※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4)
入院から、もうすぐ1ヶ月。
まだ脳が腫れているとのことで、父の脳の骨はまだ外れたままだったが、少しずつ変化が見られてきた。
・手を握ると、握り返すようになった。
この反応には、わざわざ親戚一同が遠方から訪れ、みんなで大騒ぎした。
・左腕を曲げようとすると、突っ張るようになった
・顔の上でふっと息を吹きかけると、目を閉じるようなった。(眼球の偏りはなくなった)
目の上で手をかざすと、目をとじるようになった。条件反射ができるようになった。
・口腔ケアをしようとすると、嫌がって口を閉じるようになった。
要するに、条件反射ができるようになってきたのだ、
少しだけ環境が落ち着いてから、考えたのは労災の申請だった。
それなら治療費も出るし、休業補償ももらえる。
最初は、職場で倒れたのだから、簡単にもらえるだろうと考えていた。
しかし、脳出血で労災を認定してもらう為には、直近の残業時間を証明する必要があった。
父はタイムカードを、きっちりと正規の時間帯で押していた。
つまりタイムカードは、残業時間の証明にはならない。
小さい塾なので父一人で仕事していることも多かった。
残念ながらセキュリティ系のサービスも使っておらず、そのログで証明することもできない。
父は週休1日で働いていたし、日曜日も、何かと理由を付けては補習をすることが多かった。
朝出社して授業の準備や教材作成、採点、その他諸々の事務処理。
夜は22時までみっちり授業をしてから帰宅。
日帰りでは休みの日に色々釣れだしてくれた父だが、私の家族旅行の記憶は、お盆の帰省と、1泊2日で県内の海やら山に行ったのが、数回。
新幹線に乗ったのは、小学校と中学校の修学旅行だけ。次に乗ったのは就職してから。
飛行機に初めて乗ったのも、22歳で就職してから。
同行してもらった先輩は驚きながらも丁寧にチケットの買い方や搭乗の手続きについて教えてくれた。
とにかく、両親との旅行の思い出が、少なかった。
就職して、お給料がもらえるようになってからは、何度か父を遠出に誘ったが、
「塾が忙しいから。そのうちな」
と言って、断られてしまっていた。
無理にでも連れ出すべきだったのだが、私は私で
「まぁ、まだまだ元気そうだし。そのうちいけるでしょ」
と、軽く考えていた。
とにかく、父はがむしゃらに働いていた。
労災を申請するには、会社の証明が必要だ。
しかし、社長は労災の証明をすることを、断固拒否した。
・父はもともと血圧が高かったので、脳出血は職務とは関係ない。(確かに父は若い頃から血圧が高かったが降圧剤はきっちり飲んでいた)
・仕事だって、父が好きでやっていたものだ。こちらで強制したものではない。
・社労士の先生に相談したが、先生もこれは労災にはならないと言っていた。これ以上労災を要求するようであれば、こちらも裁判に持ち込ませざるを得ない。
母や妹のあきの話から、自分で父の直近の残業時間を推定してみたが、ギリギリ申請できるか? という時間だった。
孫のふうが生まれてからは、塾の仕事よりも、ふうとの時間に費やす方が多くなっていたことも事実だった。
ちなみに、残業時間をメモするようなことはやっていなかった。父の健康に対する過信があった。
父の残業時間を証明できるとすれば、パソコンの使用履歴、塾の電話、家の電話、両親の携帯からの使用履歴……。
労災は、会社の証明がなくても申請はできる。このまま申請するか? やめるか。
最終的には、母の猛反対で、申請をやめることになった。
「あんたね、社長はここ数年ずっと塾をしめたがってたの。
それでもお父さんが、塾をやらせてくれって頼んだから、お父さんのために続けていたところもあるんだから。
お父さんが今頃よその塾で働けるわけないでしょ。
塾が赤字の時は、社長が補填してたんよ。
あんたがやろうとしていることは、社長の恩を仇で返すことなんだから」
「…………」
「第一、お父さんが労災なんて、そんなん望んでるわけないでしょう」
それは、父の性格上、わかっていた。
私が離婚した時、慰謝料を請求しようとした私を止めた時のことを思い出す。
最終的にお金でもめて罵り合って泥沼になって終わらせるのか?
そんな幕引きでいいのか?
100%向こうが悪いという離婚はありえない。
お前も一度は好きになって結婚したんだから、潔く身を引け。
と、私に伝えた父。
そんな父が労災の申請を望んでいるか? 答えは火を見るより明らかだった。
翌日、私は母と二人で病院に行った。
そして、目を閉じている父に直接話しかけた。
「お父さん、私ね、労災を申請したいと思ってるんだけど……」
その瞬間。
目がかっと開き、父の顔が紅潮した。呼吸が早くなる。
父の身体に装着されている血圧計の数値が上がる。
このまま放っておいて、大丈夫なのだろうかと心配になるくらいだ。
しかし、それは一瞬で、また少しずつ、穏やかな父に戻りつつあった。
その姿を見て、母がぼそっと漏らした。
「この間、社長がお見舞いに来たの。社長が、お父さんに語りかけたときも、お父さんは全く同じ反応をしたのよ」
「社長に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいなのね、きっと……」
物言わぬ父。
でも、耳はちゃんと聞こえているのだ。
それが、その日はっきりわかった。
見ようによっては、この父の反応は、こんなことになって悔しい! こうなったのは仕事のせいだ! 闘ってくれ! と訴えているようにもとれるかもしれない。
しかし、長年父と連れ添った母がそのように解釈するのであれば、それがきっと真実なのだろう。
父が社長と歩んだ三十数年という時間。
それは三十半ばの私が想像もつかないほど、長く重いものなのだろう。
私は、労災を申請することを断念した。
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(6)に続く
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