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第2話 ゴンちゃんから学んだ"生き方"【断捨離が行き過ぎて家まで無くなったけど世界中に◯◯という本当に欲しかったものを手にいれた話。】

Image by Olia Gozha

第2話の1 ゴンちゃんとの出逢い


ゴンちゃん「お母さんが言ってたの!人生をワクワク生きる為には、荷物を持つ不安よりも大切な◯◯を持ちなさいって。」




 20:30 アルバイトが終わって、バイト先で一緒だったゴンちゃんの家に遊びに行くことになった。





スーパーのレジ打ちのアルバイトが終わって

カフェで雑談する二人。




わたし「でもさやっぱり、女の子の部屋に行くのってなんか緊張するよね!」

ゴンちゃん「えー、でも私の家何も無いよ(エヘッ)」

わたし「整理整頓してるってこと?女の子の綺麗な部屋憧れるわー」

ゴンちゃん「いや、本当に何も無いの^^」

わたし「何も無いって言っても女の子だし、毎日かわいい服着てるじゃん」



一人暮らしの女の子の部屋に行く



当時20歳だったわたしは、ただそれだけで

テンションが上がっていたと思う。



今思えばこれが青春。



きっと誰もがこのくらいの年頃は、

完全にテンションが上がったんじゃないかと思う。



だってわたしも人の子、男の子。




何かワクワクした気持ちで青春のドアが開くのを待っていた。




ゴンちゃん「じゃあ、ドア開けるねー」

わたし「はーい!(ワクワク)きっとおしゃれなカーテンで、なんか可愛い小物があって・・・って?」

ゴンちゃん「ね!何もないでしょ^^(ニコ)」

わたし「あれ?そっか!引っ越ししたって言ってたもんね!荷物まだなんだ。段ボールも見当たらないし。」

ゴンちゃん「いや、これで全部だよ(ニコ)」





ゴンちゃんの部屋の中で見当たったのはベッドだけだった。







よく整理整頓術なんてブログで見たりテレビで特集が組まれているけど

本当に何もない部屋がこの世の中に存在するなんて・・。




失礼かもしれない、そう思いながらも

でも、どうしてもしなければいけなかった。




それは、冷蔵庫の確認業務。




スーパーマーケットでアルバイトをしていた私は確認せざるを得なかった。

冷蔵庫の中にある食べ物の在庫や鮮度を確認するのは私の責任ある仕事だった。


※気分を害された全国の女性の皆さま、心よりお詫び申し上げます。




わたし「とても、とても言いずらいんだけど冷蔵庫って見てもいいかな?」

ゴンちゃん「別にいいけど^^(ニコ)」

わたし「ない。何もない!!!!!!!食材どうするの?」

ゴンちゃん「だから何もないって言ったじゃん」





本当に何もないゴンちゃんの部屋に軽く引いたわたし。




でも、それと同時に今までにない興味が湧いた。




「なんでこんなに物がないの?」

「お母さんが言ってたの」

「うんうん」



ゴンちゃんママ「スーパーやコンビニにあるものは全て自分のものだと思いなさい。そして、荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい。」




荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい。





このゴンちゃんママの言葉がわたしの人生を変えるとは、この時は思いもしていなかった。




この時はただただ受け取ることで精一杯だったんだと思う。




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第2話の2 死にかけて◯◯で食いつないでいた話




スーパーやコンビニにあるものは全て自分のものだと思いなさい。

荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい。


この言葉によって私の中の小さな歯車が、今まで動いたことのない歯車に重なり合ったように感じた。




ゴンちゃんの実家

〜岐阜県でペンションを家族経営している。お父さんの作るフランス料理が絶品。引きこもりの子がここに泊まって元気になって帰ったという、何か秘めたものを持つ居場所と噂されている。〜




話はこのゴンちゃんとの出逢いから2年前。2007年18歳にさかのぼる。




栄養を取るよりも体力の消耗の方が勝っていた私の身体は、

衰弱して起き上がることも出来なくなっていた。




大学1年生でうつ病と医者に宣告された私は、医者に実家に帰りなさいと言われていた。

でも戻ることは出来なかった。




環境を変えれば上手く行くかもしれない。




この大学生活が私に残された最後のチャンスだと腹をくくって田舎から出てきたからだ。





身体が衰弱して起き上がれずに奨学金だけでは生活費を賄えず、家族に助けを求めても真剣に話を聞いてくれることは無かった。


勝手にエアコンを付けたら激怒されるほど、わたしの家はとてもお金にシビアだった。


アルバイトをするにも身体が思うようについてこない。お金が無いと死んでしまうから働かないといけない。



そんな抜け出せるかも分からない負のサイクルで私の暗黒の青春時代は始まった。




どうしたら、朝から晩まで働き続けることが出来る体力がつくのだろうか。

私は社会人になることが出来るのだろうか。



そんなことを毎日真剣に考えていた。





そんな当時のわたしは、これで食いつなぐことになる。






読者Aさん「これはもしや?」

わたし「競艇です。」

読者Bさん「いや、むちゃくちゃじゃないですか。同情したわたしの気持ちを返してください。」

わたし「すみません。。でもまだ続きが。」




むちゃくちゃな話だけど、人間は死の境界を越える一歩手前でとても冷静になることがある。


第六感というものがあるならばおそらくそれで、



わたしの勝率は、100回行って99回勝つというプロギャンブラーに匹敵する勝率だった。



はっきりと今でも言えるのは、この競艇が無かったらわたしは今ここに生きていないということ。




2006年17の高校時代。



世間では17の良いな。可能性の塊と言われている中で、わたしは人生の最底辺にべたりとへばりついていた。



どんな精神状態だったかというと、


自販機で買ったばかりのコーラを憤りの無い気持ちになって地面に投げつけるほどだった。





親も教師も信じることが出来なくて、今生きている世界全員が敵に見えた。



一人で生きて行くしかないんだ。



そう思うけれど、生きる決意をしても身体が思うように動かない。

気づけば対人恐怖症になっていた。



誰も助けてくれない。誰も信用できない。自分の身体も心も信用出来ない。

この時、私に唯一1本の細くて明るい光を差し伸ばしてくれたのが、競艇だった。



17歳。悪友に勧められた競艇を始める。



競艇は、私に可能性という言葉を教えてくれた。そして高校時代、唯一の居場所になっていた。




しかし、そんな競艇生活もずっと続くはずもなく



2009年20歳の夏、ある時をきっかけにわたしの競艇人生は終わりを告げる。




その頃、1日12レースある競艇のレースに賭ける金額は80,000円を超えていた。

元々理系だった私が作り上げた法則で運用していたお金が、私のたった一つのタイプエラーで崩れ去った。


スマートフォンで舟券を買って間違えて3連単の数字を一つ打ち間違えた。



たったそれだけのことで、

一瞬のように貯金はゼロになった。




いくらこれで稼げても一生続けることは出来ないだろう。

そんなことを冷静に考えていたことを今でも鮮明に覚えている。



そこからまた、一歩右足を踏み出せば生と死を彷徨う状態に陥っていった。




そして、ゴンちゃんと出逢うのだった。


わたし「ゴンちゃん」

ゴンちゃん「はーい!(エヘ)」



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第2話の3 人を幸せにするということを考えたら180度人生が変わった話。



わたし「そういえばゴンちゃんって友達多いよね!」

ゴンちゃん「そうかな〜」

わたし「どこに行っても男女関係なく友達がいるようにみえるけど」

ゴンちゃん「そうかも!みんな私のことを助けてくれるからね(エヘ)」


ゴンちゃん「ママが言っていたの。」

ゴンちゃんママ「誰かにとって憎たらしくて許せない人も誰かにとっては、かけがえのない大切な人なの」

ゴンちゃん「だから大切な人を助けながら生きていきたいの」

ゴンちゃんママ「人の為になることは何でも仕事になるのよ」

ゴンちゃん「ママ、言ってたもんね。世の中で一番多いのは人間でも動物でもなくってお金だって」

ゴンちゃんママ「そうよ、世の中にはお金なんていくらでもあるんだから必要なだけ集めればいいだけなの」

わたし「そうか、ゴンちゃんママにかかれば世の中のお金さえも自分の財布の中に入っているのと同じなんだ。。」

ゴンちゃんママ「わたしにとって大切なのは、私の周りが幸せであることなの。そうすると私も幸せでしょ。(エヘ)」

わたし「でた!エヘ」




誰かにとって憎たらしくて許せない人も誰かにとっては、かけがえのない大切な人なの


だから大切な人を助けながら生きていきたいの

人の為になることは何でも仕事になるのよ


世の中にはお金なんていくらでもあるんだから必要なだけ集めればいいだけなの。




それからわたしは、わたしにとって本当に大切なものは何かを考えるようになった。




ものを片付けることは、心を整理することに繋がった。


着るか着ないか分からない服をもう着ることはない。何故ならば、本当に必要な服であれば着ているからだ。



本当に必要なものなんて実はほとんどないのだと知るのだった。


実は私にとって、必要じゃないものばかりを追いかけていた毎日。


自分がカッコいいと思うスタイルは、シンプルなスタイル。そしてスタイリッシュで安っぽくない感じがいい。


そんなことを考えていたら、たまに着る服が自分の人生を邪魔していたことを気づいたのだった。




そして断捨離して私の荷物は半分に減った。






ゴンちゃんママが言っていたように、


わたしが行っていた競艇は、決して周りのひとを幸せに出来るものではなかった。


選手の方々がわたしを幸せにしてくれても、わたしは誰も幸せにすることは出来ない。




わたし「ほんとうに人の為になることは何でも仕事になるの?」





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