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13/5/16

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その5:アビラ】

Image by Olia Gozha



ご無沙汰しております。

 

最近ちらほらコメントやメッセージをいただくようになり、更には50人近くの方に「続きが聞きたい」を押していただいたということで、大変励みになっております。

拙い文章ゆえに、皆さんにきちんと楽しんでいただけているのか不安ではありますが、これからもお付き合いいただければ嬉しい限りです。

特別感動できるような話ではありませんが、読んでアホでぇこいつーと笑っていただければ本望です。

ちなみに私Mではございません。本当です。いえ本当ですって。おいちょっとカメラ止めろ。

 

 

まずは一つ、最近の出来事を。

 

これはあくまで持論なのですが、我々はひとたび世界に出ると、自分は「自国の代表」なのだという自覚を持たなければいけないと私は思っています。

例えば私が外国で好印象的な行動をすると、周りには「沙季は良い子なんだなあ」とでは無く「日本人はいい奴なんだなあ」と認識され、もちろん逆も然りでして、私が悪い行いをするだけで周囲の人が持っている「日本人全体」のイメージも下がってしまうのです。多国籍の人が集まったコミュニティの中では、なおさらです。

なので私たちは海外生活において、常に日本人として恥ずかしくないように振舞うべきでしょう。

自国の評価が上がるのも下がるのも、私たち次第なのです。

 

さて何故私がこのような話をするかと言うのも、昨日の英語の時間に、友人から「汚い日本語の罵り言葉を教えて欲しい」と頼まれたのが事の発端でした。

なんとまあ破廉恥な質問なのでしょう、と顔を赤らめつつも、どうにか極力やわらかな言葉を教えなければと私は脳みそをフル回転させました。

なにしろ私はクラスでは「日本人代表」なのです。日本という国家自体の評価が、ここでの私の返答によって左右します。

ヤマトナデシコの名に恥じぬ、上品なおかつ皮肉の効いた風流な罵り言葉を一つ・・・と、悩みに悩んだ末、私の口から出た言葉は「ドチンポ野郎」でした。

すべての日本人にこの場を借り謝罪させていただきたいと思います。

なお、「Oh…DO・CHIMPO…(至極愉快な発音)」と言う友人の発言により、その後の英語の授業の内容に一切集中出来なかったことをここに告白します。

 

さて

 

アビラでの生活なのですが、前回申しましたようにそれはそれは楽しいものでした。

お世話になったお家や街自体もさることながら、なによりも思い出に残ったもの、それは1ヶ月の間毎日通っていたスペイン語学校です。

日常で使いどころの無い訳の分からない単語を教えてくるような補習教室(前回参照)の経験こそはあったものの、まともなスペイン語教育というものはそれまで受けた事が無かった私は、初めての留学生仲間と受ける授業がとにかく楽しくて仕方がありませんでした。

少人数だったので発言も自由気ままに出来ましたし、何よりも皆が皆仲良く、スペインでの初めての友達もそこで出来ました。

特に仲が良かったのが、クラウディアというフランスから来た子。

当時15歳だった私よりも一つ年下の14歳で、似たような年齢というのも手伝ってか私たちは出会った初日から一緒に遊び始めました。

まあ親しくなるにつれ彼女はとんでもないビッチだったということが発覚したのですが、それはご愛嬌ですよね。友情にビッチもぷっちょも関係ありません。それにアモールの国・フランスから来たんじゃあしようがないというものです。

「あ~黒人の・ソ譁・ュ怜�舐めたいわ~!」という彼女の話を聞きながら、ああ私は今異国の地で異国の子と異国の言語で恋バナをしているんだ・・・と感動していました。

一部文字化けしてしまいましたが、外国のPCからの書き込みと言うことでご容赦願います。

 

この学校に関しては皆さんにお話したいことががいくつかあるので、紹介したいと思います。

 

まずはアドルフォ。

非常に個性的であるこの先生、

「カナダの木はホモゆえにピンクである」

「フランス語では『ヌード』の事を『Ropa de amor(愛の服)』という」

「アメリカ人は150キロ先にあるマクドナルドのために車を走らせる人種である」

「スペインは(豊胸手術の)シリコンのパラダイスである」

という非常に役に立つ国際的な情報をはじめ、

「フランス人は愛の火山である」

などもはや意味不明な名言まで残されました。

今でも彼の言葉は深く私の胸に残っています。そう、カナダの木はホモであり、ゆえにピンクなのです。

 

他にも印象に残っているエピソードですと:

 

クラスで雑談をしていた時に、

アドルフォ「ねえエメット、●●って知っている?」

イングランド出身の子「いえ知りませんけど」

ア「はあー、ほんっとイングランド人はなーんにも知らないんだから (笑)」

イ「じゃあ先生は知っているんですか!」

ア「え、いや知らんけど・・・。

 

などと言うお茶目でうっかりな一面を見せてくれたり、新しいメンバーが入ってきた時に

 

アドルフォ「やばいまじやばい!今度来る奴めっちゃスペイン語上手い!」

皆「えーすごーい!」

ア「なんでも自国でスペイン語の先生してるんだって!」

皆「しかし何故そんな人がわざわざ?」

ア「俺にも分からん・・・。多分あいつ頭おかしいんだと思う・・・。

 

と少し辛口なコメントを残してくれたりもしました。

他にも皆でブランドの話をしていた時に、

 

クラウディア「フランスはシャネルとかエルメスとか、いっぱい有名なブランドあるよ!」

ドイツ人A「ドイツだって色々あるよねえ!」

ドイツ人B「うんあるよね、何があったっけなー、えーっと。」

アドルフォ「2人とも諦めな・・・。ドイツ人のデザイナーとかイギリス人のコック並みにありえないことなんだから・・・。

 

どうですこの一度に二国を貶すテクニック、なかなか素人には真似できないと思いませんか。

ちなみにイギリスは他の時にも、

 

アドルフォ「Serはコンスタントに変わらないもの、Estarは場合によって変化するものに使われるから覚えておこう(両方とも英語のBeに値する動詞)。」

皆「なるほど。」

ア「例えば空は青色がデフォルトだから、Serを使って表すんだよ。」

私「じゃあ曇っている時はEstarを使って『空が灰色だ』と表すんですか?」

ア「そうだね、まあイギリスの場合は『空が青い』時にEstarを使うけどね。

 

盛大に皮肉られていました。

一体何故ここまで他国をいちいち貶す必要があるのかは少し謎なのですが、とにかく面白い人ということが伝われば幸いです。

更にはアドルフォは何故か常に「自分には妻も子供もおらず常に孤独である」というキャラを演じようとしていましたが、私たち生徒は彼の車にはチャイルドシートとチャイルドロックが備え付けられており、更に座席の下には子供の字で名前が書かれた工作物が転がっていることを知っていましたので、皆温かい目でその演技を見守っていました。

そんな彼の夢は、Facebookのアカウントをゲットして友達と作ることでした。今もまだそれを願っているのでしょうか。

 

ベンジャミンというドイツ人もまた極めて個性的でした。

Kinderの子供用のチョコを「筋肉増量剤」と言い張り袋のまま食べていたり、いきなり「俺実は遺伝子学的にブラッド・ピッドに似てるんだよね、DNAが螺旋構造なところとか」などと言い出したり、一つも面白くない教科書に載っているスパニッシュジョークに息が出来なくなるほど笑ったりと、なんというか本当に人生が楽しそうでした。そんな27歳。アラサーです。



ドヤ顔でパエリアを作る27歳。 


他にも面白いことはたくさんあったのですが、うまく笑えるよう文にできないので私の心の中だけに閉まっておこうと思います。

休み時間にみんなでスーパーに買い物に行ったり、夜飲んで次の日学校に遅刻したり、旅行したり、一緒に私のステイ先のプールで遊んでいる時に犬に襲われたり・・・。



クラウディアと。人を殺せそうな眼光をしていますね私。



楽しい日々はどんどん過ぎていきました。

誕生日もお祝いしてもらいましたし、日に日にパーツが追加されパワーアップしていった、部屋の隅に置かれたペットボトル飛行機を「こいつ今ならきっと飛べる」と先生に窓から投げられかけたときは、皆で涙したものです。

 

重ね重ね言いますが、みんなのおかげでこの1ヶ月は本当に最高なものとなりました。

大体のメンバーとは未だにFacebookで繋がっていますが、中にはアカウントを持っていない子もいて、その子たちとはあの夏以来一度も言葉を交わしていません。それに、きっともう死ぬまで会うことも話すことも無いのでしょう。

今でもふと、あの子は今何しているのだろうと思うことがあります。


良き思い出。


さて楽しかった夏も終わり、セゴビアに帰るといよいよ中学4年生(第2回目)の始まりです。

そういえば、これからのストーリーとは一切関係ないのですが、今日は新しく「Muñeca hinchable(参考:Wikipedia)」というスペイン語を覚えました。

私の両親が知ったら「こんなことを学ばせるためにスペインに行かせたんじゃない」と泣くこと請け合いです。親不孝者でごめんねお母さん。



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