「疲れた・・・いつものように、」
本当に、本当に疲れた。毎日、朝が来て子どもを起こして、朝ごはんして洗濯する。中学生の子どもたちが素直に、さっと起きてくれる日は少ない。なんども・・なんども起こし、時に罵声まで浴びせられる。「もう・・・興味ないわ」ついにつぶやいてしまった。
準備した朝ごはんをテーブルに用意することもせず、私は納屋に隠れこんだ。じっと潜んで、子どもたちが出かけるのを待った。顔を合わせば、反撃の言葉を浴びせられ、「お前、死んでくれ」と言われることがわかっているから。
以前であれば、「誰のためにやってると思ってるんや」と私が切れて、とっくみあいに何度もなった。上の子どもとは、命かけでけんかしたこともしばしばであった。
こうなってしまったのは・・・5年ほど前から。子どもや夫に対して、理不尽な切れ方をいっぱい繰り返してきた・・・・と思う。正確には、覚えていない・・・・のかもしれない。
ひどい母親だ・・・しかし、これも子どもたちの運命。
とにかく、頭が痛くなり・・めまいがして、気が付くとものすごい勢いで、ヒステリックに怒っている自分がいる気がする。自分で、自分を変えたいと思っているのか・・・?それすらわからない。
甘えているだけなのか・・・・?
興味がない…自分のことで精一杯なのか・・・?そう問いながら、意識が飛ぶように眠りに落ちる。眠っても眠っても・・頭が痛い。耳鳴りがする・・・遠い世界にいけるような・・・でも行けない。
死にたいとは思わない。どんなに、しんどくても、やっぱり自分をメンテナンスしながら、過ごしていたい。こんな自分でも、生きている限り、人の役に立ちたい。そう思う。
なのに・・・子どもに興味が持てない。進路を考えないといけないわが子に、興味が持てない・・。ただ、生きているのではない、生かされている。お迎えが来るまで、生きる生き抜く・・それだけは、伝えたいと思う。
それが、私にできる雄一のことなのだろうか?
「生きていたくない」と毎日言い続ける父親に向かって、このことを話した。そして、父はまたもや、パニックを起こす。「ああ・・・またやっている。かわいそうに、もっと早くしねたらよかったのに・・・ね。」
生きるということは、本当に酷なことだ・・・・。
それでも、私は生きていく。こうして、書くことで、すーっと心が落ち着いていく。