皮肉にも、
人がその様に、訴える時は周囲から煙たがられ、本当に必要になった時には、もう声が届かなかったりする。
「アメリカ音楽」と「政治」は、
切ってもきれない密な関係であり、
時にそのどちらかの力により、
討伐されることもある。
「パンク」こそ、その反骨的且つ、
反社会的なイメージが強いが、
いやいや、「フォーク」を忘れてはならない。
1960年〜1970年代は、ロックの黄金期とも呼ばれ、当時一世を風靡したアーティスト達は、「神」として崇められる存在だ。
では何故、それ程の熱が今もなお、冷めないのだろうか?それは、間違いなく彼らの背景に「社会」という二文字があるからだ。
ボブ・ディランもその一人であると考える。
当時、「公民権運動」や「ベトナム戦争」と平等や平和を訴えた若者達が、賛歌として崇めた『風に吹かれて』がそれを裏付けしている。
さて、時代は2016年。
アメリカはとても重要な決断を下す1年である。
残すところ僅か2ヶ月、
「大統領選挙」に終止符が打たれる。
民主党のヒラリー、共和党のトランプ。
アメリカ政治における、日本との違いに、音楽が深く関係している事も忘れてはならない。
民主党は古くより「フォーク」を好み、
共和党といえば「カントリー」だ。
トランプ氏がローリング・ストーンの楽曲をイベントで使用し抗議を受けた事も記憶に新しい。
ディランは今でこそ「オルタナティブ」なイメージがあるが、その全盛期は「フォークの象徴」であった。
アメリカでは今、「反トランプ政権」と称したソングリレーをアーティストが行う程、どうにか共和党を勝たすまいと、藁にもすがる思いで、あの手この手と人々の心に訴え続けている。
その最後の砦として、
ディランをノーベル文学賞に選び、再び人々に平和を訴えたのかも知れない。
さて、時は2016年。
ディランだったらどう歌うだろうか?
「その答えは、風に吹かれて、誰にも掴めない。」
のだ。
written by Nanako Imai
2016/10/18


