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15/10/17

大切な人を大切にする唯一の法則

Image by Olia Gozha

自分を愛することができない人に、人を愛することなんてできない。


自分を大切にできない人に、人を大切にすることなんてできない。


何もできない自分を、それでも愛そうと誓ったあの日から、全てが変わった。


これは僕が大学四年間をかけて、自分の「在り方」で生きることの意味を確信したお話です。



嘘の自分




大学1年。



高校での留学経験から、英語が得意で入った大学。


でも、周りは自分以上に英語ができた。



音楽が好きで始めた軽音楽サークル。


舞台上で堂々と演奏しキラキラ輝く友人たち。



でも、僕は舞台上に立つと手足が震えた。


下手くそで、人前で萎縮してしまう自分がいた。



どこか他人より優れていないと、自分を誇れない。自分のことが好きになれない。


そんな人間だった.。



_ _ _ _ _ _ _ _



 1992年、京都に生まれ、京都に育つ。


 父は厳しく、母は真面目。そんな平凡な家庭で次男として生まれた。



 昔はよく泣きよく笑う子だった。


 我が強く、年子の兄貴とよく喧嘩をした。



 悪さをすると父の逆鱗に触れるから、それが怖くて甘えるのはいつも母親だった。



 兄貴はというと、要領がよく誰からも認められるイケメンで、運動神経も抜群。


 友達が多く、みんなの憧れの的であり、僕の友達でさえ、兄貴に憧れを抱いた。




 そんな兄貴に、嫉妬していた。


 兄貴くらい、格好よくて運動もできたら、注目してもらえる。


 そう思って兄貴に同じく所属していた野球部で、誰よりも、本当に誰よりも練習した。



 結果、僕はベンチだった。


 4番でエースだった兄貴が疎ましかった。



 どうしてもみなから注目してもらいたくて、やんちゃしていたこともある。


 だけどその行為は逆効果だった。母親から「あんたはかわいくない」と言われたことを覚えている。

 その状況に耐えられず、兄貴とは違う方向で、やんちゃしない方向で、何か一つ取り柄を作ろうと思った。中学生の時、勉強は英語だけ出来たから、親に留学したいと伝えて、留学できる高校に学費免除で入学した。


 周囲と親に認めてもらうため。

 そうして高校では誰よりも自分を追い込み、留学先でも変わりたくて、必死にもがいて、

 帰国。三年生になる頃には、英検準一級、TOEIC 890点を獲得していた。



 周りのみんなが僕に注目した。 両親も褒めてくれた。




 自信満々だった僕は、海外で働きたいなんて言ってたけど、


 親に猛反発され、結局その反発を押し切れずに

 東京の大学に進学することにしたのだった。


_ _ _ _ _ _ _ _




周りはたくさんの優等生に囲まれ、英語力も劣る。


大好きな音楽さえもサークルの友達みたいに輝けない。



優れてない自分には、価値なんてない。


誰も注目なんてしてくれるはずがないんだ。



このころからだろうか。

周囲から見放されることが怖かった。


人と話すときは表面的に繕って、強い自分を装いながら大学の二年間を過ごした。嫌われないように、少しでも注目してもらえるようにウソで自分を武装した。


本当は心の中は不安でいっぱいだった。


ウソで固めた自分の存在が、いつしか不確かなものになっていって、


生きていることが実感できなくなっていた。


もう、感情さえ無くなりそうだった。



大嫌いな自分を変えたい…!!



そう決意し、3年生の一年間を休学して世界一周の旅に出ることにした。




気づき



変わりたい。


自分を好きになりたい。



そうして始めた世界一周旅行。




自信がなく、いつも自分の殻に閉じこもっていたから、


初めは当然、孤独な旅だった。



観光地を見に行くのも、美味しいご飯を食べるのも、


綺麗な景色を見るのも、ビールを飲むのも、一人の時が多かった。

一人の方が安心したし、どうしたら強く魅力的な人間になれるかと、自分のことをひたすら考えていた。


寂しいと思う時も、そんなのは甘えだって、その感情を振り払った。


精神的に自立すれば、それが強い人間だと思っていた。



とあるゲストハウスに着いた時のこと。


そこには同じ日本人の、4, 5歳年上に見えるかっこいいお兄ちゃんがいた。



そのお兄ちゃんはよく喋る人で、あまり乗り気じゃなかったけど、


適当に、合わせるように、その人と話をしていた。


そのお兄ちゃんはそんな僕に気がついて言った。


お兄ちゃん「なんで、そんなに自分を出さないの?」



この人は何を言ってるんだろう、と思った。


今日出会ったばかりの人になんで自分をさらけ出す必要があるんだ。


そう思った。



だけど、そのお兄ちゃんの言葉がきっかけで自分でもよく分からない自身の心理に疑問を持つようになった。


「自分を出さないのは、嫌われるのが怖いから。でも、どうして自分はこんなに臆病なんだろう?」


強い人間になれば対人関係での不安も拭えると思っていた。

寂しい感情も、「甘え」として振り払ってきた。


自分に甘えなんてない、自分は自立した男なんだって、その感情をないものとしていた。


でも、あとで気づいたんだ。


ないことにしていたその「甘え」は、実は自分が一番求めていた欲求だった。


いてもたってもいられなくなって、僕は自分のことをもっとよく知るために心理学の勉強を始めた。


旅をしているにも関わらず、自分の世界に閉じこもり、文献をとにかく読み漁った。



そしてある日、一冊の本と出会った。


「自分に気づく心理学」


そこで衝撃的なワードを目にした。



ーーーーーーーーーーーーーーー


自分に気づく心理学「幼い頃に、自分にとって生きる上で重要であった人物から(多くの場合は両親である)、ありのままの自分を受け入れられなかった人は、自分を偽って生きるようになる。手のかからない子、よくお手伝いする子は、そのようなケースが多い。親の顔色を伺い、親から受け入れられない自分は、価値のない人間だと思うようになる。「こうでないと愛されない」という、条件付きの愛しか知らないから、愛されるための条件を揃えようとする。そうして、自分に子供が出来た時も、「こうでないと人から愛されないよ」と、子供を条件付きの愛で縛り上げるのだ。」

ーーーーーーーーーーーーーーー



正確な文章までは思い出せないが、このようなことが書いてあった。


まさに、自分のことだった。



ずっと、あのキラキラしてる人達と僕の違いは、


できることがあるか、ないか。その違いだと思っていた。


自分の生まれた家庭を、生い立ちを、疑ったことなんて一度もなかった。



そして、絶望した。



自分は今まで、親の望む生き方でしか自分の人生を歩いて来なかったんだ…



自分が自分でなくなる恐怖に耐えながら、褒めてもらいたい、認めてもらいたいと、高めてきた自分。


心が擦り切れて、ボロボロになっていった時もある。そんな自分に親はどうして気づいてくれなかったんだ…

そんな感情で胸がいっぱいになった。

今までの人生はなんだったんだ…


ウソの自分で固めた自分しか表現してこなかったから、

本当の自分を愛することなんてできるはずもなく、人との関わり合いの中でもいつも不安で、

「見放さないでほしい」


「離れないでほしい」

そんなことで頭が一杯になって、いつも自分のことで精一杯だった。


親のため、誰かのためと今まで取ってきた行動も、


「自分を認めてもらいたい」がためであり、


人を本当に思いやって取った行動はなかったのかもしれない。


そして、自分の親も同じだったんだ。


一番身近の存在であるはずの両親が、辛くて鬱状態にある自分に気づいてくれなかった。



そうして、この日を境に僕は心に誓った。



自分に子どもが出来た時、絶対に自分みたいな思いをして欲しくない。



自分のことしか考えられない人間には絶対なりたくない。



大切な友人が傷ついている時に、いち早く気づいてあげれるように、


本当の意味で人を思いやれる人間であるために、



『オレはありのままに生きる!』



そして、



『不完全な自分を、人を、それでも愛するんだ!』




~




この日から僕は、泊まる先々のゲストハウスや、旅先で出会う旅人に、積極的に関わるようになった。



思ったことは、口にするようにした。


誰かとご飯を食べたい時は、誘うようにした。



すると、今まで自分が見えなかった世界が見え始めた。



出会った旅人と観光地に行ったり、一緒に移動したり、


夜はビールを飲みに行ったり、一緒にツアーに参加したり…




楽しかった。最初は不器用な感じだったかもしれない。


でも、だれかに認められるような価値がなくたって、人は認めてくれることに気づき始めた。



24カ国の国々を一年間かけてわたり、皆が思うような華やかな旅ではなかったけど、


それでも人生を変えるような、大きな気づきを得た。



そんな旅だった。




世界が変わる



帰国して、実家に帰った時、


親には旅であった話、これからどうするかという話をした。


これからの話をした時に、母は大抵意見する。



(母を傷つけるんじゃないか。


でも、言わないとオレはこれまでと何も変わらない。)



そう覚悟し、母に言った。



自分「オレのやることに口を出さないで。オレの好きにやらせて。」


辛かったけど、心を鬼にして言った。


すると、母は遠く見据えて、悟ったようにうなずいていた。




~




大学に復帰し、僕は繋がりのあった友人たちに本音で話すようにした。

京都の高校から同じ大学に上京し、僕が旅に行く前から唯一弱音をもらせる大親友がいた。


旅であったこと、気づいたこと、全部話した。



そうしてありのままの自分を表現するようになると


僕の周りには、


自分を大好きと言ってくれる繋がりができた。


自分にも大好きといえる友人ができた。



周りは大好きで溢れた世界が広がっていくことを感じていた。



なんだ。



自分のこと大切にできたら、オレも人のこと大切にできんじゃん。


自分のこと好きになれたら、オレも人のこと愛せるんじゃん!


それを強く実感していたのだった。








23歳の誕生日は、大親友がサプライズ誕生日会を開いてくれた。





本当に嬉しかった。



こんなこと、今までにしてもらったことがなかったから、


ちょっとだけ不安になって彼女に聞いてみた。




自分「オレはみんなにこれだけのことができてんのかな・・・」



すると、大親友は言ってくれた。




大親友「あんたやから、これだけやったんやで。あんたからいつも、たくさんもらってるからやで!」



そう。




自分には何もできない。自分は価値のない人間だ。


そう決めつけていたのは、他の誰でもない、「自分」だけだった。



本当は、自分が自分として存在してるだけで、


誰かのためになっていたんだ。



自分が自分として存在すること。


あなたがあなたとして存在すること。



それだけで、価値のあることだと確信した、


そんな大学生活だった。




まとめ



僕はこれまで、他人に受け入れられるために


本当の自分を抑圧してきた。



精神的な自立が強い人間だと思ってたけど、


自己評価も、下してきた判断も、自分以外の誰かに依存してきた。


価値基準・判断基準が他人軸だった。



本当の自分を隠していたから、いつまでも自分に自信が持てない。



結果、自分を愛することができず、他者とのコミュニケーションの中でも


嫌われたくない、認めて欲しいとばかり考え、その人のことを本当に考えることができなくなる。


「こうしなければいけない」「ああするべきだ」

と、ルールに縛られ生真面目になる。


これは持論だけど、


強い規範意識や道徳観に縛られている人間こそ、


周りで本当に傷ついてる人間がいることにも気付かない。



それって本当の意味で優しいって言えるのか?



だから僕は、



社会の波に呑まれ、自分が自分で無くなっていく恐怖に


押しつぶされそうな人がいた時に、誰よりも強い言葉で伝えたい。



「そのままのあなたが最高だよ」って。




最後に…



ボロボロになっていた自分に気づいてくれなかった両親を、当時は憎んだ。

(*当時は旅先で読んだ本、かなり鵜呑みにしていましたから笑)

でも今は、本当は誰のせいでもないってわかってる。


だって、子を不幸にしてやろうと育てる親なんていない。


親も育てられた両親に同じように与えられ、その下に受け継ごうとしたんだ。

彼らの持てる精一杯の愛情を注いでくれていたことは知ってるし、今だってそう。


誰も悪気があるわけじゃない。



ただ、現状を変える方法が見つかったなら、



その連鎖を断ち切るのも、乗り越えるのも、


自分しかいない。



自分を幸せにしてやれるのは、自分だけ。



だから今、自分にウソをつくことはやめて、

自分の思った通りに行動して、

自分らしく生きて幸せになるって決めている。


それが親に対する、本当の恩返しになると信じてるから。




あとがき



ここまで読んでくださって


ありがとうございました!


この話を通して僕が伝えたかったことは、

大切な人を本当に大切にしたいなら、まずは自分を愛してあげてほしいということです。

そして最初は怖くても、一歩前に踏み出してみてください。


絶対に大丈夫ですから。


『自分が変われば世界が変わる』


今はそれを確信しています。



そして、僕の現在の目標は
『自分らしく生きて生計を立てていくこと』です。




人の「ありのまま」を大切にできる人間であるために。


本当の意味で優しい人間であるために。




現在は、僕のこれまでの経験や辿ってきた道を生かして

東京の渋谷駅近くで英会話教室を運営しています。


初めに話した通り、僕の入った大学(国際基督教大学というところです)には

国外に出たことがない人でも圧倒的に英会話が流暢な人がざらにいました。


彼らを見ていて確信したのは、

英会話はやり方次第で誰にでも身につけられるということ。

そして、彼らの知恵と経験を体系化できれば、きっと多くの人の役に立てるということ。


なので、僕の運営している英会話教室では複数の卒業生・在校生からの

協力を得て、彼らの知恵と経験を惜しみなく学習モデルに組み込んでいます。


当初は僕の繋がりのある人に案内させてもらっていたのですが、

このストーリーを読んでくださって、応募してくださった方は

僕が直接お話ししに行きますw もし興味ありましたら、下記よりご応募くれると嬉しいです^^


frevie英会話ジム


※Storys.jp を見たと問い合わせに書いてくれると助かります!


それでは、最後まで読んでいただいてどうもありがとうございました。

皆様の未来が明るいものであることを心から祈っています。


岡本 聖



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