胃ろう
※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4) (5) (6)
12月。私は転院先となる、療養型病院を探していた。
痰は相変わらず常時出ている状態。家に帰るという選択肢は取れそうもない。
近場の療養型病院はどこもいっぱいで、多床室はベッドの空きを待たなければいけない。
特養(特別養護老人ホーム)に長く勤務していた真ん中の妹のあいは、老健(老人健康保険施設)はどうかと提案した。
基本は3ヶ月で出ることになるため、特養よりも入りやすいという。
しかし、電話をかけてみたが、気管切開がネックとなり断られることも多かった。
また、一般的に女性の方が長生きするため、男性よりも女性の部屋数の方が多いらしい。
そのため、「女性の多床室は空きがあるが、男性は満室」ということも多かった。
私が病院に希望を出していたのは、とにかく安い病院だった。
最初に紹介を受けた、実家から一番近い療養型病院は、自転車で約10分の距離にあった。
そこは小さい頃から知っている病院だが、周りの子がかかったという話も聞かず、何をやっている病院なのか、正直よくわからなかった。
ああ、療養型だったからか、と納得がいった。
ソーシャルワーカーに尋ねた所、費用は一ヶ月13万円とのことだった。
うち8万円は高額療養費の自己負担額、5万円は食費、パジャマリース代。
さらに5万円のうち3万円は、「おむつ代」ということだった。
我が家は、下の妹のあきが同居ということもあり、「非課税世帯」とはみなされず、おむつ代等の補助は出なかった。
もっとも、高額療養費は、4ヶ月以降は「多数該当」といって自己負担額44,000円になるので、そうなれば、10万いくかいかないかの費用にはなる。
更に、2015年1月から高額療養費の制度が変わる。
http://hoken-kyokasho.com/koudoryoyouhiseido-kaisei
おそらく父の自己負担限度額は1月から57,600円になるはずだ。
(住民税非課税世帯にはならないが、高額療養費は同居する娘・あきの収入は加味されない)
医療費自体は、どこの病院も変わらない。
金額に差がでるとしたら、リースか持ち込みか、だった。
現在入院中の急性期病院では、パジャマもおむつも持ち込みだった。
なので、母は大型の薬局でおむつを安く仕入れて持って行っていた。
しかし、療養型病院については、おむつに関しては、基本的にどの病院でも衛生上の理由で持ち込みは受け付けないそうだ。(急性期病院では持ち込みできるのに……)
パジャマ等の衣類についても、ほとんどの病院がリースだが、希に持込みOKの病院もあるという。
この近所で一番安いということで紹介してもらったのが、S病院だった。
S病院もおむつが持ち込み不可だが、おむつ代が月額15,000円までと上限が設けられていた。
そしてパジャマなども持ち込むことができた。
一方、家から一番近い病院は、一日おむつ代が1,200円の上限なしだ。
家からバスか自転車で駅まで行き、電車でふた駅。
平日昼間の回数券などをうまく使えば、交通費を差し引いても、S病院の方が安い。
母に聞いてみたところ、S病院がいいといったので、ぎりぎりまで空きを待つことにした。
そして、並行して、胃ろうにするかしないかを決める必要があった。
今すぐ決められないので、転院先で考えたいと伝えたところ、療養型病院では胃ろうの手術はできないと言われた。
胃ろうにするかどうか。
胃ろうのメリットは、嚥下訓練(水や食べ物を飲み込む訓練)がしやすくなること、らしかった。
現在は鼻から高カロリーの栄養を入れていた。
もちろん、嚥下訓練で、父がまた喉からご飯を食べられるようになるかの保証はない。
病院は、「いらなくなったら外せますから」と説明する。
しかし、一旦胃ろうにした後で、外した患者の割合は、わずか6.5%にすぎないらしかった。
今はまだ、まばたきで意思疎通ができる。
しかし、もし今後、もう一度脳出血して、本当の植物状態になってしまったら……。
そのときに、「もう胃ろうをやめます」ということはできないのだ。
胃ろうなしで生きていける状態ではないからだ。
たとえ今回は延命のための胃ろうでなかったとしても、その時は延命のための胃ろうという使われ方をされてしまうだろう。
母は、痰をとったり、摘便されるときに苦しそうな顔をする父を見るのは辛いと言っていた。
父は、元気な頃、「わしはぽっくり逝きたい」とよく口にしていた。(証明できるものはない)
父には、生きてもらいたい。
しかし、母にも楽をさせたい。
母は、電話応対、金銭管理、掃除など、父の塾の手伝いや、小学校低学年向けの授業をしていた。
やめます、の電話やクレームの電話を受けるのが辛いと言っていた。
父には申し訳ないが、父がこのような状態になってしまった以上は、一人でのんびり過ごして欲しい、そんな気持ちもあったのだ。
悩んだ挙句、私は夫の意見を聞くことにした。
ケアマネジャーとして日々介護を必要とする人たちと接している夫なら、何かよいアドバイスをしてくれるかもしれないと、考えた。
夫はあっさりと、こう答えた。
「そんなの、本人に決めてもらえばいいじゃん」
「へ?」
「まばたきで返事は、出来るんだろ?」
その考えは、母にも私にもなかった。
父のまばたきの返事は、100%ではなかったし、「はい」は出来ても「いいえ」「いや」の表現がうまくできない。
他のWebサイトで見た、「はいはまばたき1回、いいえは2回」を実践してみたが、うまくいかなかった。
父の「いいえ」は、まばたきしないことだった。しかしそれも、わかっていてまばたきしないのか、理解できなくてまばたきしないのか、判別がつかなかった。
それでも、母と私は、父に尋ねることにした。
病院に行く。
父の全身には、水ぶくれのような腫れがたくさんできていて、見ていて痛々しかった。
しかし、目の焦点はしっかりしていた。母の姿を目で追っている。
母が尋ねる。
「お父さん、胃ろうする?」
ぱちっ。まばたき。
「本当に、いいの?」
また、ぱちっとまばたき。
ああ、父は、生きたいのだ。
胃ろうをして、生きたいのだ。
まばたきから、父の生きる意欲が伝わってきた。
そして、私達は、胃ろうする意志を病院に伝えた。
(8)へ続く
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