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留学・海外インターンを経て、大手企業→ベンチャー企業→個人事業主になった私の、これからの目標。

Image by Olia Gozha

高校生のとき、アメリカ留学中に起きた9.11。
それがきっかけで、国連で働きたいと思うようになりました。

海外インターン、大手企業への就職、海外での仕事、ベンチャー企業への転職と、さまざまな経験を経てきました。


■はじめてのアメリカ留学で経験した9.11

高校生2年生のとき、帰国子女の同級生に影響を受けて1年間のアメリカ留学を決意しました。
当時は授業で習う英語ができるレベル。

スムーズなコミュニケーションが取れるようになるまで3か月はかかりました。自分の思いをきちんと伝えられないのが悔しくて、とにかく一生懸命勉強したことを覚えています。


アメリカへ行った1か月後、のちに9.11と呼ばれる同時多発テロが起きました。

不慣れな土地で、コミュニケーションも満足に取れない場所での生活で、自分自身としっかり向き合えたこと。世界に大きな衝撃を与えた事件を目の当たりにして、社会のことを考えるようになったこと。


これをキッカケに、「国連で働きたい」と思うようになりました。


アメリカのコミュニティガレッジに進学し、帰国してからは日本の大学に編入、そして大学院に進学し、大学院生のときに国連のインターンに参加しました。


■国連というハードルの高さ、就職という選択

国連でのインターンは、想像していたものとかなり違いました。
TVでよく見る現地での救護や支援活動を想像していましたが、

実際には、現地の事務所でサービスを提供するNGOやソーシャルワーカーさんを訓練するのが国連の役割。そして現地での活動を支援者に報告するという仕組みです。


私が配属されたのはフィリピンの現地事務所。被災した子どもたちの保護が仕事でした。政府や外務省などとも関わる責任ある仕事。

当時フィリピンは内戦が起こっていたので内戦地に装甲車で乗り込んでいくような危険な状態に「こんなところでは働けない」と心が折れてしまうこともあり、実際に働いてみて、世界のトップ機関のレベルの高さを思い知りました。


今の自分ではとてもこの機関ではやっていけない。

もっと実力と語学力を身につけなければならない。


「民間の優秀な会社に入って経験を積みなさい」と国連職員さんからアドバイスをもらい、国連で働くための手段のひとつとして、自分の中で3年という期間をもうけ大手コンサル会社に就職しました。


■働くということで得る学びの大きさ

入社したコンサル会社の働き方はとても厳しかったです。"成長意欲の塊"のような人が多く、とにかく実力主義。学歴や語学力なんて関係ありません。

とにかく頑張らないと。そう思える環境でした。

のちに個人事業主としてスタートしたときにも、ここで学んだスキルや経験、そして人脈がとても支えになってくれました。


海外につながる仕事ではありませんでしたが、ビジネスの基本はすべてここで学びました。


入社から3年が経ち、そろそろ海外に出なければ、と考え
人材サービス会社に相談に行きました。

縁あって、その人材会社の海外試写の立ち上げメンバーとして働くことになり、舞台はシンガポールへと移ります。


■海外で働くというイメージとのギャップ

一概に「海外で働く」といっても、海外の日系企業で働く、外資系で働く、現地の会社で働くかなどで大きな違いがあります。

私は日系の企業でしたので、クライアントも日経企業ばかり。
社内は現地スタッフが多いものの、社内では日本語をつかう機会も多かったです。

想像していた海外就職とは少し違ったな、と思いながら働いていました。もっと大変だと思っていましたが、留学やインターンに比べると比較的落ち着いた環境だったのです。


留学したときは、とにかく仲間外れ感があって、授業についていくだけも必死。
毎日予習復習に必死でした。

国連のインターンも「今の自分ではダメだ」と思い知らされるほど厳しかったのに対し、シンガポールは土地柄もあって、英語は訛りがあるから完璧じゃなくてもなんとかなるし、孤独を感じることもありませんでした。


なんとなく自分には合っていないと感じ、転職を考えるようになりました。

そのころベトナムへの異動の話もあり、ベトナムでは自分の思い描くキャリア形成ができないと考え、シンガポールで働いて1年、今度はアジア系の人材を日本の企業へ紹介する人材会社へ転職します。


■大手からベンチャーへ。

大手企業からいきなりベンチャー企業への転職でしたが、仕事の裁量が大きい職場というのは自分に合っているな、と思いました。

営業だけ、売るのはこの商材だけ、というわけでなく、とにかくなんでも自分でやらないといけない。1つの企業で何十年も同じ仕事する人をとてもすごいと思うようになりました。


私はチャレンジできる環境に身を置いていないとダメになると思います。

仕事は8割英語でした。お客さんは日系企業でしたが、紹介する人材はアジア圏の人たち。
もちろんメールも英語です。


そしてベンチャー企業での経験が、独立するキッカケにもなりました。


体調を崩してしまい、今後のことを考えたとき、
復帰してもまた同じように体調を崩してしまうのではないか、と思いました。

どれだけ無理をしてでもついていきたい!と思える人がたくさんいる環境でもなかったので、独立することを選んだのです。


留学→海外で国連インターン→大手企業→ベンチャー起業→個人事業主という

なかなか異色な経歴が出来上がりました。


■語学力を磨く、お金を稼ぐ以外にも、価値のあること

留学や海外で働いた経験があれば、その経歴を活かしどんどん大手の企業へキャリアアップしていく人のほうが多い、

もしくは大手に入るための手段のひとつとして海外経験を積む人のほうが多いと思います。

私がこれまでの社会経験で分かったことは、仕事の裁量が大きく、かつ自分の好きなようにするほうがより良い成果が出るということ。


会社に入れば、好きな仕事だけを選ぶわけにはいかない。そして辿り着いたのは個人事業でした。

留学は語学力を磨くだけでなく、自分の人生と向き合うことができる貴重な時間です。


頼れる人が周りに居ない、そんな自分1人の環境に身を置くと頭が冴えます。

普段はなんとなくでもやっていけるけど生きていける。

でも、見知らぬ外国ではなんとなくではやっていけません。


日本は何故こんなにも安全なのかを考えると社会にも興味が出るし、
自分自身のルーツをたどる良い機会になります。


そして何より、働いてみることが1番大きいです。


働いて気付くこと、学生のころ見えてなかったことがたくさん見えてきます。


国連で働きたいという思いが、
実際に働いてみることで、海外と日本をつなぐ、キャリアで悩む人をサポートしたいという目標に変わったように、人生は進路を変えながら、どんどん進んでいきます。


自分の将来をしっかり考えることができたのは、やはり海外留学とインターンでの経験が大きい。そして実際働いて、その考えを具体化していく。

海外へ行くことがきっかけで、自分と向き合い、今後の人生が変わる。
そういう機会をもっと沢山の人に増やしていけたらいいなと思っています。


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