16/6/3
【第13話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

目の回るような日常の雑務の中、小さい子供を連れ父の介護。
もちろん介護といっても一緒に生活しているわけではないので、施設の職員に任せている部分がほとんどだったけど、だからと言って気にならないわけではない。
下の子は、見たことのないすっかり呆けた老人に戸惑っていた。
父の入所している老人介護施設は、自宅から車で5分程度の、空いた時間に顔を出すにはおあつらえ向きの場所にあった。
午前中はバタバタと家のことや家に残っている下の子のことをやったりして過ごし、お昼ご飯を作る前のちょっとした時間とか、わずかにほっとできる時間のある15時ごろなど、下の子を連れて父に会いに行った。
入所者たちが集まれるようになった広いロビーのようなところに父を連れだし、椅子に座らせたわいもない話をした。
僕が行く時間帯が、たまたま何かのレクリエーションの時間と重なっていたりすると、それに参加する父の姿を見ながら、僕たちも一緒に体を動かして見せた。自由時間には目の前にある大きな公園に父を連れ出し、3人で散歩したりもした。
長い時間触れ合っていると、僕が誰かということをぼんやり認識しているようだったけど、自宅に戻ってまた次会うときには、すっかり元のボケ老人になっていた。
思えば、父と日中散歩などしたことはない。
幼いころはあったのかもしれないが記憶にはとどまっておらず、気が付いた時には朝から酒に溺れ泥酔している姿だったから、父とこうして散歩などしていることが、不思議でならなかった。
それだけ僕も父も年を取ったということなのかもれない。
下の子は、僕に連れられ一緒に付き合ってくれた。
よくわからない老人を、自分のおじいちゃんだと認識できたかどうかは定かではないが、この老人とたまに会って時間を過ごさなければいけないということは、理解しているようだった。
下の子とは、どこに行くにも何をするにも、いつも一緒。
それは、何があってもほんの少しの時間でも、預ける場所もそれを頼める人もいないからだ。
僅かな時間を見つけては父に会いに行くのだが、自分ひとりなら着の身着のままふらっと行けるところ、小さい子供を連れているとそうはいかない。もう一人分準備をしなければいけないし、持ち物もそれなりに増える。
どうせ出だすのだから、そのついでにほかの用事も済ませてしまいたいけど、どんな時も下の子の都合が最優先でなければ先には進まない。
父に会いに行った帰り道、下の子を車に乗せドライブをしてから一緒に買い物をする。友達もいない、一人では遊ぶこともできないまだ5歳の下の子も、少しは気晴らしをさせてやらなくてはいけなかった。
僕の都合ばかり押し付けても、それはそれでかわいそうだ。
たいていは海のほうにドライブに行き、2人で海を眺めて少しおしゃべりをして家に帰った。
そういえば僕も幼いころよく父に海に連れてきてもらっていた。
海を眺めていると、ぼんやりと子供のころも記憶がよみがえってくるのだった。
僕もこんな風に、父に連れられ海を見てたいた。
父は海沿いの町で生まれたせいか、海が好きだった。ことあるごとに、父に連れられ海を見に来たものだ。
これはもちろん、酒に溺れる前の話だ。
自分が大人になり、父親になり、子供を育てるようになってわかることだけど、大人になるということや子供を育てるということや、父親という責任ある立場で生きていくということは、それはそれは大変だ。
やってみなければ分からないことが、たくさんある。
それは今になってようやくわかることで、多分あのころの父も、今の僕と同じように悩んだり苦しんだりしていたのかもしれない。
様々な要因が父を苦しめ、酒に溺れさせる結果になっていったのではないのだろうか。
僕は決して出来の良いほうではなかったし、親孝行らしきものもしてこなかった。
幼いころ、父と二人で海を見ながら、並んで防波堤に腰かけた。眼下に広がる広大な海原と、並んで座る父の大きな体。
「なぁ」と言って父は僕の名前を呼んだあと、こんなことを言った。
「大きくなって嫌なこととか辛いこととかいっぱいあると思うけど、そんなことがあったら、海を見るといいんだ。海を見るとな、嫌なこと全部忘れちまうんだから。嫌なことがあったら海を見て忘れちまえ」
2人並んで海を見ながら、よくそんなことを言っていた。
出来の悪かった僕の将来を、案じてくれていたのだろうか。
下の子と並んで防波堤に座り、すっかり呆けてしまった父の言葉を思い出していた。
「お父様の状態が悪化したので、すぐに救急車で病院へ連れていきます」
電話がかかってきたのは朝の9時ごろで、いつものように忙しくあわただしく過ごしていた朝のその時間が、ふと一瞬だけ止まったように感じるほど、違和感を覚えた。