社長「あのな、阪口。100パーセントの確立で夢を叶えるためには、どうすればいいと思う?」
これは2008年、僕がまだ大学3年生のとき、西新宿のとあるデザイン会社で、インターン生として働いていたときの話です。
営業をまかされていた僕は毎日スーツを着て、汗だくになりながら、西新宿のビルを、革靴で歩きまわってひたすら飛び込み営業をして回っていた。
その会社の社長は、"熱の塊"のような方で、僕は学生インターンでありながら、学生インターンにあるまじき「教育」と「訓練」を受けていた。
半年間。
泣かずに帰らなかった日がないほど。
徹底的に、働くということ、男気というもの、そして人間力というものを叩きこまれた。
僕は、そのとき小説家になりたいと思っていた。
そのころを知っていた社長は、ある営業に、僕が付いていった帰り、【100%】夢を叶える方法を教えてくれた。
「もしお前が夢を叶えたいんなら、穴を掘り続けろ」
「穴、ですか?」
「そうだ。穴だ。
ここだ、ここに掘るんだ」
社長は、コツコツと
靴先で地面を叩きながら、
「ひたすらに、掘れ」
と言った。
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「穴を掘ろうとするとな、
3つの邪魔が入る。
まずひとつは、
『穴なんて掘っても仕方ないだろ』
という不安感だ。
地面の中には
望むものが埋まってるらしい。
でもほんとうに掘れば
出てくるのか確信はない。
だから掘らない。言い訳もする。
良いスコップがない。
自動掘削機が欲しい。
今日は疲れてるしダルい。
別に今日はじめなくても
明日やればよくね?
そんな風に考えて
穴すら掘り始めようとしない。
掘れ。
道具がなくても掘れ。手で掘れ。
疲れてる?掘れ。
眠い?掘れ。
とにかく今日から掘り始めるんだ。
たいていの人はまず
穴すら掘り始めようとしない。
だからお前はそうなるな、掘れ」
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「次に、周りの奴が邪魔してくる。
『おい阪口!
お前そんなところで
なにやってんだよ!
穴なんて掘ってないで
遊び行こうぜ!
飯食いに行こうぜ!
合コン行こうぜ!』
そんな風に横槍が入ってくる。
それは友達だったり恋人だったり
家族や教師や、世間体だったりする。
色んな形をしたものが
お前の手を止めようとする。
でもお前は、
その声に絶対耳を傾けちゃいけない。
耳をふさげ。集中しろ。
ただひたすら、
スコップ動かし続けて
穴を掘りつつけるんだ」
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「最後の邪魔はな、
『自分自身の声』だ。
こんなところを掘っても
何も見つからないんじゃないか?
こんな辛いことしなくても
もっと楽な方法があるんじゃないか?
そんな不安がお前の手を止めようとする。
そして、
あと10センチ掘れば
お宝が出てくるのに、
その10センチ手前で
穴を掘るのを止めてしまう。
たいていの人はまた
ここで手を止めてしまう。
すぐそこに、求めていたものがあるのに。
だからお前はそうなるな、
見つかるまで
穴をひたすら掘り続けろ。
そうすればお前は
100パーセント必ず
夢を叶えることができる」
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先に身体が悲鳴をあげてしまった。
19歳のときにその言葉を聞いてから、27歳になるまでの8年間、僕はずっと穴を掘り続けてきた。
「阪口、お前はこれからどうする?」
就職活動を放棄する
就職活動を放棄したときも
アジアを放浪したときも、
食い扶持を稼ぐための仕事をしたときも、
僕は書くことだけは諦めなかった。
23歳で、うつ病になって
小説家を諦めてしまったけれど、
日記を書くことだけは止めなかった。
ベース一本で日本縦断したときも、
福岡の志賀島で働いてたときも
あいりん地区に潜伏していたときも、
そして出国してからは
旅先で出会った風景や物語を
書き続けた。
そして、インターンから8年、深く、深く穴を掘り続けた結果、僕は、思わぬ方向から作家になることができた。
うつ病になって、小説家になることを諦めてからの2年間に起こったことがそのまま1冊の本になった。
うつ病になったとき僕は、
スコップを放り投げようとした。
でも、血だらけになったその手を
もう一度握りしめることができたから
今、僕はこの瞬間を
手にすることができたのだと思う。
たくさんの本屋さんで
僕の本が並んでいるのを見ると
いつも、社長の言葉を思い出す。
穴を掘り続けてきてよかった。
そして、僕はまだまだ
この穴を掘り続けたい。
10年、20年、30年。
どんなに辛いことがあっても
焼き焦がれるような苦痛があっても
僕は、このスコップを絶対に離さないだろう。