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15/11/18

【人とのご縁】が繋がりに繋がってカンボジアで活動するようになってしまった話。

Image by Olia Gozha

ご縁がご縁を呼びカンボジアで

活動してしまうストーリー





【ご縁を大切にしよう】

僕の人生は沢山のご縁があったからこそいま、成り立っているといえる位

この言葉を大切にしています。

あの時、

あの場所で、

一度でも行動が違っていたら

今のご縁は繋がっていなかったと感じています。


いま、あるご縁を大切にしてもらうことで、みなさまにも新しいご縁を

掴んでもらいたい気持ちでこのストーリーを書きました。


このようなきっかけから、

今回はこのストーリーについて書きたいと思います。



まずは簡単に僕の歩んできたストーリーを紹介いたします。


【中島悟のストーリー】


工業高校の時に、友人にアフィリエイトというものを

教えてもらう。


↓↓↓


アフィリエイトが楽しく、毎日コツコツと更新することを

高校生の時から続けるようになった。


↓↓↓


高校を卒業後、普通の会社に入社。


↓↓↓


仕事をしていても、なんのために働いているのかわからなくなり

お金を貯めて、20歳までに高級車を買うと宣言する。


↓↓↓



20歳成人式までに、サラリーマンの給料で500万の

高級車レクサスを買う!と決めてかなってしまった話


↓↓↓


車を買うことができ、その後高校生からコツコツ続けていた

ブログアフィリエイトが結果が出てきた。


↓↓↓


【高卒で某自動車工場のラインでブラジル人と働きながら

誰もが持ってる身近な○○で月収400万にした話】


↓↓↓


サラリーマンをやりながら多額の収入が入るようになり、

サラリーマンをやめることを決意する。


↓↓↓


専門学生になり、ブログを更に力を入れることになる。


↓↓↓


様々な出会い、環境が変わり、人と対面してでできる仕事に

魅力を感じだす。


↓↓↓



誰もが持ってる身近な○○で月収400万稼いでいたのに、

何もかもをゼロにして○○屋さんになった話。


↓↓↓


何もかもゼロにしたおかげで、沢山の方と繋がることができ

今の人生が、稼いでいた時よりもはるかに充実している。


↓↓↓



沢山の出会いがあり、カンボジアにまでご縁がつながり、

カンボジアでも活動することになる。


↓↓↓


現在進行中~



このような人生を歩んできました。



様々な出会いなどで、沢山のご縁をいただき、そのご縁から

今の生活に繋がるストーリーをぜひご確認ください。


-----------------


知り合い「なんでいま、カンボジアで活動してるの?」

さとる「カンボジアに行くようになったのは、たまたまで、たくさんのご縁のおかげだよ!」

知り合い「どういこと???」

さとる「話すと長くなるからまた今度ね!」

知り合い「わかったよ!」


いつもこのように話をしていて、

詳しくカンボジアになぜ行ったのかを話しなかった。

なぜなら…


本当に話が長くなるから(笑)


今回はその話が長くなるストーリーに

ついてお話ししたいと思います。


-----------------

僕はサラリーマンを辞め、専門学校に行っていました。

その学校に通っている時に様々な出会いがあり、

沢山繋がっていき、新たな道が始まりました。


新しい環境に踏み出したことで

自分の人生が大きく変わるとは、

おもいもよらない道になりました。


自分のやりたいことが変わった僕は

アフィリエイトの収入も十分あったし、

このまま続けていたら、新しいことも沢山できたし

自分のやりたいことも沢山出来たはず…。



それよりも自分がやりたかったこと、、、


・人と対面で、できる仕事がしたい

・会話して喜んでもらいたい


それが自分の中での答えだったのだ。

色々と自分が忘れていたことを気づかされ、

それから自分の中でアフィリエイトを行う時間が

大幅に減っていき、自分が本当にやりたいことが

変わっていきました。


色々と自分の中で、【覚悟】を決めた途端、

次から次へと繋がり【ご縁】が増えていきました。


~人生が変わった出会い~


東北に行きたい!!

この一言が自分の人生を大きく変える一言だった。

この話をした途端、沢山の出会いが増える事となるとは

考えてもいなかったです。


東北に行きたいと、沢山の方に言っていたら、紹介されて繋がった二宮司君と

初めて会った場所…


そこには人生を変える沢山の出会いがありました。


二宮司君と出会った場所に、後藤勇太さんがいました。

サトル「はじめまして!中島悟です!!よろしくお願いします。」

勇太さん「東北に行くのだって?気を付けていってきてな!」

サトル「はい!ありがとうございます。」

初めて出会った時はあまり会話を長くすることもなく、

会ってもあいさつ程度でした。


そこから数カ月の間に何回か会うようになり、会話をしているうちに

カンボジアの今の現状を聞いたり、カンボジアの良さなどを

話で聞いたりしていました。


そして、ついにこのタイミングが来たのだった。


勇太さん「今度カンボジアに行くけど行く??」

サトル「カンボジアですか??」

勇太さん「カンボジアがどんな国か知ってみない??」

サトル「はい!行きます!!←即答」


全く予想にもしていなかったお誘いだった。当時様々な国に入っていたけれど

東南アジアに行くことは初めてだったし、全く未知の国…。

そもそもカンボジアがどこにあるかもわからない(笑)


それから友達などにカンボジアに行くことを話してみました!

サトル「今度カンボジアに行くことになったよ!!」

「カンボジア????地雷とかないの?大丈夫?」

サトル「噂によると大丈夫らしい…。」

「ご飯とかもちゃんと食べられるの??」

サトル「多分大丈夫だと…!!」

誰に聞いてもカンボジアのイメージは、


地雷
貧困
窃盗


などといった、いいイメージは全くないところでした。


そんなこんなでしたが、カンボジアに何も迷いなく

行くことに決めました。







ここから自分が想像もできない人生の転機が現れるなどと、

夢にも思っていませんでした。




-----------------

それから1か月後、僕はカンボジアにいました。

カンボジアには有名なアンコールワットがある国。


自分が想像しているところとは全く違うくらい、

道路には、日本でもなかなか走らない高級車が走っていたり、

食事もおいしいし、シャワーもお湯が出る…。


想像とはかけ離れていて、逆にびっくりするくらいだった。

もちろん日本に比べると、日本の方がご飯などもおいしいし、

もちろん部屋などもきれいなのは日本。


地雷が道端に埋まっていることもないし、

ご飯が食べれないこともない、

今までで一度も窃盗にあったこともない、



地雷の話とか、貧困の話などを聞いていてマイナスの部分が

多いことを自分の頭の中で意識していたので、

自分の想像していたよりも、良かったので特に不便などを

感じさせることはありませんでした。






それは、観光客が見えるところの話…。


僕たちが連れて行ってもらったところは、そんな観光客が

賑わっているところから、わずか20分くらいの所にある

村に連れて行ってもらいました。



高級車などが走っているみちから、

わずか20分道から外れたところにある村には、子供たちがたくさんいました。

子供たちは、笑顔で僕たちを迎えてくれました。


ですが…20分という時間だけで暮らしが一気に変わる。

こんな環境があるのもカンボジアの貧富の差が

沢山あることを感じさせられました。


そこの村には、水道もなく井戸水で食事の支度をしたり、

体を洗うのも、そこの井戸水を使うようなところでした。


そこの村では、携帯電話や、ゲーム機などはもちろんない場所。

遊び道具は全て自然の遊び場。

外にある池で泳いだり、木があれば木登りをする。


子供たちは、どこにいても自然で遊べてしまうスペシャリスト!

こんな子供たちと遊んだり、一緒にいると、日本で毎日忙しく

動いていたのを忘れられる事ができました。


日本では、仕事を自分でやっているので、どうしても先の事ばかり

見てしまって【今を楽しむ!!】というのにフォーカスを置いていない

事がしばしばあり、今を大切にしていなかったことがあり、

カンボジアでは、先の事よりも今を楽しむことをまなばさせてもらいました。


こんな元気な子供たちを見ていると、今を楽しめる天才だと

思えるような行動ばかり!


カンボジアにはたまたまのご縁で行くことになったけど、

まなばさせてもらえることばかり。


僕はカンボジアに行く=ボランティアっていうイメージが強く、

カンボジアに行ったら何かしてあげないといけないのではないか

という気持ちを多く持っていました。


実際の所、してあげないといけないという感情になってしまうと、

与えてしまうことになってしまい、いつまでたっても与えることに

フォーカスを置いてしまうことがあります。


元々カンボジアでボランティアをしていなくても生きていけた方々に、

あれこれしてしまうことは、依存が生まれて、その依存から

抜けなくなってしまったら、いつまでたっても支援する形に

なってしまうのではないかと感じています。


実際に行ってみて感じることは人それぞれあり、

行ってみないとわからない事ばかりで、

一度行動に起こすことで、そこで暮らす暮らしがどんどんわかるように

なっていくことになることもわかりました。


日本に帰ってからもそのようなことを考えるようになり、

最近になっていろいろな考え方が出てきました。


環境は日本と、カンボジアだと環境や、利便性などを考えたりしたら

圧倒的に日本の方が何に対しても安全で、利便性が高いと感じます。



環境にいいところに住んでいるからこそ、

環境が変わると、環境がよかったところの良さがわかる気がします。


・食事中にハエがいない

・水道水は安全

・トイレがきれい


こういう事って日本では当たり前だけど、カンボジアでは

当たり前ではありません。


このような環境を学べたり、視野が広がったのはカンボジアでの

出会いがあったからこそです。


僕はこのような出会いがあり、今みたいに物事を色々な角度から見ることができ

このような力を、どんどん取り入れることができるようになりました。


そこから現在、カンボジアでは様々な活動が

行われるようになりました。

・カンボジアでのブログ講習

・カンボジアでのアクセサリー販売

・カンボジアブログの運営


など、自分ができる事で活動できるようになりました。


人とのご縁】が繋がりに繋がってカンボジアで活動するように

なってしまいましたが、





よく、『何でカンボジアなの??』と聞かれることがよくありましたが

ご縁が巡りに巡って、たまたまカンボジアになってしまった!というだけであり

タイミングや、きっかけ、チャンスをいただいたところで活動をしています。


僕の人生は、まだまだ始まったばかりかもしれませんが、

沢山の変化、沢山のご縁、沢山の感謝を繰り返して成長しています。


まだまだこれから新しいストーリーが始まったばかりです。


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ストーリーズを見たと一言

書いていただけたら承認いたします。

月400万円を20代前半で稼いでいた時の話

http://storys.jp/story/18017


その後人生が変わった話

http://storys.jp/story/18394

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