16/6/1
【第8話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

下の子の幼稚園生活は、引っ越しが決まった9月初旬で終わりを迎えたのだったが、父子家庭になってから幼稚園の送り迎えでは、いつも困っていたことがあった。幼稚園は女の世界であり、母親でなければどうしても務まらないことがある。
当時住んでいた借家の近くだったという理由で通わせていた私立の幼稚園は、園児をお迎えに来るのは、毎日間違いなく母親だった。その界隈ではちょっとインテリな幼稚園だったせいか着飾った専業主婦が特に多かったように思う。
まず、輪に入れない。
下の子が「誰々ちゃんと遊びたい」とか、「誰々ちゃんの家に行きたい」と言っても、母親でない僕にはどうすることもできなかったし、ただでさえ事情の多い僕のことには、むしろみんな関わらなようにしようという空気を、ひしひしと感じたものだった。子供が小さいうちは、誰がなんと言おうと母親中心の世界。
女であることが絶対条件だと言わんばかりの、確立されたコミュニティーがある。
「なんで僕だけ毎日パパがお迎えに来るの・・・」
下の子はふと、思い出したように言っていた。
「ほかのお友達は誰もパパがお迎えに来る人なんていないよ」
そう言ってふてくされたような表情を時折見せるたびに、悲しいような切ないような、だからといってどうしようもないという、何とも言えない感情でいっぱいになるのだった。
父親では、どう頑張っても埋められないものがある。
父子家庭の置かれている現状は決して甘くはないし、男だからできるという思い込みは、間違っている。
幼稚園バスが通るルートではなかったため、下の子と2人で車に乗って毎日幼稚園に行った。
朝、髪の毛の寝癖を直し、黄色の制服を着せ両方のポッケにハンカチとティッシュを入れてやる。
通園バックの中から連絡帳を出し、忘れ物がないか確認したら、紺色の帽子をかぶせてやり、玄関でギューッと抱きしめる。
靴を自分で履くのはまだまだ上手にできなかったけど、玄関にしゃがみこみ、靴がちゃんと履けるまでじっと見ている。
玄関の鍵をかけたら手をつないで駐車場まで歩いていき、車の後部座席に座らせたら、幼稚園へ。
車の中で幼稚園のことや、お友達のこと、帰ってきたら何して遊ぼうかとか、晩御飯で何が食べたいか、そんなことをしゃべりながら通園した。
幼稚園に着いて、教室までは手をつないで歩いていく。
先生に「よろしくお願いします」と頭を下げたら、手を振ってバイバイ。
ちゃんと教室に入り、お友達と仲良くふざけあうのを確認してから、車に乗って家に帰る。
母親がいないことで寂しい思いをさせてはなるまいとそれだけを思い、どうすればいいのか悩んでいた。
なぜ自分だけパパが毎日送り迎えをするのか、理解するには小さすぎた。
一度にパパとママの役をこなすのは大変だったけど、自分の許された時間の限りで子供達と接した。
時には厳しく、時には優しく。
ママになるのは、大変だった。
幼稚園からの帰り道、よく2人で車の中で歌を歌った。
当時見ていたアニメの歌や、幼稚園で習ってきた歌などだ。
帰り道にあるお豆腐屋さんの手作りドーナツは1個50円で、子供たちの大好物。毎日は食べさせてあげることが出来なかったけど、たまに立ち寄っておやつにした。
車の窓から手を出すのが好きだった下の子は、バックミラー越しによく怒られていた。
一緒にお布団に入り子供たちが寝付くまでの間、今日1日あったことを話したり、絵本を読んであげたり、しりとりをしたりしたした。
子供たちが「寂しい」と思う瞬間がたくさんあるのだとしたら、それらのほんの少しでも減らしてあげられないだろうかと、それだけを考えた。
ママがいないことや、パパがお迎えに来ることや、お友達の家に遊びにいけないことや、何か大事なものをなくしてしまったような不安な気持ちも、この子達から取り除いてあげることは不可能だろうか。
だから毎日、子供達といっぱい話をした。
帰りの車の中で、大きな声で歌を歌った。
大好きなドーナッツを食べながら、大好きなアニメを一緒に見て、大声で笑った。
お友達とは遊べなくなっちゃったから、毎日絵本を読んであげた。
そんなささやかな日常の積み重ねが、いつかきっとこの子達から寂しさを取り去ってくれるんだと信じていたし、そうなって欲しいと心から願っていた。
「嫌なことがあったら、笑えよ・・・」
これは3人の、寂しさを紛らわすおまじない。
僕が笑えば子供達も笑うから、毎日毎日僕は笑った。
「さぁって、今日も1日楽しかったねぇ」
これがおやすみの合図で、子供たちは「うん」と言って、眠りにつくのだった。
「どうかこの子達のこれからの人生に、楽しいことばかりが訪れますように・・・」
子供たちが寝息を立てて夢の中に行くまで間、布団の中でずっとずっと祈っていた。
この世界に神様がいるとは思えないけど、子供たちのために祈らずにはいられなかった。