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〜僕たちを本気で変えた「悪魔の病院出産」〜

Image by Olia Gozha

「ゴールデンウィークに入ったら医師が少なくなるから、

     予定日が過ぎても陣痛来なかったら入院して、

      促進剤打って、早く産んじゃいましょうね。」

 

2015年4月、違和感を感じながらも、

僕らは医師の言葉に従うしかありませんでした。

 

そりゃあ、病院側すればGW前に産ませて、

医師たちにシフト通りの休みを与えたい。

 

真っ当な考え出し、そんなもんだと思う。

 

だけど、この病院出産という行為ほど

自然の摂理に反する行為はないのではないかと思う。

 

医師が勝手に決めた出産予定日なんて…

そもそもあてになるのだろうか?

生まれてくる日を決めるのは、お腹の中にいる赤ちゃんではないのか?

 

妊娠が発覚して病院に通うたび、医者の言葉を聞くたびに、

僕と妻が感じる違和感は日に日に大きくなっていった。。。

 

何か違くないか?何かおかしくないか?

 

それは、お腹にいる赤ちゃん自身が強く感じていたはず。

 

《陣痛》っていうのは、

赤ちゃんが初めて出す力強い『意志』なんだよね。

 

そのタイミングも強さも、全ては

お母さんの体と会話をしながら

赤ちゃんが主体性をもって決めることなんです。

 

この世に生まれてくる体と心の

「準備できたよ」という合図なんだ。

 

なのにそれを無視して、

こっちの都合で無理やり出すというやり方が

今の病院出産の現状なのです…。

 

妊婦さん向けの雑誌とかを見ると

病院が綺麗で、病院食がとても美味しくて

エコーも3Dでよく見れて、高級ホテルのような造り

出産後はこんな補助金がもらえますよ。

 

とか、ぶっちゃけ赤ちゃんにとっては

どうでもいいことばかりが載っている。

 

出産に対する本当に大切なこと。

赤ちゃんにとって、そしてお母さんにとって本当に大切なこと

というは、ほとんど掲載されていない。

 

設備がしっかりしていて、最新の機械が整ってる。

沢山の医師がいるから、何かあった時でも安心?

 

子どもは病院で産むのが当たり前であって、常識よ。

 

いつからそんな文化になったのだろうか。

昔の人は病院も薬も何も無い中で

自然を感じながら、自然の中で、自然と会話をしながら

お腹の中にいる赤ちゃんと一生懸命会話しながら

出産をしていたと思う。

 

だけど現代の人たちは(僕も含め)

生まれた瞬間から、自然に歯向うことをしている。

 

いや、正確には生まれる前からか。。。

 

「人間にとって本当に大切なこと」

これを失いつつあるのは、人間がこの世に生を授かる瞬間にあるのではないか?

 

今では当たり前、常識とされている病院出産。

 

これがそもそもの原因なのではないだろうか?

と、僕は我が子の病院出産を通して本気で感じた。

 

その壮絶な、悪夢の病院出産を、

一人でも多くの人に知って欲しい。

 

そして、自然と向き合う大切さ。自然を感じる大切さ。

常識と呼ばれていることの多くがおかしなことだった。

ということに、一人でも多くの人に気付いて欲しい。

 

そして、今のおかしな世の中の風向きを、

少しでも良い方向に向かせていきたい。

 

そんな思いが、僕の中で徐々に徐々に大きくなってきた。

 

2015年8月26日に、Facebookで「予防接種は必要無い」

という投稿をしたところ、

沢山のコメントとメッセージをいただいた。

 

その投稿をしたきっかけは、

僕たちが体験した、この病院出産にあったんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ここからは、当時妻が感じた思いを

妻の言葉を借りながら記載していきたいと思います。

 

出産予定日前日、

子宮口に誘発剤のラミナリアを12本ほど差し込まれた。

 

夜中は鈍痛でほとんど眠ることができず、

その痛みは次第に大きくなっていったのです。

朝になると、間隔的に痛みが襲い、陣痛が始まったようでした。

子宮口が4cm開いていました。

 

この調子だと、促進剤を打たないで産めるかもしれない!

 

しかしその希望は一瞬で消え去りました。

大きな病院にとって、出産は予定通りに進めなければならない仕事なのです。

 

妊婦さんたちが、次から次へと待っているので、

さっさと産ませて、ベットを開けなくてはいけません。

 

分娩室に移動した瞬間、

陣痛が始まっているにも関わらずあっという間に促進剤を刺されました。

針が腕に刺さったままの出産。。。

 

何とも人工的で、何とも嫌な気分です。

 

30分毎に促進剤の量を増やされます。

どんどん痛みが強くなっていきます。

 

「もう十分強いから、これ以上増やさなくていいです!」と言ったものの、

「増やしていくのが決まりだからね〜」とスルー。

とても人工的な強い痛み。赤ちゃんは、大丈夫だろうか??

 

お腹の赤ちゃんの心拍を図る機械を

ズレる度に抑えつけられて、自由に動けません。

 

陣痛が1分間隔になり、痛みで体がガタガタ激しく震えます。

体中に力が入ります。

 

赤ちゃんが産まれる!

 

その瞬間、それまで部屋には助産婦さんが一人だったのに、

医者や看護婦、研修医が突然7人ほどドタドタと入ってきました。

 

許可なんかとってません。何事かと思いました。

 

会陰切開はしたくないと言っておいたのにも関わらず、

医者が機械を取り出し、今にも切ろうとします。

 

その瞬間、赤ちゃんの頭が出ました。

 

赤ちゃんの頭が出た瞬間、

「お目目開けて可愛い~」とはしゃぐ若い看護師。

 

なんで生まれて最初に見た顔が私じゃなくて看護婦??

 

痛みの中そんな思いが脳裏をよぎります。

 

赤ちゃんの臍の緒をすぐに切り

赤ちゃんを私の顔の横に置いてくれました。

 

感動の涙を流した10秒後には

「では、検査のためちょっとお借りしますね~」

と、あっという間に持っていかれてしまいました。

 

カンガルーケアもお願いしていたのに、

そんな話はなかったかのようです。

 

そのままベットに仰向けに寝かされ、

まだ大きいお腹をぐいぐい押します。

胎盤を出すためです。痛い。とても乱暴です。

 

胎盤が出たあと、足を広げられました。傷を縫うようです。

会陰は伸びたから切れなかったけど、

中が切れたのでそれを縫うというのです。

 

研修医の若い女性を中年男性医師が教えながら縫わせます。

 

研修医なので時間がかかります。

膣の中を思いっきり引っ張り出して、縫っていきます。

 

なんで縫うのかわからず、縫う必要もわからず、ただ大人しく足を広げていました。

 

次の日、排便するたびに縫った場所の糸が突っ張り、

悪露とは違う鮮血がしたたり落ち、

縫った場所が5倍ぐらいに腫れ上がりました。

 

きっとベテラン医師ではなく、経験の浅い研修医が縫ったからでしょう。

 

痛くて痛くて、排便がストレスになり、便秘になりました。

中を縫う必要なんてない気がしました。

 

後で聞きましたが初産婦さんは皆、中が切れるのは当たり前だそうです。

 

産まれる寸前に会陰を切ろうとした医師の行動は、

「縫う為の練習」をさせるためにしか思えませんでした。

縫う練習のためならどこでもよかったのです。

 

腫れが治るまで1か月半以上かかりました。

縫ったことで重症化したのは明らかでした。

 

「痛い」といえば、痛み止めの薬がどんどん出されました。


更に、出産が終わってすぐ、湿疹が出始めました。

促進剤を打っていた注射の針の付近から始まり、

お腹、背中、腕、胸、足とあっという間に広がっていきました。

 

経験したことのない激しい痒み。

 

何千引きもの蚊に一気に刺されたような感じ。恐怖でした。

 

痒みで全身鳥肌がたち、気が狂いそうになりました。

ボツボツした湿疹が真っ赤に膨れ上がり、怪物のようにただれました。

掻き毟ると血が出てきます。

でも、我慢できません。

 

服が肌に触れるだけで痒みが広がるので、服をめくりお腹を丸出し、

看護婦さんにアイスロンを持ってきてもらい、

昼夜とわず、冷やし続けました。

冷やすと少し痒みが和らぐのです。

 

看護婦さんに許可を取って、真夜中に水のシャワーを浴び続けました。

 

まだ寒い春先、出産したばかりの体に

水シャワーは心臓が止まるような思いでした。

 

でも、痒みを少しでも押さえないと、

赤ちゃんに授乳することができません。

 

暖かい赤ちゃんにちょっとでも触れると痒みが一気に増してくるからです。

 

なので、生まれたての赤ちゃんに距離を置いて授乳しました。

体をぴったり寄り添ってあげれないのは本当に辛いことでした。

 

赤ちゃんに授乳するため、

痒みを少しでも抑えようと、体を引きづり、

 

死ぬ思いで水シャワーを浴び続けました。

 

沢山動いたので、骨盤が広がったまま固まってしまいました。

痒みで全く寝れず、入院中毎日2時間程度しか寝れませんでした。

体はどんどん疲労していきました。

 

それでも赤ちゃんに1時間ごとに授乳をしました。

初めての授乳は乳首がものすごく痛くなります。

 

それでも授乳してる時間は痒みを少しでも忘れられたので、

1時間ごとの授乳も乳首の痛さも

痒みに比べたら苦ではありませんでした。

 

湿疹の原因は、促進剤の副作用と、

促進剤の陣痛の強すぎる痛みによるストレスでした。


医者はすぐにステロイド剤を処方しましたが、効きません。

一番強い薬を処方され、塗りましたが、酷く悪化してしまいました。

 

入院中、赤ちゃんは押し車に乗せて移動することが義務付けられていました。

そして、人工ミルクをどんどん出されました。

 

寝ていて飲まないと、

看護婦さんが無理やり赤ちゃんを揺り動かして起こし飲ませました。

 

赤ちゃんは笑うことなく、ひたすら眠り続けていました。

  

退院する日、最後に会陰の状態をみるからと、

まだ傷がぐじゅぐじゅで血が出ている膣の中に冷たい機械を入れられました。

酷い痛みで怒りがこみ上げました。

 

退院してからも、痛みや痒みとの戦いで、出産の何倍も辛かったです。

完全に治るまで3か月ほどかかりました。

 

肌に残った湿疹の浅黒い跡を見る度に落ち込みました。

もう、ビキニは一生着れません。

 

当時、無知だった私たちは、医者に従うしかありませんでした。

 

そこに私の意志はなく、されるがままでした。

ただただ我慢して、従っていたのです。

 

でも、『これは違う』

何かが違う。そう私の心は叫んでいました。

 

何が違うのか??何が間違っているのか??

 

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

続きのストーリーを準備中です。

 

続きが聞きたい。という方は

感想とともにコメントをいただければとっても嬉しいです。

 

ありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 

二タ見剣一



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