はじめに
父が倒れたとき、私は藁にもすがる思いで、同じような症例を「Yahoo!知恵袋」等で検索し、その後どうなったのかを調べました。
目覚めるの?
意識は回復するの?
家には帰れるの?
もちろん、人それぞれだという事は百も承知です。
しかし、それでも、少しだけ救われたのも事実です。
父の発症から1年。
このストーリーが、誰かの希望になるかもしれない。そう願って綴ります。
2014年10月29日
午後21時。
私は、2歳の息子「ふう」を寝かしつけていた。
ふうは保育園には通っておらず、
・夫の勤務先であるデイサービス
・我が家(同居のお姑さん)
・私の両親
の3箇所で順繰りに預かってもらっていた。
明日から木曜・金曜と、うちの両親が息子の面倒を見てくれる日だった。
うちの両親は、自転車で1時間弱の位置にある小さな山に、頻繁にふうを連れて行ってくれていた。
しかし、先週はふうの風邪で行けずじまいで、父はがっかりしていた。
明日は天気もいいみたいだし、きっと連れて行ってくれるだろう……。
と、そのとき、スマートフォンから着信音が流れた。自宅だ。
「あ……もも?」
母の声。
「うん。どうしたの?」
いつも21時には就寝する母が、珍しいなぁ。そう考えたのもつかの間、
「お父さんが……お父さんがね、塾で倒れたのよ……」
母は震える声で、我が家から近い総合病院の名前を告げた。
「お母さん、今から病院に行ってくるからね。だから悪いけど、ふうは明日預かれないよ」
「私も今からそっち行くよ」
「いいよ。もう遅いし。ふうちゃんも寝てるでしょ。じゃあもう病院行くからね。切るよ」
そう言って、母は電話を切ってしまった。スマホを握ったまま、その場で呆然とする。
「おい、今の電話、誰?」
夫が私の肩を叩き、我に返る。
「あ、うちの母親。あのね、お父さんが、倒れたって。でも、来なくていいって」
「は?」
「ふうも、もう寝てるし……」
「何言ってんだお前。親父さんはなんで倒れたんだ?」
「わかんない……」
「もう。俺が車出すから。行くぞ。着替えて。」
夫は私の腕を掴んで引き起こし、ふうを軽々と担ぎ上げた。
夜の高速を飛ばして、病院へと向かう。
父が倒れた。
この事態に、私達母娘がどこか「呑気」だったのには理由があった。
父は、5年前にも一度、山登りの途中で倒れていた。
運良く倒れたのがお寺の前で、住職さんが救急車を呼んでくれた。
そして、CTなどを取ったが異常はなく、そのまま家に帰された。
それ以来、何も父には起きていなかった。
だから、過信していたのだ。今回も、大丈夫だって。何もないって……。
私は車の中で、しきりにその話を夫に聞かせていた。夫は無言のまま、ハンドルを握っていた。
父はずっと、小・中学生を対象とした、進学塾の講師をしていた。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していたが、(わしは塾の紹介でテレビに出たことがあるとか、有名人の誰それの子どもを教えたと自慢していた)少子化や不景気のあおりをうけ、業績が悪化。
そしてついに系列の塾全てを大手に売却することになってしまった。
所属の講師は皆、その大手に移るか転職等する等したようだが、当時教室長だった父は社長と一緒に今の塾を続けたい、塾の名前を残したいと懇願。そして本部と父のいた教室だけを残して再出発することになったのだ。
父は今年64歳。「もうローンもないんだし、あきも就職したんだし、塾は今年いっぱいでやめて、ゆっくりしたら?」と、母も私も何度もすすめていた。
子どもたちを希望の中学・高校に受からせなければというプレッシャー。
父は自分の休日をつぶして授業の予習や、生徒の補習にあてるなどしており、休みが少なかった。
更に最近は、スマートフォンに夢中になる子どもたちも、父の悩みの種だった。
しかし父は頑なにそれを拒絶した。「お前ら、わしの生きがいを奪うのか?」と……。
病院についた。夜間通用口から入り、待合室に案内される。
母は、私の姿を目にした途端、私の腕にすがりついてきた。酷く狼狽している。目は真っ赤だった。
「もも、もも……!」
母の様子に、私は「あの時」とは違うことを悟った。
「もも、お父さんね、脳から出血したんだって。今抜く手術してるんよ。さっき、手術室に入っていったんだけどね、こっち見て何か言おうとしてるけど、ろれつが回ってなくて、何を言ってるか全然わからないのよ……!」
そう言って、泣き出す母。
私がしっかりしなければ……。
母を支えながら、周りを見回す。
三女のあきが、青い顔をしてソファに座り、父の携帯を操作している。
連絡先を確認したいが、ロックが掛けられていて、家族の誕生日などを思いつく限り入力しているが、解除できないらしい。
それから見知らぬ大学生くらいの男の子が、部屋の隅に立っていた。
「お母さん、あの人は?」
「ああ、塾を手伝ってくれている、大学生の子よ。救急車を呼んでくれたの……」
私は母をソファに座らせ、ふうを抱かせた。いくらか気持ちが落ち着くかもしれないから。
そして、彼の元へ駆け寄った。
「田中の娘です。あなたが救急車を呼んでくれたんですね。ありがとうございます」
大学生は、何か言おうとして飲み込み、無言で頭を下げた。かける言葉が見つからないのだろう。
そして私は彼から父が倒れた時の様子を聞いた。
といっても、彼は壁で仕切られた隣の部屋で授業をしており、父の倒れた瞬間は見ていなかったという。
授業中、隣の部屋でドーンと大きな物音がした。
中学生が騒ぎ出し、「先生!」と呼ばれて来てみると、父が倒れていたということだった。
彼はその場の判断で救急車を呼び、中学生全員を家に返し、救急車に乗り込んだという。
もし、父がたった一人でいるときに、この事態が発生していたら……。背筋が凍る思いだ。
更に、彼は機転を利かせ、塾の先生たちの連絡網まで、持ってきてくれていた。
時計を見る、既に22時を回っていた。
私は、後のことは社長と相談し、社長から連絡してもらうと告げてお礼を言い、その大学生の連絡先を聞いて家に帰した。
そして社長に連絡したかを尋ねたが、まだとのことだった。
母は泣いていてうまく話が出来そうにないので、私が電話する。
「もしもし、田中の長女です。ご無沙汰しております。夜分遅く申し訳ありません」
そして私は父が倒れたこと、脳から出血していること、現在手術中だということ、しばらく授業ができる状態ではない、ということを、ゆっくりと伝えた。
社長は、わかりました、あとは自分がなんとかします、お父さんの側にいて励ましてあげてくださいと話して電話を切った。
それから、塾を手伝ってくれている別の大学生の女の子にも電話をかけた。
彼女は、他の大学生には自分から連絡するので、どうかお父さんの看病に集中してくださいと言ってくれた。
私は、彼女を中学生の頃から少し知っていた。時々、父に頼まれて塾を手伝っていたからだ。
派手な感じの女の子で、騒がしく、父は手を焼いているようだった。
そんな彼女が、大学に合格したことを、わざわざ塾に報告に来てくれた。
父はそのことを嬉しそうに語っていた。
さらに、塾も手伝ってくれるようになったのだ。
うちの塾を支えてくれる大学生は、そのほとんどが卒業生だった。
父のやってきた事は決して派手ではない。
しかし、何百人、何千人の子どもたちに影響を与える、素晴らしい仕事だ。
だからこそ、これからはその力を、自分の孫たちのためだけに使ってほしかったのに……。
唇を噛みしめる。
ふうは、母から夫の手に渡っていた。彼は夫に抱っこされて、キョロキョロと辺りを見回している。
夫の父親は、夫が3歳の時に他界した。
夫は、自分の父のことを、お葬式の場面しか覚えていないという。
お父さん!
ふうは、まだたった二歳なんだよ!
今死んだら、大好きなふうの記憶にはお父さんは残らないんだよ! そんなの嫌だよね!?
まだまだ、ふうとやりたいこと、いっぱいあるんでしょ?
だから……だから……。
私は両手を合わせて祈った。
お願い、お父さんを、助けて……!
(2)へ続きます。
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