子供のころ自分の事をごく平凡な家族の中のごく平凡な子供であると信じて育った。
もしかしたら違うのかも??と気づいたのは20歳をすぎた頃である。母がもしかしたら只者では無い・・田舎の普通の女性ではないのではないか???と思える逸話が回りの親戚から聞こえてき始めたのである。
「やー(母の名の呼び名)はなー、おーちゃくビー(女の子の方言)でなー。近所の男の子にいじめられそうになると、『やーに言いつけてやる!』って言うと皆泣きながら逃げてったもんなー」と母の姉が話してくれた。当時の小学校の校長先生がえらく母を気に入っていたらしく、やーの歌、と言うのを作り全校生徒に歌わせたらしい。学年で言うと一つ下の父が覚えていて話してくれた。
本人が言うには、回りの男の子をまるで鵜飼の鵜のように操り、木の上の鳥の卵を取ってこさせ独り占めして食べていたらしい。カラスだけは利口で、食べた母の頭もつついてきたそうだ。だからヤス(私の呼び名です)もカラスの卵を取る時は気をつけろ、と、当時バードウォッチングに凝っていた自分に母が教えてくれた。「鳥の名前は解らんが、卵の味でどんな色形かは解る」・・・とも。
卵の栄養のおかげで母は当時の女性の中では人一倍大きかった。姉妹は町でも有名な美人姉妹でキャシャであったのに、母だけは今で言うゴジラ体系であった。力も強く、乗っていたバスが故障した際
母が中心となり峠の頂上まで押して行き、バス会社から表彰された事もあったらしい。女学校時代バスケットボールの国体選手に選ばれたとも言っていた。
そんな母に自分の性格が瓜二つである事に気づき始めたのは50歳を過ぎ、父を送り出し母の臨終に立ち会った頃である。外見は父によく似ていたいた自分はついつい性格も父に似ているような気がしていた。しかし2人の旅立ちに立ち会いこれからは自分と妻で進んでいかなければならない時を迎え、改めて振り返ってみると、???の部分が多々思いおこされる。