これは僕が実際に体験したスクールカースト、他人からの見られ方に関するお話です。
途中で書式が変えられなくなったり、文章のまとまりに欠けている部分があったりしますが、素人の書いた文章だと思い、暖かく見守っていただけると幸いです(^ ^)
では行きます!
スクールカースト
この言葉ご存知でしょうか?
スクール=学校の
カースト=階級制度
直訳すると「学校の階級制度」という話です。
東京大学社会学研究所の鈴木翔氏によれば…
『中学・高校には「見えない地位の差」がある』
スクールカーストに悩まされた中学時代
小学校を卒業し、僕は近所の中学校に小学校の仲間たちと入学しました。
僕たちの学年は13名と比較的多い人数でしたが、それでも13名でした。
学校でドッジボールして、キックベースして、勉強して、工作して、家に帰ったらみんなで集合して遊んで、、、
そんな6年間を共に、密に過ごした仲間たち(幼馴染とも言えるでしょう)。
この時まではスクールカーストなんてものはこれっぽっちもありませんでした。
挫折の中2
クラスでは学級委員を務め、クラス内でもそこそこの人気者でした。
そんな理由でイジメが発生しては、たびたびクラスでの話し合い、学年での話し合いの場が設けられていました。
中だるみの2年生ということで先生方も気合い十分といった様子でした。
体育会系で強面の顧問に対し、僕は恐怖症を抱いてしまい、だんだん部活とも距離を置くようになってしまいました。
19になってようやくわかったのですが、僕は「成人男性恐怖症」。
昔、父に厳しくしつけられたのが原因だそうです。(一人暮らしを始めた今では父とも良好な関係を築けています)
膝を怪我したこともあり、良いタイミングかな(?)と思い、中学校2年生の夏で部活をやめました。
全校生徒部活全入が当たり前だった僕の中学の中で、帰宅部というものは都市伝説のようなものだったからです。
この頃から周囲からあだ名や「たかし」ではなく「山中」としか呼ばれないようになりました。
中2のクラスの学級旗にみんなのあだ名や下の名前が書かれている中で僕だけ苗字で「山中」でした。
この頃から僕はスクールカーストというものの存在を意識し始めます。
「どうすれば学年の中心になれるのか」
「どうすれば陰キャラに見られなくて済むのか」
考えて考えて、
僕はあえて学年の中心的存在人物たちの周りにいるようにしました。
仮に彼らをAランクとします。
Aランクの近くにいることで周囲からもAランクの人間の一人として見られるのではないか?
そんな安易な考え方だったと思います。
もちろんこれは逆効果。
彼らが嫌っていたという彼らの昔の友人(?)のあだ名をつけられて「ロバ」と呼ばれるようになりました。
(なんでロバなんだよ。サラブレッドとかにしろよ笑)
この頃は本当に辛かった。
ご飯を食べるのにも人の目を気にしすぎてしまい手が震えてこぼしてしまったりなんてことも多々ありました。
人からどう見られている!?
ダサいと思われてない!?
そのことだけを考えて考えて考えて考えて考えて、
いつしか早退、欠席が増えました。
クラスメイトとの間に決定的な溝を作ってしまったのは2学期の終わり頃、
もともとAランクが多いクラスだったので授業中もなかなかガヤガヤしているクラスでした。
しかし担任が始めて担任を受け持つ女性の方だったので注意は全くされませんでした。
その日の授業中もなかなかのガヤガヤっぷり。しかも僕は風邪で体調最悪。
もう教室にいるのもノイローゼ気味。保健室に行くと発熱しており、僕は早退することになりました。
この時、荷物を取りに教室に戻った時、僕は誰からも「大丈夫?」や「また明日!」といった言葉を貰えませんでした。
なおもガヤガヤと騒いでいるクラスメイトたちにここでついにプッツンしてしまいました。
なにをしたんだっけな、
友人(他クラスの)に後から聴きましたが、意味不明なことを怒鳴り散らしていたそうです。
この時の記憶は全く残っていません。
この日から、2ヶ月の不登校に突入します。
不登校開始!
僕は不登校になりました。
家ではピクミン2をやったりギターを弾いたり、読書をしたり、気遣ってくださった学年主任の先生からいただいた国語のプリントを解いたり。
愛犬と毎日一緒にいたのは僕にとっての癒しでした。
母もとても優しかった。
「学校なんて好きなだけ病んでいいのよ。好きなことできる時間が出来たんだと思って好きなこと好きなだけやってみなさい!」
そんな言葉をかけてもらい、一人で電車に乗って都内に出かけたりもしていました。
一方父は、、、
「男だったら嫌な奴らぶん殴ってこい!!」みたいな人でした笑
いやいや不登校じゃなくてそれ下手すりゃ鑑別送りだよwww
父が毎日「まだ学校行かないのか!?」と聞いてくる生活が続き、家にいるのもだんだん嫌になってきました。
この頃から一部の友人たち、そして小学校の幼馴染たちが僕のことを心配してくれてちょくちょく家に来たり、手紙をくれるようになりました。
「大丈夫!?いつでも話聞くよ!!」
「学校来いよ!!」
今思うとあいつらに助けて貰ったんだなぁと強く思います。
「なんで僕のことを見捨てないんだろう」
「僕にできることはなんだろう」
そんなことを考え、日々インターネットで「周りの視線」「いじめ」「スクールカースト」などと検索をかけていました。
そして僕は、自分の人生のキーワードとも言うべき言葉に巡り逢いました。
それは
「あなたがどんなにひどいことをしても、どんなに失敗しても、2割の人はあなたの味方でいてくれる。」
「あなたがどんなに誠実でも、どんなに優しくても、2割の人はあなたのことを嫌う。」
「残り6割の人が、あなたをどう思うかはあなた次第。」
この言葉に出会ったから、
僕の人生、そして考え方は変わったのだと思います。
変化の3月
2月中旬に「もうすぐ学校に行く!」と両親に宣言しました。
この時僕は自分に誓いを立てました。
1、僕に優しくしてくれる2割の人に感謝する。
2、僕の感情を害する人たちにも優しくする。それでもダメならきっとその人は僕を嫌いな2割。
3、関わりがない人へも優しくする。僕の行動が、その人の僕への見方を決める。
4、嫌味などを笑い飛ばせるユーモアを鍛える。
2、4は当時中2の自分にしては難しいことでした。
今思い返すと考えすぎな中2でした笑
そして約2ヶ月ぶりに登校。
ここで僕はクラスメイトの期待を裏切りクラスメイト全員に「おはよう!」と挨拶をしてまわりました。
あの時のクラスメイトたちの反応は今でも忘れられない!
不登校だった奴がいきなり戻って来て「おはよう!」ってめっちゃ元気に言って来たら「こいつなにするつもりなんだ!?」って不安になるくらいが中2の心理だと思います笑
この時の僕は余裕綽々といった感じでしたので、それもまたクラスメイトに驚きを与えたのだと思います。
挨拶作戦はその後ずっと続き、いつしか僕に挨拶を返してくれる人も増えました。
そしてこの頃から、また一つ考え方が変化しました。
「AランクとかBランクとかCランクとかどうでもいい!!
僕はどんな人とでも分け隔てなく話そう!!」
学年の中心人物たちとも
いじめられっことも
目立たない子とも
僕は一切気負うことなく全員フラットに話すことを心がけました。
例えるのであれば僕は「自由特区」。
カーストという制度があったとしても、どの身分の人とも話すことができるんだ!!
俺は自由なんだ!!
何度も言いますが当時14歳の自分にしては最高の悟りだったと思います。
そして学年が中3に上がる頃には僕に対するイジメ、僕の中でのスクールカーストへの意識は完全になくなっていました。
中3は本当に楽しかった!!
今でも心の底からそう思えます。
高校、大学を経て、時折またスクールカースト、他人からの見え方を気にしてしまうことがあったけれど、その度に僕は「自由特区だ!」「自分の行動が自分を決めるんだ!」と言い聞かせ乗り越えて来ました。
今、もし周りからの見られ方、スクールカーストで悩んでいる方がいましたら、ちょっとだけでも考え方を変えてみてください。
あなたは誰からも指図されません。あなたは自由なんです。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。