これは海外赴任で6年半中国の中堅都市で暮らした後、再度日本での生活を開始した中で
私たち・・浦島タロ子(女なので)?
と感じたことをつづったお話です。
早速で恐縮なのですが・・・・読み始める前にお願いがあります。
今から書く出来事は 長く日本で生活している人にとっては
「そんなことも知らないの?バカじゃないの?」
と感じると思います。
が・・・どうぞ、温かい気持ちで読んでください。
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私達が以前住んでいたところは、上海などのきらびやかな大都市ではなく、
”広東省中山市”
という華南地区の中堅都市に住んでいました。
名前を言われてもねえ・・・知らないと思う人が大多数だと思いますが、あの有名な”孫文”の生誕の地でもあります。
日系企業工場が多くあるため日本人駐在員はそれなりに住んでいるのですが、家族帯同者が少ない!
理由は・・・
・日本人学校なし
・インターなし
・ローカル病院しかない
・英語通じない
この状況に加え、中国に対するイメージは悪く・・・・実際に帯同している世帯が20世帯ぐらい、しかも子連れなんてのは皆無に等しく5世帯あればよいほどでした。
そんな状況でしたが、意外に生活してみると、ローカル生活が突っ込みどころ満載で楽しすぎてはまってしまいました。なので、最後は後ろ髪ひかれる思いで・・・・帰国しました。
我が家には3人の子どもがいます。一番上は小学高学年、二番目は1年生、一番下は5歳の幼稚園児。
一番上は3歳の時に、下2人は生まれた時から中国生活を始めたので3人とも日本人でありながら、日本の生活は初めての体験です。
しかも、子どもたちはすべて現地の学校に通っていたので日本の学校は未知の世界・・・・