私は小学5年生
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私は幸せです。
家族で、ご飯が食べられるから。
私は幸せです。
大好きな人たちと、一緒にいられるから。
私は幸せです。
ニコニコしていれば、みんな側にはいてくれるから。
私は幸せです。
お願いすれば、ほしいおもちゃは手に入るから。
私は幸せです。
良い子にしていれば、みんな褒めてくれるから。
私は幸せです。
毎晩の両親の喧嘩に、気付いていないから。
私は幸せです。
朝起きたら、みんなニコニコしてるから。
誰が幸せですか。
新しい家へと向かっていた、あの日。
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私は幸せでした。
何もしなくても、変わらぬ日常を送れたことが。
ご近所さんに好かれる私でいれば、私や私の両親が褒められたことが。
友達に距離を置かれれたら、他の人のところに行けば。
毎晩静かに繰り返される、父の理不尽な怒り、母の涙を無視していれば。
毎日私には、幸せな今日がきました。
その日々に終わりがきたとき
私はホッとしました。
もう、近所で評判の良い子でいなくていいから。
また、友達に距離を置かれても、他の人が沢山いるから。
もう、毎晩嗚咽がバレないように耐えなくていいから。
私はホッとしました。
小学6年生になるとき、私は引っ越しをしました。
理由は両親の離婚でした。
兄妹3人で母についていきました。
私は父が大嫌いでした。父は仕事こそ、子供の私ですらわかるくらい”頑張って”いました。
苦しそうに。
母は大好きでした。自分に素直にあろうとしていたから。ただ浮気をしていました。
苦しそうだったか、楽しそうだったかは、わかりませんが。
周囲は、母を責めていました。
原因を作ったのは父なのに。
私は仕事のイライラを父が、母にぶつけていたことを知っていました。毎日のように。
”浮気”はいけないこと。
”離婚”はいけないこと。
それが、みんなにとって”当たり前”で”普通”なこと。
その”当たり前”や”普通”の中で生きることが、正しく生きるってこと。
正しくいきることが、幸せってこと。
なぜかわかりませんが、物心ついた時から、
幸せな人生とは、
人から褒められる人生、周囲の期待に応える人生だと思っていました。
その定義の中では、父も母も不幸な人でした。
ですが、離婚後の母は少し気が楽そうでした。
幸せだったかどうかは、わかりませんが。
父は離婚後、恐ろしい程人が変わりました。
めちゃくちゃおもしろい人になりました。
おそらくこっちが本当の父だったのだと思います。
私はそんな父が大好きになりました。
私はその時、幸せがわからなくなりました。
”正しい人生”を送らなかった2人が、幸せに近付いたように見えたから。
そこから私の人生は幸せではなくなりました。
転校して2日で、母が担任の先生から「本当にいつ転校してきたかわからないくらい馴染んでますよw」と言われたときも。
好きでもない友人たちの話題の中心になっているときも。
意味のわからないヤンキー中学生に笑顔でヘコヘコするときも。
中学進学前に、父のもとに戻るか、母と共にもう一度引っ越すか決めるときも。
今までと同じようにしてるはずなのに、”幸せ”ではなくなりました。
たぶん、幸せは”当たり前”や”普通”の中にはなかったんです。
良いも悪いも立場、見方によって変わるもの。
(世間の言う)正しいこと=幸せ。であれば、いつまでも私は幸せでした。
その瞬間、瞬間の「良い子」がわかっていたから。
ただ、離婚後の両親を見て、ある想いを願ってしまってから、
今まで通りだと幸せを感じなくなってしまったのだと思います。
「いまの両親となら、家族5人でご飯食べても楽しいだろうなー」
誰が悪かったのかな。
離婚する前に、2人が今みたいに変わるチャンスはなかったのかな。
僕には何もできなかったのかな。
僕が何をしていれば変わっていたのかな。
そうやって考えたときに、私は、
勿論、両親、妹、私、それぞれの人生はありますが、
「自分の人生を、自分で決められないって嫌だな。」って、思いました。
本当は両親と一緒にいたいこと。
みんなで仲良く暮らしたいこと。
友人みんなにも愛されたいこと。
本当は自分の想いを言いたいのに、
本当は思うがままに生きたいのに。
私はたぶん”夢”を持ってしまって、誰かの人生の中じゃ満たされなくなってしまったんです。
だから、世界を変えようと思いました。
生きる世界を。
他人の世界から、自分の世界へ。
そして、世界の仕組みも変えようと思いました。
みんなが我儘に生きられるように。
これは、また次回のお話で。