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こむさん

Image by Olia Gozha

1月中旬の晴れた朝、私は9月に生まれた娘を抱いていつものようにポストを覗いた。

ポストには封筒と何枚かのハガキ。

娘をプレイマットに乗せて、松の内を過ぎてもポツポツと届く今朝届いた年賀状を読んでいた。次のハガキを読む。さして長い文面でもないのに内容が頭に入って来ず、二回、三回と読む。ふいに涙が溢れてきた。

私が年賀状を送った人の息子さんから、その人が急逝していたことを知らせる寒中お見舞いのハガキだった。

その人は私が0歳のときから実家に週何度かお手伝いにきてくれる人だった。私たちはいつも、こむさん、と呼んでいた。

こむさんは、私たち家族にとっては、お手伝いさん以上の存在だった。母にとってはおかあさん、私達姉妹にとってはもう1人のおばあちゃんだった。こむさんは毎年、お年玉をくれた。何度もこむさんのおうちに行ってこむさんとその旦那さんに遊んでもらった。こむさんの旦那さんは紙を扱う会社で働いていて、茶色の包装紙に包まれた裁断された白い紙をよくくれて、姉妹でお絵描きをしてよく遊んでいた。運動会や学芸会にも来てくれた。私と妹の行事が重なると保護者として一緒に来てくれることもあった。学校から帰るといつも母がこむさんがいて、私達を迎えてくれて、私達は今日あったことを話していた。

成人式の日には、振袖を着て、祖父母の家に見せに行ったあと、こむさんの家にも行って振袖を見てもらった。こむさんは、にこにこ笑って、綺麗ねぇと何度も言ってくれた。

大抵はうちでお昼ご飯を食べていたが、時々、母がファミレスや回転寿司に一緒にいくと、こむさんは本当に喜んでくれた。旅行や修学旅行のお土産はこむさんの分まで買うのが我が家の当たり前だった。いつもかわいくて、にこにこ笑っているこむさんがみんな本当に大好きだった。

こむさんが、住んでいた家を出て行かなくてはいけなくなったとき、私達は力になりたかった。こむさんの旦那さんは入院を長くしていたり、いろんな事情でこむさんは一人暮らしだったし引越しのあとも1人で暮らすことになった。お引越しやお部屋作りを母が手伝った。私達姉妹は、家具や電化製品をプレゼントした。こむさんはとってもとっても喜んでくれて、お部屋の写真を撮って、その写真を見せてくれた。

こむさんは、はっきりいうと、そんなにお金はなかったと思うけれど、私が一昨年9月に結婚するときには、たくさんのご祝儀をくださった。私は、新婚旅行で行ったフランスでスカーフをお土産に買って母を通してわたした。

私は大学から上京していたけれど、一昨年の暮れに帰省したときに、結婚式の写真をフォトブックにしてこむさんのお部屋へ届けに行くと、こむさんは喜んで迎えてくれて、帰り際には、果物をくれた。こむさんは小さくて、相変わらずにこにこ笑っていて、かわいくて、大好きなこむさんだった。私は、帰り際、「元気でね。またくるね」と言ったけど、その約束は守れなかった。

1月の終わりに、私はおなかに赤ちゃんがいることを知った。悪阻や切迫早産でバダバタしていて、余裕がなかったし、実家に帰ったときにも、こむさんじゃないお手伝いさんがいたけれど、こむさんも高齢だったし、母の「豊橋の息子さんのところへいったのよ」という言葉をそのまま信じていた。私たちがお手伝いしたお部屋は、できるだけあったかくて居心地がいいようにはしたつもりだったけど、家族と暮らせるならその方が楽しいし、よかったね、と思っていた。

結婚式から一年後の9月に無事に娘が産まれて、私はこむさんに赤ちゃんを見せたくて仕方なかった。けれど、赤ちゃんはとても小さく、こむさんに見せに行くのは遠いからまだ、難しいかもと母に言われて、じゃあ、写真を送りたいから住所を教えてと言うと、こむさんの妹に聞くから待っててねと言われた。初めての子育てにバダバタと月日はあっという間に過ぎて、こむさんに写真は送れないままになっていた。私は里帰りを終えて、年賀状を用意していた。そのときに、前にこむさんが住んでいた住所がパソコンに保存されていて、転送届が出てるんじゃないかな、と年賀状で出産を報告することにした。

『こむさん、9月に娘が産まれたよ。こむさんに抱っこしてもらいにいくね。今年もよろしくね。』

と書いた。


けれど、こむさんが亡くなったのは、去年の2月だった。

元気だったのに、お風呂の中で亡くなっていたらしい。こむさんが最後に会ったのは母だった。

その頃、私は妊娠初期で悪阻が始まっていて、しかも、赤ちゃんが小さいと言われていて、安静が大切だったので、父も母も妹達も、主人も、こむさんが亡くなったことを私には伝えないでいてくれた。何も知らなかった私は、こむさんが亡くなった後にも、家族に何度もこむさんの話をしていた。そのとき、みんなはどんな気持ちだったんだろう。

母が私の分もお香典を出していてくれて、お香典返しで、娘のおもちゃを届けてくれていた。こむさんがいたならくれただろう、娘のおもちゃ。初めての娘へのプレゼントはこむさんから贈られたもの。

もしかしたら、娘はこむさんの生まれ変わりかな。だったらいいな。予定日より早く小さく産まれた娘がこうして無事に育ってくれてるのはこまさんが見守ってくれてるからかな。

夜、娘を寝かしつけるとき、窓から空を見上げて、話しかける。「こむさん、今日も見ててくれてありがとう。」


一昨年の9月の私の結婚式で流れたサプライズムービーでこむさんは私にこういってくれた。

「結婚おめでとう!今度はかわいい赤ちゃん抱っこさせてね。」と。

こむさん、こむさん、私の赤ちゃん、抱っこしてくれてますか?

まだ、夜、涙が止まらなくなることが多い私を見て、笑ってるかな?

こむさん、本当にありがとう。会いたいよ。大好きだったよ。大好きだよ、いまも。




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