発端
ちょっと頭を切り替えて、5年前の過去から現在へ。
地震
2011年3月11日
あの日、受験が終わったのにもかかわらずまだ予備校で勉強していたのが笑える。
スペインから帰国して、1年間予備校に缶詰になって大学に合格した。
だけれども、スペインで得られたやりたい欲求をすべて大学で昇華するために勉強は続けないといけないと思っていた。
ちょうど大学物理の授業を聞いていた時だろうか。
なんとも言えない揺れが始まった。
最初は自分が揺れているだけなのかと思っていたけれどもだんだん違うことに気がついた。
急いで教室の外に出てみた。揺れはまだ止まらない。受付の奥にある資料が落ち始める。エレベーターが緊急停止状態になる。
あ、これはヤバイ。
本能的に思った。
急いで戻って頭を机の下に隠した。
そして揺れが収まってから事務の人たちの指示で外へ避難した。
自然と怖いという感覚はなかったけれどなんかいやな予感がしていた。
そして、街頭のTVで津波を見た。
それから
後のことは、もう徒歩で家に帰ったくらいしか覚えていない。
途中緊急地震速報がなったりしたが。同じ方向に家がある後輩と、海側は通らないようにして帰った。
2,3日して
親はノイローゼになりかけていた。
放射能とか、震災関連の番組しかやっていなかった。
まず、それ以外見ることが出来なかったのかもしれない。
現実として何が起こっているのかわからなかったからだ。
僕の入学式も遅れた。
親「とりあえず、お前だけ愛知へ避難しとけ。」
僕「え、まぁ別にここにいてもいいけれど。」
親「外に出れないよりマシでしょう。」
こんな経緯で確か愛知の親父の実家に行くことになった。
農家のこせがれ
親父の実家は農家をやっている。
だけれどもおじさんも親父も跡を継ぐ気はないようだ。
スペインでバナナ畑に行ってた身としては別についでもいいのではないかと思っていたが、そんな考えが甘いことがすぐにわかった。
手伝いをしていたある日
ばぁちゃん「いやー、震災で野菜が高く売れるようになったねぇ。」
僕「へぇー。どれくらいになったの?」
ばぁちゃん「人参がねぇ。初めて260円台になったのよ。」
僕「量はどのくらいなの?」
ばぁちゃん「この箱1個分。(1kgの箱をさしながら)」
(適切なアイコンがなかったのでお詫びしたい)
今まで自分が食べていた物の原価を知らなかった時の衝撃。
そして、予想以上に難しい地域でお金を手に入れること。
スペインで感じた地域を作りたいということはこれほどまでに難しいことなのか。
何をし始めることが一番正しいのかわからなかった。
転機
大学に入って地域開発の研究会やらそれ系列の授業やら様々な物を勉強しながら、地域に対しての調査とかはたまた離島に行って地域振興って一体どんなことなのかを勉強していたある日。
バスで先輩と一緒に帰っていた。