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15/11/20

【家族の決断】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(11)

Image by Olia Gozha

※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)


 父を家に連れて帰りたいということについて、妹であるあいとあきへの相談が遅れたのには理由があった。

 ひとつは、これというショートステイと訪問看護事業所が見つかっていないこと。

 もうひとつは、母が私に、「あいは、介護は大変だから私にさせたくないってさ」と言っていたことだ。


 あいは、特別養護老人ホームで10年間介護福祉士として勤務していたのだ。

 彼女は、異業種の私には想像もつかない苦労をしてきたのだろう。

 でも、それでも、父の在宅介護について、理解を示してほしかった。

 それに、介護経験がない私が何を言っても説得力にかけてしまう。介護プロであるあいの言うことなら、母も素直にきくように思えた。


 母と、あいと娘のういちゃん、あき、私とふうで、病院の談話室に行く。

 そして、ふうを膝に乗せて椅子に座った私はせきを切ったようにしゃべりだした。




「こんなことを言うのは身勝手かもしれないが、私はお父さんに家に帰ってほしい。

病院や施設よりも、在宅の方がお金がかからないというのもあるけど、それだけじゃない。

私はずっと、お父さんの塾の手伝いで苦労してたお母さんに、楽をしてほしかった。

でもお父さんが胃ろうを選択したのは、きっと家に帰りたいから、お母さんと一緒に家で過ごしたいからだよ。

 娘としては、お父さんとお母さんの、両方が幸せになれる道を探したいんよ」


 母の目から不安の色は消えない。

「でも、夜中とかに脳出血を起こしてしまったらどうするの? 気づかないかもしれない……」

「でもさ、お父さん昔から、寝ている途中に息が止まるってよく言ってたじゃない。今までだって、その可能性はあったんだよ」

 父は若い頃から、眠っているときに息が止まり、深く眠れない……不眠症を抱えていた。

 そして眠るのにアルコールを必要としていた……それも脳出血を引き起こした要因のひとつかもしれない。


 結局、睡眠時無呼吸症候群によるものと判明し、治療によって改善できたのは、50代を過ぎてからだった。


 


「もしお母さんが気づかないときに脳出血を起こしてしまっても、誰も責めないよ。お父さんも、きっと責めない」

「本当に?」

「うん。当たり前じゃない。

それに、家にいたら、ふうもういちゃんも、長いことお父さんのそばに居られるよね。

病院だと、どうしても退屈しちゃうし、特にふうは騒いじゃうから、私も叱ってしまうし、長い時間いられない。

「……」

「家だったら、TVも気兼ねなく見られるよね……」


 父は、TVが好きだった。

 毎週日曜日のお昼は、NHKで囲碁の番組。

 漫画の「ヒカルの碁」で囲碁ブームが起こった頃は、「生徒がわしに囲碁の話をしてくる!」と嬉しそうだった。


 それから、父は生徒との話題づくりも兼ねて、はやりのドラマもチェックしていた。

 最近では、GTO2がお気に入りで、

「ふうは友達(ダチ)だから!」

と、口調を真似てよく言っていた。

 また、大晦日には、家族が紅白やレコード大賞で盛り上がる中、一人さみしく格闘技を観ていた。

 お笑いでは「笑い飯」が好きで、M-1グランプリでは家族の理解できないなどの声に全く耳を貸さず、

「やれやれ、あの面白さがわからないなんて、お前らもまだまだだな」

と言いながら応援していた。

 ああそうだ、リタイヤしたシニアが活き活きと田舎暮らしをする番組である、「人生の楽園」。

 あれも、毎週欠かさずチェックしていた……。


 私は続ける。


 「お母さんさ、おばあちゃんのお葬式のこと、覚えてる? お父さん、挨拶の時、泣いててほとんど喋れなかったよね。おばあちゃんの介護がしたかったって泣いてたよね」


 父方の祖母は、10年ほど前、認知症が出だしたかも……というタイミングで、病気になり70代でこの世を去った。

 父が泣いているのを見たのは、私が小学校の頃に、父が誤って交通事故を起こした日の夜、祖母のお葬式での挨拶、それから私が子どもを中絶することになって、一緒に高橋先生のところにいった日の3回だけだった。


「お母さんもさ、このままお父さんが病院で亡くなったら、後悔するんじゃないの? お母さんは、お父さんは苦労ばっかりして可哀想だ可哀想だっていうよね。でもこれからのお父さんが可哀想かそうでないかは、お母さんにかかってるんじゃないの?」


ひとしきり、静寂のあと、母が口を開いた。


「……あいと、あきはどう思うの? あんたたちも、お母さんが介護した方がいいって思うの?」


 母が、二人の方を見る。

 まず、あきが口を開いた。

「……あきは、お父さんに家に帰って欲しいし、お父さんも帰りたがってると思ってる。この間一人でお見舞いに行った時、お父さんに家に帰りたいかって聞いたら、うんって言ってた」


 あきは姉妹3人の中で一番のお父さんっ子だった。

 彼女は、私やあいと10近く歳が離れている。

 父も年老いてから出来た子どもなので、あきには甘かった。

 私とあいは卒業旅行すらNGだったが、あきの場合は大学のサークルの合宿にもすんあり許可を出すなどしており、「この扱いの差は何?」と驚愕したものだ。

 前夫の両親も、歳の離れた下の妹さんには甘かったらしいので、そういうものなのかもしれない。


 そういえば、先日、社長がお見舞いに来た時に、「父の机の引き出しから見つけた」と1枚の紙を母に手渡していた。

 それは、あきが小学生の頃に「お父さん、お誕生日おめでとう。これからもずっとあきのお父さんでいてね」と父のイラストつきで描かれたメッセージカードだった。

 父は、それをずっと大切にしまっていたのだ。


 「あいは?」


 どこかすがるような目つきで、母は尋ねる。

 いわば最後の砦、といったところか。

 あいがどんな返事をするか、ふうを抱く手に力を込めたまま、固唾をのんで見守る。

 私の気持ちは、伝わっただろうか……。


「車いすからの移乗とか、着替えとか、私にできる事は、泊まりがけで母さんに教えるから」


「あい……!」


 思わず、飛び上がってガッツポーズしそうになる。


 母はそれを聞いて、ふぅ、と溜息をついた。

 観念した、と言わんばかりに。


「あのね、お母さん、S市に引っ越そうと思うんよ」


「え?」


 S市は、現在私が住んでいる町だった。


「S市にね、私の姉さんが住んでるのよ。もう長いこと会ってなかったけど……。事情を話したら、こっちにおいでって。手伝えることがあれば手伝うって」

 聞いてみると、母の姉は、私の家から、わずか自転車で20分ほどの距離に住んでいた。


 そういえば、私が再婚して引っ越した時に、その辺りは若いころによく行ったと、口にしていた。


「姉さんもね、最初は反対してたんよ。お父さんが倒れてすぐに、お見舞いにも来てるからね。絶対無理って、あんたが苦労するからって。でも最近もう一回来てくれて……あんたが介護する気なら、私も手伝うって。もう私は仕事も辞めたから、時間ならあるって……」



 うちの両親は、結婚を反対されていた。

 理由ははっきりとは聞いていないが、どうも父の父母(私の祖父母)が借金を抱えていたからのようだ。

 その借金は、父が働いて返して完済したらしい。

 当の祖父は、私が生まれる前に他界している。

 父と母の、結婚に向けての話し合い。

 父方は、父の妹夫婦、母方は、母の姉夫婦が出席した。

 その時点でおかしいのだが……母方の両親は遠方なのでという理由、父方の両親は、顔も見たくない! という感じだったようだ。


 また、母は中学卒業と同時に家を出て、姉の家に居候し、働きながら定時制高校に通っていた。

 母の姉が、親代わりみたいなものだったのだ。


 結局その時の話し合いは決裂したらしいが、両親は双方の反対を押し切り、二人だけで結婚式を挙げた。


 私とあいが小さい頃は、父を置いて3人だけで帰省していた。

 お父さんは仕事が忙しいから帰れない、とだけ聞かされていた。

 父が母方の両親と和解したのは、あきが生まれてから。

 あきの出産報告をかねて、一緒に帰省したのだ。



 そして海に近い母の故郷で、田舎暮らしに目覚めたらしい……。


 ただ、和解はしたものの、母の姉は定年するまで会社勤めをしており、また母も父の塾を手伝っていたため忙しく、会う機会はこれまでほとんど無かったようだ。


 その姉が、母と一緒に父の面倒を見ると言ってくれている。

 私は、お姉さんに心から感謝した。


 本当は……理想の形は、父が一所懸命ローンを返した今のマンションで、母と暮らしてもらうことだと考えていた。

 いきなり知らない家にに来ても、父もびっくりするだろう。

 しかし実家は私の家からもあいの家からも遠く、あきもフルタイムで働いているため、頼るのは難しい。

 母が、「姉のそばでなら介護ができるかもしれない」と考えている以上、その気持を壊したくない、尊重しようと思った。

 私も同じ市内にいるから通いやすいし、夫もS市内であればケアマネジャーとして既に色々情報を持っている。

 親切にしてくれた実家の近くのデイサービスの相談員の方には申し訳ないが、一番良い形が見つかった気がした。


 こうして、父母の新しい家探しが始まった。


 続く


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