「親父。。母さん。。ごめんな?」
中学一年生。
勿論選んだ部活は野球部。
月日があっという間に立ち、7月の夏の大会。
僕は一年生ながら三年生の最後の夏の大会に、【背番号20】をもらい、
ベンチ入りしたのだった。
当時はなぜか調子が良く、監督から信頼をもらい、夏が終わった次の新チームでは
ずっと捕手を守らせて頂いた。
チームはそこそこ強く、練習試合をする度に、それでも「上には上がいる」ということを思い知らされる毎日。
正直野球で必死になることがいっぱいいっぱいで、周りには見向きもしなかった。
そしてとある日。
やがて親に対する反抗期が始まる。
「うるせーな!ババァ!ほっとけよ!ぶっ飛ばすぞ!」
精神的に凄く荒れ始めていた僕は、学校の関係上、今まで大好きだった母親と一緒に住み、その母親に向かってこんな暴言を初めて口にした。
学校では何故かまたいじめられ、問題をお越し、一匹狼のような存在となる。
喧嘩もした。
先生にも、親にも反抗した。
頼る人もいない、居場所もない、
自殺未遂を何回も繰り返すどうしようもない子だった。
「信頼するもの」がなかったからだ。
学校に行けば、
同級生一同「あの人だよ。。かっこつけて自殺未遂なんかする人。。」
同級生一同「知ってる。あういう人には近づかないようにしとこ?話もかけられたくないし、目も合わせたくない。。」
と廊下ですれ違う度に言われる決まった一言。
家に帰れば、嫌な空気に包まれた居心地悪い最悪な環境。
「生きる目的ってなんだろう。?」
そんなことを繰り返考える内に気づけば三年生。
三年生になると同時に監督から【野球部の主将】を言い渡される。
自分たちの代は市内では敵なし、練習試合無敗を誇る強さがあった。
最高成績は関東大会三位。
この時初めて負けるのが悔しいと思い、試合後は号泣した。
「野球というスポーツを本能から好き」
帰りのバスで、そう染み染み感じたのだった。
反抗期はまだ収まらく、野球部引退後は以前よりも増して荒れていた。
避けられることも、話しかけられる友達もいないまま続き。
そんな日々を送る毎日だが、ある日に人生で一番「辛い」ことが起き始める。
他校と喧嘩して、相手に怪我をさせてしまったのに対して、
両親が相手様に頭を下げて謝る姿を目にしたのだった。
こんなに問題を起こして、反抗もしていた自分を必死になって守ってくれたのだ。
過去の思想
(うるせぇ!!クソばばぁ!!)
(自分の都合で家庭環境をボロボロにしやがって!!)
(いちいちうぜぇんだよ!!!)
「親父。。母さん。。ごめん。。ごめん。。」
頭のなかで、物凄いスピードでフラッシュバックが繰り返される。
そして同時に、初めて野球した時のこと、家族みんなでワイワイした時のことも。
今まで自分がしてきたことに対して、それでも「息子に愛」を与え続けた両親にとてつもない
申し訳無さを感じた。
「今までの辛い感情」「一人だったと決めつけていた毎日」
「親に傷つけた事実」すべてがその時の大量の涙によって流された。
【俺って愛されてるんだなぁ。。。】
この一つの感情が、これからの人生を大きなものにし、自分を成長させるきっかけとなる。
「親父、母さん。。ありがとう。オレ、誓うよ。もう誰にも傷つけないって。」
高校編に続く
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