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Life goes on, Chapter 3-3

Image by Olia Gozha

とにかく、無我夢中で7か月間耐えた。


7か月経つと、さすがに子どもも1時間は眠ってくれるようになり、夜は相変わらず5-6回は起きていたが、それに体が慣れてくる。

お風呂に3日入らなくても、ご飯を2日ほど食べ忘れていても、それほど気にならなくなった。

とにかく、私は周りから育児について何も指摘されないように・・・それだけを目標にした。


初めての寝返り、初めてのハイハイ、初めての離乳食。主人は全てを見逃した。

私はできるだけ写真をたくさん撮り、その写真をCDに入れて送った。
送るといっても戦地である。どれだけの時間とプロセスがかかるのか、見当もつかなかった。

けれどまあ、届いてはいたようだ。


私の周囲でも、戦地へ赴いているご主人を持つ奥さんはかなりいた。

その全員が、ほぼ週に1度は、衛星回線などを通じて電話で話をしていることが分かった。


私と主人は、主人が戦地へ出発してから、軍側が手配したテレビ電話で1度きり。

そのわけは、電話はほとんど上級の軍曹や上官などが使用しており、主人のランクあたりだと、1-2時間待ちは当たり前、しかも非常に高いから、お金を節約したい、ということだった。


主人は、私と結婚する前にかなり多額の借金があった。それは、初めての一人暮らし、初めての海外勤務で浮かれてパーティーばかりやっていた頃のツケだった。バカヤローめ。


所謂消費者金融のようなもので、あちらで500ドル、こちらで150ドル、おっと、ここでは1000ドル・・・このようにあちらこちらで降り積もっていた借金は、まとめるとかなりの金額になっていた。軽く10000ドルを超えていた。

主人が戦地へ赴いている間にできるだけ借金を返そうと、私は主人の「節約したい」、という言葉をもっともだと思い、携帯電話を持つこともなく、ほとんど毎日家でご飯を作って食べていた。球の外出といえば、同じように戦地へ赴くご主人を持つ奥さんの家を訪れる、そんな毎日だった。


日本を出る前にも、主人の借金の一部を、それまで貯めていた定期貯金を解約して返した。

夫婦としてやっていくのだから、それは致し方ないことではある、と思った。

常に50-50ではいられない、時には20-80の時もあれば、70-30の時もある。でも一緒に助け合っていけば、それはそれでいいや、いつも帳尻合わせようと思わなくても。


20年以上気ままな一人暮らしをしてきて、人に合わせるということを一切しなかった私にしては上出来じゃないか、自分でそんな風に思っていたわけ。

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