top of page
宮崎に戻り3年。
きっかけは、あるNPO。
当時は、世間も、他人も、自分自身の事すらもよく解っていなかったし、根拠のない自信ばかりが漠然と先行していた。
人も物も金も情報も、袖振り合う人たちも、都会とは圧倒的に母数が違う(と思ってた)過疎地なんかにはぜってー戻ってたまるか、
と。転勤族の団地育ちだから地元も地元愛もクソもないけど、戻ることになった。
ハロワで見かけた、あまり見かけない横文字の団体。
某一流外資企業のトップセールスマンが独立し、
串間で起業し、活動していると読み、愕然。もの好きだな、と思ったと同時に、ものすごく興味が湧いた。
即座に連絡を取った。面接と勘違いされ、その場で採用。働く事になった。
そこから僕の人生が、狂った。限りなく愛を込めて。笑
某○ロ組織の指導者に似ているボス。人より肩幅の広い、塩づくり職人。ぶっ飛んだ猪漁師、日々訪れる旅人と接する日々。価値観は日々アップデート。
関わる立場は変わりながらも、繋がり続けた。
旅や、出会いの中で様々な人の生き様を見てきて、一歩すら踏み出せず、なにものにもなれない、自分自身にも問うた。
「どう社会と関わってきたいのか=どう死にたいのか」
順序が逆だが、遺影を撮った。それくらい悩んだ。
人生は一度きり。もう25才だ。
例え嫌いだった土地だとしても、僕の住むまちに僕の好きな人たちが住んでいて笑っている、それだけで充分だ。
この前嬉しい事に、久しぶりに肩幅の広い人と飲んだ時に、もらった言葉でハラオチした。
「答えを生きる事」。
不満をあげたらキリがない。相手を変えるなんて烏滸がましいし、果てしない時間が必要。
自分が答えや問いになればいい。ただ愚直にやっていくだけ。雑音なんて気にしない。そんなん構ってる暇すらない。
今年もやる。
bottom of page