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15/11/16

【母の反発】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(9)

Image by Olia Gozha

※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)


 2月。

 倒れてから3ヶ月経過し、ソーシャルワーカーの勧めもあり、障害者手帳を申請した。1級だった。

 また、会社との話し合いで、両親が2015年1月末で退職になった。

 保険は国民健康保険の切り替えではなく、任意継続を選択した。

 ここで国民健康保険に変えてしまうと、多数該当(入院4ヶ月目以降から44,000円になる)がリセットされてしまうからだ。




 なお、失業保険は、あくまで今後も働ける人の為のもので、父のようにもう働けない場合は失業保険は出ないという事だった。母がショックを受けていた。

 私も知らなかった。自分の職場では60で定年退職する人が多いが、みんな普通に失業保険をもらっていたようだった。まだ働こうと思えば働けるからだ。


 その代わり? となるのが傷病手当金だが、父が前倒しでもらっていた老齢年金で相殺されてしまう。

 そこで障害年金を選択することにした。

 しかし、こちらは最低でも術後6ヶ月以上経過する必要があり、まだ申請できなかった。


 S病院に転院してすぐ、介護保険の申請も行った。(急性期病院にいるうちは出来なかった。退院か転院の目処がたたないと、ということらしい)

 こちらも要介護5だった。


 療養型病院も、長くは入院できないところがほとんどだ。だいたい3ヶ月で、退院か転院を迫られることになる。

 もっとも、療養型病院の中には、数はどんどん少なくなっているそうだが、長くいられるところもあるようだ。

 それは県内にもあるらしく、そこには何百床もベッドがあった。

 しかし、家から電車で2時間はかかる場所だ。全く意思疎通が出来ない状態ならまだしも……あくまでも、最後の手段だった。



 父親を、自宅に連れて帰りたい。

 口で言うのは簡単だけど、実際に行動に移すのは難しい。

 うちの家は、夫、息子に加え、お姑さんとも同居している。

 お姑さんは、「あんたが長女なんだから、連れて来てもいい」とは言ってくれている。

 しかし、おそらく父の希望は、自分がずっと住んでいたマンションで、母と一緒に暮らすことだろう。

 私が父の立場だったら、そう思うに違いない。



 S病院に入院している3ヶ月の間に、自宅を改修して、父を自宅に戻してはどうか。

 母に電話でそう提案したところ、激しい反対にあってしまった。


「あんたね、この間は私に仕事しろって言って、今度は介護しろとか、いいかげんにして!」

「仕事を勧めたときは、たんもまだいっぱい出てたし、反応も薄かったじゃない。でもその時とは状況が変わってるの!」


 父は、とろみのついたお茶を飲めるようになっていた。(飲みにくいらしく、かなり嫌がるが……。夫も「あれはまずい。お前もいっぺん試しに飲んでみればいい」と言っていた)


 また、数分だけだが、座ったままの姿勢を取ることができるようになっていた。


 少しずつ、少しずつ機能が回復してきている。


 母は続ける。

「私が脳出血に気づかなくて、朝目が覚めたら、お父さんが冷たくなってる可能性もあるんでしょ。そんなの怖い。警察沙汰になるでしょ。あいも勤めてた特養で、何回か利用者が亡くなって警察が来たって言ってたし」


「ちゃんと月2回、かかりつけのお医者さんに定期的に診療してもらっていれば、警察沙汰にはならないから」


 私は、夫から借りた、在宅医療に関する本で得た知識を披露する。


「でも……この間もニュースであったでしょ、介護に疲れて首を絞めて殺害とかいうの。そういうのいっぱいニュースでやってるでしょ。とにかく介護なんて私には絶対無理だから!」


 どうも母は介護にとてもネガティブなイメージを抱いているようだった。


 介護したら虐待してしまうだの、私が介護で疲れている姿をお父さんも見たくないだの、介護出来ないことを前提に、色々と並べ立てる。


 私もついイライラして、


「お母さんが今の家に住めるのは誰のおかげなの? お父さんがせっせとローンを返したからだよね? それなのに、お父さんが寝たきりになったら面倒もみないの? 出来ない出来ないっていうけど、実際お母さんは一度も介護したことないよね? なんでやらないうちから、出来ない出来ないって言うの? それってすごく薄情じゃない?」


 と電話越しにまくし立ててしまった。そして、


「なによ、結局言うだけであんたが介護しないから、なんとでも言えるのよ!」


 と母に涙声で返されてしまった。


 そのとおりだ。


 私は引き下がって電話を切った。


 もし、父が倒れたのが、前夫の離婚後であれば、私は再婚せず、父を介護する道を選んだかもしれない……。

 もし、父が倒れたのが、ふうを妊娠する前だったら……。


 考えても仕方のないことが頭をよぎり、ぶんぶんと首を振る。

 たらればを言っても先に進まない。

 まずは、母が「これなら自分でも何とかなりそうだ」と思える環境を整えることが、必要だ。


 しかし、それは一筋縄ではいかなかった。


 あちこち電話をかけて問い合わせてみたが、とにかく送迎……2階から父をどうやって1階に下ろすか、がネックだった。

 父を送迎車に載せるには、車いすに載せて、階段をのぼりおりしなければならない。


「うちはドライバーしかいないから対応できない」


「うちはドライバーとスタッフの2名体制だが、スタッフは他の利用者を見守る必要があるので対応できない」


「利用したいなら、そちらでヘルパーを探して、そのヘルパーに下ろしてもらってくれ……」


 しかし、今度は近所の訪問介護事業所に電話したものの、女性しかスタッフがいない、人数が足りないので対応できないなどと言われてしまう。

 3月いっぱいでしめてしまうので対応できない、という事業所も2箇所あった。


 夫がいうには、ヘルパー不足で集まらなかったり、2015年4月に介護報酬の引き下げがあるので、採算が取れないと撤退してしまうところもある、とのことだった。


 うちのマンションは80年代、バブル期に建築されたものであり、高層マンションにもかかわらず、エレベーターが全ての階に止まらなかった。

 バブル期のことは小さくてあまり記憶にないが、当時はマンションを買って住みながらお金を貯めて、次はマンションを高く売って一戸建てを買う、そういうのが住まいのイメージだったように思う。

 両親も、長くこのマンションにいるつもりはなかったのだろう。


 その後、バブルは弾けてしまった。


 後で母から聞いた話だが、 バブルが弾けてからもかなり長い間、我が家はバブル期の高い固定金利のままでローンを返済し続けていたようだった。

 見かねた銀行から何度か借り換えを勧められていたが、お金で騙されたことのある父は、「うまい話には裏があるに違いない」と、頑として応じなかったそうだ。


 娘の私が言うのもなんだが、本当に不器用な親だったのだ。


-----

 続く

 お知らせ。私が2014年にSTORYS.JPに投稿したものが一冊の本になりました。



 父も登場します。アマゾンからご購入いただけます。




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