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15/11/15

ダメ人間が逆転サヨナラ満塁ホームランを打つまでの経緯

Image by Olia Gozha

池森です。

前回はRMTで起業して成功した後の事を主だって書ききましたので、今回は起業した経緯や成功までに行った戦略等について語ろうと思います。

最初に僕が起業したRMTとは何かについて説明します。
RMTとはReal Money Tradeの略です。
オンラインゲームの中で獲得した通貨やアイテムを、日本円で売買する行為を指します。
例えば、ゲームの中で大変性能の高い「剣」を手に入れたプレイヤーがいたとします。
その剣を日本円で5万円で買いたいというプレイヤーがいるので、そこで売買が成立します。
オンラインゲームに馴染みのない人にとっては、「ゲームのアイテムに5万円も出す?そんなバカな」と思うかもしれませんが、自己顕示欲で構成された世界の最たる例であるオンラインゲームでは、日常で行われる行為なのです。
多くの場合、性能の高いアイテムを手に入れるには、多大な労力と時間、それに幸運が必要されます。
それこそ一日10時間以上ゲームをし続けて一年に一回出れば大変運がよいというレベルのアイテムもあります。
その為、性能の高いアイテムを手に入れるのは大半が学生や無職、主婦の方が多くなります。
真っ当な社会人はそこまで時間が割けないからです。
しかしながら社会人は、学生や無職には無い物があります。
日本円です。
時間はあるけど金が無い学生と、時間はないけど金がある社会人が同一の世界に存在するため、このようなビジネスが産まれるわけです。
それがRMTです。

RMTの歴史は古く、最古のオンラインゲームであるUltimaOnlineというゲームが生まれた1997頃にはすでに存在していたと言われています。
日本では伊藤要さんという人が1999年にRMTを行う取引場所を作ったのが始まりです。
サイトの名前がRMTだったので、この一連の行為の事を日本ではRMTという言葉で表現されるようになりました。
当初サイト上では、オンラインゲームを引退する人がその資産を売却する為に主だって使われていたと記憶しております。

さて話を僕自身の事に変えましょう。
僕は1999年頃からオンラインゲーム(UltimaOnline)をはじめました。
大学生だった僕はその新しい世界にのめり込み、ゲーム内でも有数な資産家として名を挙げてました。
そしてゲーム内で手に入れた性能の高いアイテムや通貨を一プレイヤーとしてRMTで売却しておりました。
確か月に10万とか20万とかをコンスタントに稼いでいたので、学生の割には羽振りの良い生活をしていたのを覚えてます。
ただこの時点でRMTを生業にして生きていくつもりは一切ありませんでした。
当時RMTの状況としては、引退者が資産を売却する際に使われる以外に、常にゲームのプレイヤーから通貨を買い取り、それに手数料を上乗せして販売するという所謂「業者」と呼ばれる人々が参入してきておりました。
しかしながらゲームの通貨やアイテムを売買している業者自体はゲームプレイヤーからも蔑まされる存在で、僕自身何一つ興味を覚えなかったのです。
UltimaOnlineが一生続くとも思いませんでしたし、アイテム売買で生活するのは格好悪いと思っていたのが正直なところです。
それから僕は、オンラインゲームは引き続きプレイしながらも2003年から社会人としての生活をスタートします。
日々忙しく、終電帰りは当たり前の状況で、大変辛かったのを覚えてます。
そんな折ふとRMTサイトを見てみると、オンラインゲームの数がUltimaOnline以外にもFinalFantasyやRagnarokOnline等、幾つか増えているのに気が付きます。
勿論ゲーム内で他ゲームの評判を聞くことは何度もあったのですが、RMTが行われていることまでは知らなかったのです。
そしてその時に僕は考えました。
UltimaOnlineだけの通貨売買を生業にするのは格好悪いし先が無い、でも複数のゲームに跨って何かしらの形で参入するのならばそれはそれで面白いことになるのではないか、と。
そう思いたち、すぐにアイデアを深掘りします。

まずはオンラインゲーム自体の未来。
これは確実に伸び続けると確信しておりました。
つまり実際の世界(リアル)で弱い立場の人間が、オンラインゲームの中ではヒーローの扱いをされることがしばしばあり、そこに居心地の良さを求める人間が多数いるという判断です。
この流れでいくと将来的にオンラインゲームの数が増えていくのは間違いない。
市場規模が増えるに従って売買需要も続くだろう。
が、しかし、そうなると業者の数も際限なく増えていくし旨味が無いのでないか。
そうなんです。
このビジネス、始めるにあたって参入障壁が低いんです。
必要な知識や資格はほとんどありませんし、事前に用意する物も無いのです。
ただサイトを作ってゲームのお金を買い取り、それに利ざやを乗せて売るだけ。
誰でも出来ます。
学歴や職歴、コミュニケーション能力など全く関係のない世界です。
さらにこのビジネスの厄介なところは、差別化が効かないところにあります。
つまり、誰が売ろうがゲーム内でのお金はゲーム内でのお金。
「100ゴールド」は、「100ゴールド」なんです。
そこに「質の良い100ゴールド」と「質の悪い100ゴールド」はありません。
それを考えると、最終的には値段の勝負になります。
いかに利ざやを薄くするか、薄利多売のモデルです。
しかもライバルは雨後の筍の様に出てくるのが目に見えて分かってるという、鼻から無理目なビジネスです。
正直これはこの方法で参入するには旨味がないとちょっと頭の良い人間なら判断できます。
幸い僕もすぐにこの結論にたどり着きました。
それならどうする?参入するのを辞めるか?いやいや、こんな旨いビジネス、何かで絡んだほうが得だろ。
というわけで僕が考えついたのは大きく分けて二つ。

一つ目はプラットフォームを抑えること。
二つ目はエスクローサービスを始めること。

まず、プラットフォームとはこの場合何を指すのか。
それは伊藤さんが運営されていたRMTサイトのように、業者や個人が集まり取引をする場所、です。
業者は星の数ほどあれど、プラットフォームは一つしかありません。
ここを完全に抑えると、オンリーワンのポジションになれます。
性質上スイッチングコストが非常に高いので、先行優位性を活かしてシェアを取れたのならば、競合が出てきたところで打ち勝つことが出来るでしょう。
業者を取りまとめる事にもなりますので、必然的に業界内での立場も強いものに成ることが出来ます。
さらに嫌な表現をしてしまうと、プラットフォーム、コミュニティを抑えることで情報のコントロールをすることが出来ます。
都合の悪い情報はシャットダウン出来ますし、自分にとって都合の良い方向に市場を向けられます。
つまり、業者がやってる様な、ようわけの分からんアイテムをゴチャゴチャ売ってるようなモデルではなく、一番の根幹である部分を抑えよう、という事です。

二つ目のエスクローサービスとは、仲介サービスの事です。
RMTの取引は、業者と個人の取引が多数ありますが、個人間での取引も同じぐらい多いのです。
しかし、個人情報を開示しサイトを構えた業者との取引と違って、素人同士の個人間での取引はトラブルが多いのが現状です。
お金を払ったのにアイテムをくれなかったとか、個人情報を開示したら悪用された、などです。
そこに目をつけた僕は、それなら個人間取引の仲介サービスを始めたら良いのではないかと思いました。
ここに参入するプレイヤーは今のところいなかった為です。

このようにして二本の柱を考えた僕が真っ先に行ったことは、一つ目の柱であるプラットフォームの独占、でした。
当時、最初にRMTを運営していた伊藤さんは、諸般の事情によりサイトを別の会社E社へ譲渡しており、そのE社がRMT(仮名称E-RMT)を運営していたのです。
が、僕から見てみるとE社の運営は非常に素人的で雑。
とてもオンラインゲームに精通しているとは思えず、そもそもIT知識がなさすぎるナンセンスなレベルだったのです。
これならば打ち勝つことも容易だろう、と考えたのです。
そしていつ仕掛けようかと考えていたその矢先、すぐにチャンスが訪れます。
E社が一ヶ月後にE-RMTを有料化することを発表したのです。
取引をしたかったらお金を払ってね、ということです。
今の御時世では有料化というのはあまりおかしい事ではありません。
しかし2004年当時ではまだネットのサービスを利用するのにお金を払うというのは一般的ではなかったのです。
これは確実にコケる、勢力図を塗り替えるチャンスだ、と思いました。
そして発表から2時間後。
僕はすぐに全く同様のサイト「P-RMT(仮名称)」を立ち上げたのです。
ぱぱっとプログラミングして、とりあえず見れる体のデザインにして、コーディングして、と。
そしてサイトを立ち上げた僕がした次のことは何か。
それは当時有力だった業者全員を裏で身内に引き込む事でした。
今で言うインフルエンサーを抱え込む、という概念ですね。
当時業者は全員広告費を払ってE-RMTに記事を出してました。
それを「しばらく広告費いらないからうちを使ってくれ。可能ならば有料のE-RMTでは記事を出さず、無料のうちだけに記事を出してくれ。絶対にE-RMTよりトラフィックが多いから」と持ちかけたのです。
当時RMTの主流だったUltimaOnlineの業者は一プレイヤーとして付き合いがあった為、懐柔するのは非常に容易でした。
彼らはE-RMTには記事を出さず僕のP-RMTのみに記事を出すことを約束してくれました。
その分広告は無料で良い位置に掲載する、と取り決めはしましたが。
そして他に有名なゲームFinalFantasyの業者の人たちも「E-RMTは様子見をして僕のP-RMTには記事を出す。その代わり広告も無料で掲載してくれよ」と約束してくれました。
さらにこれだけでは飽きたらず、RMTを行っている人たちが見ているであろう某匿名掲示板等でも積極的にアプローチし、その上図々しくもE-RMT内においてでさえ宣伝を行ったのです(E社は何故か書き込みを放置してくれたので助かりました)。

そして運命の一ヶ月後。
E-RMTが有料化へとリニューアルをしたところ……。
あれだけあった広告と記事はほぼ0。
そして当日正式オープンした僕のP-RMTは、広告が画面にひしめくように並び、取引記事も把握できない程投稿されました。
この時点でもう勝負は決したも同然です。
問題のない運営をする限りに置いては、プラットフォーム(コミュニティ)を抑える事でスイッチングコストが非常に高くなるので競合が出てきても勝てます。
それは今日この日に僕のオンリーワンのポジションが決まったことを意味します。
オープンした日にガッツポーズを取り、一人で乾杯したことを今でも覚えております。
ちなみにP-RMTですが、開始一ヶ月もしないうちにサーバーがパンクするほどアクセスがあった為、すぐにITスペシャリストのパートナーに連絡を取りリニューアルを行いました。
勿論オンラインゲームに造形の深い僕が、かゆいところに手が届く非常に質の良いサービスに仕立てあげたことは言うまでもありません。
ココらへんもオンリーワンのポジションで居続けられた要因だと思います。

さて、プラットフォームを抑えた僕が次に行ったことは、二本目の柱であるエスクローサービスの導入です。
なぜこちらを先に手を付けなかったのか。
やろうと思えばE-RMT上でエスクローサービスを行えたであろうに。
それは、プラットフォームを抑えないでエスクローサービスを始めたとしても、他の競合が出てくるのを阻止できなかったからです。
エスクローサービスは独占することに意味があります。
儲かるのが分かったら他の業者がすぐに始めてしまい、それを防ぐ手立てはありません。
手数料勝負の薄利多売というナンセンスなモデルになってしまいます。
そこで唯一無二の対策方法としてあるのが、プラットフォームを抑えることです。
つまりプラットフォームを抑えたP-RMT上で「僕以外エスクローサービスを行ってはいけない」という規約を一文追加するのです。
これが最高にして最良の手立てです。
仮に規約を無視してエスクローサービスを始めようとする業者が出てきた場合、その業者はP-RMTの利用をお断りします。
この時点でRMTする場所は僕のP-RMTしかない圧倒的な独占状態でした。
そんな状態で規約を無視してエスクローサービスを始めて僕のP-RMTが使えなくなったとしたら、それは日本国内においてRMTをすることができなくなる事を意味します。
その為、業者の人達は確実に儲かるであろうエスクローサービスを行いたくても行えない、僕は僕で旨味のあるエスクローサービスを独占できる、という非常に美味しい構図を作り上げたのでした。
しかも独占してることをいいことに手数料を下げる必要は無く、非常に利率の高い設定をつけられます。
プラットフォームも抑えているので、サービスに組み込み圧倒的に推す事も出来ました。
もうまさに理想的な形にもってこれたのです。
このシステムを完成させるまでに掛かった日数は大体1年ほど。
2004年から初めて、2005年には全てが上手くまわるようになっていました。
スタッフも配置し、何も介入すること無く、利益がまわる自走システムです。

ちなみに言うまでもないことですが、このCGMモデルは非常に旨いモデルです。
餌になる物(この場合取引記事)はユーザー(売り手)が何もせずとも勝手に作ってくれて、その餌に釣られてユーザー(買い手)が集まってくる。
そしてその集まったユーザー(買い手)を目的に、またユーザー(売り手)が餌を投稿してくれる。
CGMモデルにおいて最大の難点である「卵と鶏」の問題も、インフルエンサーを事前に抱え込み、ユーザーにも事前に認知させることでクリアー。
正直、まだCGMという概念が無かった時において、本質的にその問題点を見極め解決していった事については、自分でも褒めたいぐらいなものでした。

と、このようにして僕はRMT業界において盤石の基盤を築くことに成功したのです。
振り返ってみると、他業者と明暗を分けた差は、目先の小銭にとらわれずこうした長期的な視野で戦略をもって取り込めたこと、これに限ると思います。
後は一度型さえ作ってしまったら自走モデルなので何もせずともお金がチャリンチャリンと入ってくるようになりました、とさ。
と、ここで終われば良いのですが、この後業界団体の立ちあげやら何やらに巻き込まれて、別の意味で相当苦労しました(大の大人に囲まれて文字通り涙を流したことも)。
まあ、それはまた別の機会でお話しましょう……。

こんな感じですかね。
今は気楽に生きてますが、振り返ってみると当時は結構真剣にビジネスに取り組んでいました。
改めて書くと照れる感じがしますね。
何か気になることがありましたらお気軽にご連絡ください。
今は結構暇してますので。

以上です。
それではまたー。


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