私は幸い、人生を通して友達に恵まれてきた。
自分の家族は何かがおかしいと早く気づけたのも、正直で心優しい友達たちのお陰だ。
小学校・中学校と仲の良かったヨリコ。鳥取からの転校生で、いつも他愛もないことでゲラゲラと笑って楽しく遊んでいた。
その日も近所で走り回って遊んでいたところ、何かの拍子に私のスカートの裾が落ちてしまった。私の心は一瞬で曇り、こんな言葉が出た。
「どうしよう・・・お母さんに怒られちゃう・・・」
するとヨリコは、何か思いついたように「ちょっと来て!」と言い、私を彼女の家に連れて行った。
私に裾の落ちたスカートを脱ぐように言い、代わりに彼女のスカートを貸してくれた。そして彼女のお母さんに、私のスカートの裾を縫うようにお願いしてくれたのだ。
スカートが元通りになって戻ってきたとき、私は思った。
「どうして私は自分のスカートの裾を直すよう、お母さんにお願いできないんだろう?」
「どうしてヨリコのお母さんが、何も言わず私のスカートの裾を直してくれるんだろう?」
小学生だった私には「何かがおかしい」ということしか分からない。今なら言葉で説明できる。私の母はどんな理由であれ、子供に手が掛かることを嫌がったのだ。
それは私が病気をしたときも同じだった。病気で寝ていると嫌がられ、熱があって体が痛いというと、「どうして自転車で病院に行かないの?」という始末だった。
このことは後に、私の心に罪悪感を植え付けた。病気になると無意識に罪悪感を感じ、自分としたことが・・・という後悔と悲しみを感じて泣いてしまうのだ。
「病気になってごめんなさい・・・」
という具合に。
他人が直したスカートの裾に気が付いた母は、ただ低い声で「あら?」と言った。
私はこの時も少しだけ罪悪感を感じながら、「ヨリコのお母さんが直してくれた」と小さく呟いた。