私には知らせないつもりでいたらしい。
でも、大切な友達。
共通の友達から連絡を受け、ともに最後になるかも知れない見舞いに行った。
やるせない気持ち、悲しい気持ち、突然すぎて整理もつかないし、レトロに悪影響にならないようにしたい。
これから生まれる命と去り行く命。
不思議な感覚だった。
通夜に列席して、
レトロの為に考えないようにしてきた思いが全て溢れ出てきてしまった。
二人の子どももまだ小さいのに、残して逝ってしまうなんて。
泣いても泣いても泣き止めなかった夜、レトロは私のお腹を激しく蹴った。
まるで、落ち込んでる私に、
「元気出せよ!」
って、言ってくれてるみたいな一蹴りだった。
はっとした。
悲しんでいる暇はない。
私は、これから生まれる命を守らなければいけない。
まずは、無事に生まなければいけない。
この悲しみは、心のずーっと奥底にしまっておくことにした。
臨月。
里帰り出産の私は、実家のある山梨に帰った。
レトロとのマタニティライフもあと少し。
とても寂しかった。
早くこの手に抱きしめたい思いと、私たちの体が引き離されてしまう寂しさ。
これまた不思議な感覚。
妊婦は不思議な気持ちになることが多い。
出産。
4月29日午前3時頃。
ものすごい下痢のような、生理痛の激しいような痛みというか苦しさに思わずトイレに駆け込んだ。
出そうで出ない。
下痢なら早いとこ全部出してしまいたい。
そう思って便座の上で苦しむも、数分経つと、何も出ないまま痛みも収まった。
とにかく眠くて、また布団に潜る。
眠りに落ちてしばらくすると、また、さきほどの痛みが襲ってくる。
思わずトイレへ駆け込む。
出そうで出ない。
下痢なら早いとこ全部出してしまいたい。
同じことを思う。
この繰り返しが何回か行われるも、初産というのは怖いもので、これが陣痛ということに気付かない。
途中、自分でも気付かぬうちに破水し、朝方にはこの感覚が10分、5分とどんどん短くなっていた。
母親に相談するも、
「痛みはそんなもんじゃないからね。」
と言われる始末。
痛みはこんなものじゃないかも知れないが、時間の感覚が明らかに短くなっている。
確か、陣痛らしきものは時間の感覚が短くなっていくんじゃなかったか?
知識としての出産が産院へ連絡した方がいいと言っている。
母親はこんな私を置いてパートへ行ってしまい、帝王切開で父を生んだ祖母と二人きり。
間歇期(陣痛と陣痛の合間)に朝食を摂りながら時間の感覚を計る。
「痛いなら病院に連絡しろし」
「ほんなに痛いだけ?」
陣痛を知らない祖母が横でごちゃごちゃうるさい。
間歇期は、もう3分になっている!!
3分って言うと、確か、いつ生まれてもいいんじゃ?
これまた間歇期に急いで産院に連絡する。
「ゆっくり入院準備をして来て下さい。」
夫にもメール。
・・・生まれるかはまだ分かんないけど、お腹がいたいから病院行くね。
自営の父にお願いして産院へ。
「ヒロシ!!おぶってってやれし!!」
祖母の叫び。
いやいや、間歇期に歩けるし。むしろ、痛いときにおぶわれたくないし。
車中。
あれ?
出したい!!
なんか、出そう!!
でも、ダメ。
まだ、ダメ!!
明らかに、生みたい自分がいる。
実家から車で15分。産院到着。
なぜか、父が猛ダッシュで産院内へ。
私、間歇期に入院の荷物を両手に抱え車を降りる。
「おい!!病院やっちゃいんぞ!!」
祭日だったので産院はお休みだ。
だけど、分娩、急診はなどは直接産院の二階へ行くことになっている。
荷物を両手に抱えた私に気付いた父親が、やっと私の荷物を持ってくれる。
間歇期に階段を上る。
「もうこんな状態なの?」
看護師さんに問われる。
「はい」
「電話のとき、冷静だったから」
「あ、痛くないときに連絡したので。でも、もう、感覚が3分より短くなってます」
「これに着替えて。どうせ痛いんだから、勢いよく着替えちゃいな!!」
真っ裸になって、分娩着に着替える。
「ちょっと見せて。・・・え?もう子宮口7センチも開いてる!!これ(分娩台)乗って!!生みたくなったら、力んじゃっていいから!!」