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15/10/14

ずっと気になっていたニューヨークへ。思いつくまま、ノープランで行ってみた。

Image by Olia Gozha


とにかく、気になる場所、NY。


一回は行ってみたい。


ひょっとして、住んでみたいところ。


東京で暮らしている私は、


どこか背中を丸めて、目立たないように、


人の視線を集めないように、


こそこそしていて。


道をあるけば、公園やお店や道ばたに


立ち入り禁止、なになに禁止の連続で、


どこか窮屈。


人に変な目で見られないように、


迷惑をかけないように生きていた。


「人に迷惑をかけるな」


って、言葉は嫌いな文言の一つ。


なのに迷惑をかけないように


縮こまって生きてる。


迷惑って何だ?


例えば、電車の中で、刃物を振り回してる人に、


突然自分が人質にとられたとしたら、


それは迷惑な話だが、


そういう経験を引き寄せたのは自分だから、


それも一つの貴重な出来事として、


面白いに違いない。


あたりさわりなく予想のできる範囲で、


平穏に暮らそうとしているこの殻をやぶりたい。


そんなことをぐるぐると考えながら、


よし、NYに行こう! 


そう思い立った、2015年5月。


4月で一度、仕事を休職することにした私は、


ひとりで行こうか迷ったが、


同じように4月いっぱいで無職になった友人、


画家の野村さんをさそった。


野村さんとはかれこれ15年の友人。


同じ部屋にいても大丈夫、


そう。彼はゲイだった。


素敵な彼氏だっている。


どこまでも私の妄想につきあってくれる、


規格外の彼との旅は面白いに違いない。


何年か前、ハワイに友人の結婚式に一緒に行ったとき。


5泊もするのに、ヨレヨレの大きな布バック一つで現れた、野村さん。


「あ、ボク、トランク持ってないんで」ってな具合。


常識にとらわれてない彼の自由な、言動に、


なんだかいつもホッとする。


野村さんとの旅は安心、かつエキサイティングだ。





私がNYに行く目的はただ一つ。


NYのエネルギーを感じること。


それだけだった。


行きたい場所はセントラルパーク。


それ以外に行きたい場所なんてない。


私たちは、3泊5日のNY小旅行に行くことになった。





人気の少ない成田空港はリラックスした雰囲気。


遠くからグリーンのパンツをはためかせて


野村さんがやってきた。


もうすでにニューヨーカーみたい。


私たちはのんびりと出国手続きをして飛行機にのった。


いざ、NYヘ出発。





機内もこれまたすいていた。


私たちは、3人がけのスペースをシェアして


ゆうゆうと座席にすわった。


行きのDVDは「繕い裁つ人」。


日本独特の美しい世界。


緊張感があって美しい。


この美しい絵図らを見ていて、


そういえば、ふと、思い出す。


お寺育ちの私は、お客さんが来るたびに


3つ指をついて挨拶をさせられていた。


ってなことを。


形式的にそうさせられること。


いくら美しくたって、心がなければ、


形式には、意味がない。


気持ちがNYになっていた、私は


この独特の形式的な緊張感から解放されに、


いくんだ、ワーイ、NY!






飛行機にすわっていたら拍子抜けするぐらい


あっさりとNY到着。


私たちはNYの地下鉄で


ホテルのあるマンハッタンを目指した。


「ボク、トイレに行きたいかも」


マンハッタンに入った頃、不安げに野村さんが言う。


地下鉄の中、トイレがどこにあるのかわからない。


駅にいた黒人のおじさまに聞く。


トイレはどこですかね?


黒人のおじさんは気前のいい笑顔で答えてくれた。


上にあがったところにあるさ。NY楽しんで〜!


黒人のおじさまの話し声は、


まるでJazzの生演奏のような響き。


不思議な満足感とわくわく感で、背中を押されて


私たちは地上に出た。






地下から地上へ階段をのぼると、


そこにはまぶしいNYの日差しがふりそそいでいた。


マンハッタンの何番街なのか。


そびえ立つビルに刺すような光。


さっそうと歩く、白人、黒人、アジア人。


みんなカラフルでピカピカしている。


地下から出てきた私と野村さんは、


もぐらのようにアップアップしながら、


地図をなんとなく見てみるもよくわからず、


ホテルの方向と思われる歩きの流れに


よたよたと合流した。


トランクを引きずりながらも、


けっこうなテンポで歩きながら、


このまま行くと着くのかな?


ふと、疑問になり立ち止まる。


「大丈夫?」


NYのビジネスマンに声をかけられた。


ああ、そっか。この気さくさなつかしい。


ホテルの場所をつげると、


「そこまで、歩いていくなんて、頭がおかしくなるよ。タクシーにのって!」


適切なアドバイスにより、タクシーにのって、


ACEHOTELに無事、到着した。




部屋に通されて入ってみると、


なんと、そこには、


でかい1ベッドが部屋の真ん中に一つ。


う〜ん。


たしかに野村さんとは、15年来のつきあいだし。


同じホテル、部屋に何回も泊まってるし。


プールにだって一緒にいったことがあるし。


このダブルベッドに一緒に寝ろっていわれれば、


寝れなくもないんだろうけど。


ちょっと待ってくださいな。


このNYの3日間を、


この愛すべき、ゲイの友人と限りなく近い距離で、


心身ともに過ごす?


いやいや、そこはもういい大人なんで、豊かさを受け取りましょう。


受付のお兄さんに、部屋を2ベッドルームにしてもらうことは可能か?


っと聞いた。


すると、「もちろん。プラス一泊100ドルで。」というこたえ。


な、る、ほ、どー。


くらくらするような、NYの日差しの中。


時差ぼけ状態のまま、どうするか、相談しましょう。


と、無職の私たち二人。


近くのカフェへ。


はじめて入る、NYのカフェ。


野村さんはといえば、


急に段ボールの外に出された猫のような顔になっていて、


こそこそと、隅っこの席につこうとしている。


もうちょっとがんばって、こっちのガラスばりで、


人の歩きが見える席に行こうっと、私たちは窓際の席についた。


矢継ぎ早にNYのエネルギーを浴びまくってふらふら状態だった私たちは、


無言のままガラス越しに歩く人々をながめていた。


外を歩く人々はみな、まったく法則性のないいでたちで、


おのおの好きに歩いていた。


ときどき目が合えば、にこりと笑う。


あ、そうそうこの感じ。


目が合えばにこっと微笑みあえるこの感じ。


やっぱり好きかも!


ちょっとずつNYの事情を飲み込んできた私たちは、


落ち着きを取り戻し、さて、ベッドルームをどうするかについて話し合った。


そうだよ。せっかくのNY。


お互いに仕事をやめて、


収入の不安定な時期ではあったけど、


だからこそ!


いい部屋を選択しようじゃないか!


2ベッドルームの部屋にうつることにしよう。






2ベッドルームの部屋は、思いのほかひろく、


真ん中にはテーブルなんかがあって、絵を描いたり、おしゃべりしたり、


この3日間を満喫するべく、快適な空間だった。






部屋に荷物を運んでくれた、黒人のお兄さんとハイタッチ。


さぁ、NY3泊5日の旅。


楽しむぞ〜!


私たちは夕方近くになって部屋に荷物をおくと、


お湯をわかして、お茶を飲んで、やっとひと呼吸した。


時差ぼけにより睡魔が襲ってきたけれど、


『到着日はそのまま寝ないで起きて行動』


友達のアドバイスにより、


私たちはがんばって起きていることにする。


「セントラルパークに行こう!」


ぜったいに行きたい場所、セントラルパーク。


なんでかわからないけど。


とにかく、ぜったいに。


私たちは、タクシーをひろうとセントラルパークへ向かった。


そこでサンセットが見れれば、言うことなし。


街中は混んでいてゆるゆる走りのタクシーで間に合うか微妙。


祈るような気持ちで私たちはタクシーをおりた。


すると目の前にあらわれたのは、ダコタハウス。


ここはかの有名な、ジョン・レノンとヨーコ・オノが住んでいる?


3mくらいの大きな門に炎が揺れている。


すごいパワー、すごいエネルギー。


その門の前に、二人で立ってみた。


なんだかわからない、桁違いの豊かさ。


今でもヨーコさんはここに住んでいるの?


そうみたいよ。


そのパワーに圧倒されつつそれを思いきり感じた。


ダコタパワーを満喫したら目と鼻の先にあるセントラルパークへ。


入り口すぐにジョンレノンの碑があって「Imagine」





そこでImagineを歌ってる人がいて、


バラがあって、いまだにジョンがそこにいるかのよう。


ジョンにもヨーコにも


アーティストとして生きるってことの後押しをされたようでもあり、


私たちはお互いに写真を取り合いながら、セントラルパークを歩いた。


サンセットのセントラルパークは、とにかく美しかった。


木々の間から見えるビルディングに自然と都心のバランスのよさ。


私たちは芝生を裸足で歩き、くつろいで大きな石の上に座った。


石の上にあぐらをかく野村さんは、


仙人みたいで、その姿が板についている。


私も石の上に寝転んで、


ただ感じてみた。ほのかにあたたかい。


ひたすらセントラルパークを感じると、


夕暮れのNYを歩きながら、ホテルに戻る。


私の目的は大方果たせてしまった。


セントラルパーク。とにかく、幸せ。


日本でちいさく縮こまっていたのが、


バカみたいに思えてくる。


自由でいいんだなー。


そう思えた、NY一日目。


その日は考える暇もなく、


ベッドに入り、ぐっすりと、寝た。








NY、二日目。


朝おきると、東京から持参したバナナを食べた。


へにゃへにゃのタッパーでNYヘもってきた。


「NYにタッパーもってくるなんて、おかしい!」


っと、タッパーを野村さんにいじられながらの朝のお茶。


お互いの瞳の中をのぞきあって、


お互いのギフトを伝えあうっていうワークをして。


野村さんに瞳をのぞかれた私。


「新しさ」


と、そんなワードをいただきました。


新しさかぁー。なんだかうれしいね。


野村さんの瞳の中をのぞくと、


「最先端」って、ワードが出ててくる。


たしかに野村さんって、なんか最先端な感じがするかも。


伝えると、へぇーってなことで、うれしそう。


お互いニュアンス違いで、似たようなギフト。


でも、なんだか、うれしいね。



さて。


「今日、どうするべー?」


マンハッタン、ここはNY。


野村さんの友達、コーヘー君がNYにいる。


野村さんも、浩平さんだけど、


もう一人の、コーヘー君はNY在住6年目。


私も一度会ったことがある。


写真家の男の子。


ブルックリンにいるコーヘー君に会いにいこう。


そうしよう。お昼を一緒に食べよう。


私たちは、携帯のLINEでコーヘー君と連絡をとる。


コーヘー君は、ランチの候補を3つくらいあげてくれた。


どこになにが、おいしいのかなんて、


てんで調べてこなかったので、大変ありがたい。


ブルックリンにあるベッドフォード駅に、


12時30分に待ち合わせすることになった。


軽く電車の乗り継ぎ方法を教わったものの、


ほぼ、野村さんに寄りかかった状態のママ、


地下鉄へとむかった。


すると。


ベッドフォードにいくはずの、Lトレインが止まっていた。


駅にいた人に話をきく。


「無料のバスが出てるから、それで行けるよ」とのこと。


じゃあバスで行こう。野村さんに提案した。


すると「ひとまず上に行って、タクシーをひろおう」と、野村さん。


そうかな? バスって案があるし、バスで行こうよ?


う〜ん。と、タクシー派の野村さん。


乗ったことがないNYのバスというのは、不安が多く、


私たちはタクシーをひろうことにした。


表に出てみるとタクシーがなかなかこない。


私はなかなかこない、タクシーにあせり、イライラしはじめ、


やっぱりバスで行けばよかったんじゃないか?


と思い始めた。


選択したことをそれでよかったのか、


迷うっていうのは、私のお決まりのパターン。


ああすればよかった、こうすればよかった、ってよく後悔する。


やっとのことで、野村さんが捕まえてくれたタクシーの中、


「一度選択したことを、後悔するのは、本当に意味がないことだよ」


と、神の一声。たしかにそうだ。


わたしたちは、バスの冒険をすることもできたけど、


こうしてタクシーで待ち合わせの目の前まで行くことだってできるんだから!






おなかぺこぺこ。


待ち合わせ時間の1時間後、


ネットのつながるカフェにいくと、LINEにメールが来ていた。


「Lトレインが止まってるんだね。これは一時間はかかるとおもい、


一旦家に帰ってます。着いたら連絡ください」


NYのコーヘー君は、とても冷静。


私たちは、コーヘー君を待たせていなかったことにホッとし、


改めてメールした。


コーヘー君は、10分もしないうちに自転車で到着。


革ジャンにキャップ。


NYで会うコーヘー君は、


東京にいるときより、もっと堂々としているような感じがする。


3人になった私たちは、ブルックリンの街をぶらぶらと、ランチの場所を探した。


候補1のお店は、とにかく美しいお店で混んでいた。


候補2も1時間待ち。やはり人気のお店は混んでいるんだなー。


そうやってぶらぶらと古着屋さんなんか見ながら、


足をのばすとなんともシャレたお店がみつかった。




「5分くらいで、案内できます」


ちょっと薄暗くて重厚感があって。


なんとなく中東なイメージもありながら、NYの感じ。


とても、いいですね。


お店のボーイさんは、


紙製のテーブルクロスにメニューを書き込みながら、


なれた口調で説明をしていく。


う〜ん。ふくざつなんだけど、どれもおいしそう。


ほとんど、料理の想像ができなかった、わたしたちは、


コーヘー君の解説により、いくつかのメニューを注文。


注文が終わって、ミントティーをのみながら、


やっと、落ち着いて話をすることができた。


私たちは、コーヘー君のNYライフについて。


「このブルックリンも、昔は物価が安かったけど、


今ではだいぶ観光地化してコマーシャルな場所になってしまって……」


コマーシャル。


聞き慣れないことばの使い方に、また、NYを感じてみたり。


はたまた、作家でもあり、絵描きでもあり、写真家でもある私たちは、


それらをどう世に出していくか、ということにも話は及んだ。


コーヘー君。

「アメリカのアートはコンセプトが一番最初にくるから、そこをはっきりさせておかなきゃいけないみたい。アートスクールでも自分のコンセプトを相手にプレゼンテーションするトレーニングが凄く多いんだって。

だから、みんな自分の作品を説明するのがすごく上手だと思う」


ということらしい。


そっかー。コンセプトかー。


あんまり考えてなかったなー。


NYでの生活で、表現の仕方について


いろいろ考えているコーヘー君の語りは新鮮で、


私たちは、もぐもぐ、うんうん、うなずきながら、話をきいた。









おなかが満たされた私たちは、ブルックリンの街をぶらぶらと歩いた。


ショーウィンドーに並ぶ、洋服、雑貨、本屋さんは、どれも魅力的。


全身タイツのようなものから、かわいらしい色のワンピース、


面白い服がいっぱいあって、私は次々に試着した。


なかでも、蛍光ピンクのピタピタのボディコン風ワンピース。


野村さんもコーヘー君も気に入ったらしくて、


二人そろって「これ、面白くていいじゃん」と、推薦。


女性らしいとか、かわいいとか、男性うけ、


って枠からは外れた視点で意見を言ってくれる。貴重。


日本に帰ってから着れるかどうかは別にして、私はいっぱい買った。






コーヘー君と別れた私たちは、そのままぶらぶらと、


マンハッタンまで歩いて帰ってみようということになった。


橋。なんていう橋なのか、ブルックリンとマンハッタンをつなぐ、橋。


私たちは、歩いてわたる。


ジョギングする人や、自転車の人が私たちをぬかしていく。


きのうの日差しとは、うってかわって、肌寒い曇り空の中。


私と野村さんは、ブルックリンのことやNYのことや、


コーヘー君のことを思って歩いた。


40分もあるいたら、マンハッタンについた。


こうなってくると、そのままホテルまで帰れる気がして、


いけるところまで、歩いた。


道すがら、韓国系の安くてカラフルなアクセサリーショップを見つけた。


蛍光のブレスに、大きなピアス。


そのカラフルさと、斬新なデザインに、これまで押さえていた何かがあふれ、


キャーキャー言いながら、買い物をした。


「5ドルだって。うれしいね」


NYに来て、一番くらいのハイテンションで、私たちは買いあさった。


目立っちゃいけない気がしてたけど、そんなことない。


好きなカッコウしていいんだ。私たちは、この買い物に超満足した。





高揚した状態で気がつくと、とっくに日が暮れて、夕飯時。


お店がしまる前に、行きましょう。


ホテルの角にオイスターバーがある。


しゃれた、お店。


こういう場所に、野村さんと二人でくるって、あまりない。


私たちは、高揚したまま、注文し、お店のオイスター係に話しかけ、

NYの夜を楽しんだ。


おまけのオイスターと、おいしい料理と、


NYの楽しさで、はち切れそうになりながら、


ホテルへ戻り、1Fのラウンジで、踊りながら、一日を終えた。











3日目。


またまた、快晴。


3日目にしてはじめての別行動。


それぞれ行きたい場所で、買い物をすませて、


お昼に戻ってこようということになった。


私がまっすぐ向かったのは、ヴィクトリアズシークレット。


そうそう、下着を買いたかったのよ。


買えるだけ買うとレジに並んだ。現在、11時20分。


11時30分には、ホテルで待ち合わせだったから、けっこうぎりぎり。


レジのお兄さんがあんまりにものんきで、


世間話なんかしながらレジうってるから、


私はますます、あせった。


やっとこさ、私の番になって、黒人の若いお兄さんは、


ごきげんなまま、鼻歌を歌っていた。


レジ。「どう? 元気? 疲れてるように見えるけど、楽しんでる?」


私。「うん、まぁまぁ。買い物は楽しかった」


あ、そう? 疲れているように見えるんだ。


そういえば、あせっている時って、あんまり楽しめてないんだな。


レジのお兄さんの話を聞くと、


どうやら彼は大学生で、卒業の旅行に日本に行く予定で、


それをすごく楽しみにしている、ということだった。


日本旅行を楽しみにしている。


私はそれを聞いて、うれしくなって、すっかり打ちとけて、


京都や大阪は食べ物がおいしいよー。


なんて、日本代表ぶってアドバイス。


彼との会話のおかげで、遅刻によるピリピリ感から脱出できた私は、


過剰な罪悪感に苛まれることなく、ホテルに戻ることができた。


野村さんは先に到着していたんだけれども、


もちろん、私の遅刻によるピリピリなどなく、


機嫌よく、マイペースに過ごしていた。






私たちはそのままフリーマーケットに出かけた。


またまた刺すようにまぶしいNYの日差しに歓迎されながら、


NYの道マスター野村さんのおかげで、


迷うことなくフリーマーケットについた。


野村さんは、エメラルドグリーンのブローチを気に入って、


買おうかどうか迷っていた。


「これ、おばさんっぽいかな?」


いえいえ。


野村さん、似合いそうだよ。


バージョンアップって感じ。


ブローチを買おうか、うんうん迷っている、


野村さんって、なんだか、おかしい。


でも、ブローチ一つで人の印象が


大きく変わるかもしれないと、思うと、


それぐらい、迷う物なのかも。


一歩まちがえれば、おばさんかもしれない


ブローチを、エイ!っと、購入する、


野村さん。


新しい、道へ入っていきます!


的な、覚悟を感じる。


彼がつけると、とてもかわいらしい自己主張をする、ブローチ。


すごく、似合ってるよ。


人のことを笑っていたら、


ペンダント系のアクセサリーのお店で、


私も、ブローチを見つける。


かわいい、いくら?


25ドルよ。


あなた日本人?


そう。日本人。


福島のこと、どうなってるか教えて? 


津波は? 原発はどうなってるの?


とても気になっているんだけど、


ここNYでは、ほとんど情報が入ってこないの。


そう、言われた。


私が福島出身である、なんて一言もいっていないのに。


福島はまだ原発への怒りも放射能の恐れもあるよ。


でも、みんな強く生きてる。


そんな話を、した。






ホテルにもどると、それぞれ休憩しながら、いろんな話をした。


やっぱり私たちは、自由に表現していいんだ。


そうだそうだ! ってな具合。


夕方、もう一人の、ノムラコウヘイさんじゃない方の、


コーヘー君をホテルによんだ。





コーヘー君に、


ブルックリンで買ったレースのワンピースや、


韓国系のアクセサリーショップで買った、ブレスにピアスを


見せびらかした。


野村さんなんか、それ、ほんとにつけるの? 的な、


蛍光イエローのじゃらじゃらネックレスを


うれしそうにつけている。


「ブリンブリンですね」


ブリンブリン?


そうそう。Bling bling.


お金がないんだけど、派手に見せようとしてるってなニュアンスなんですけど。


まさか、二人がそういうのに、ハマると思わなかった〜。


ハマりました〜。


自由に着飾りたい。


表現したくてしょうがない。


それが爆発して、ブリンブリン。






東京の友人、青柳さん。


年に4度も、NYに来ているという彼。


おいしいお店なら、得意分野です。


NY出発前、青柳と一緒にランチした時のこと。


「かして」


私の携帯をひったくるように手にすると、


見たこともないアプリをダウンロード。


ランチ中、ほとんど会話もなくひたすら私の携帯に、


NYのおすすめレストランを入力してくれていた。


一カ所は、行かなくては。


そう思ってたところ。


NYのコーヘー君と相談により、トルコ料理に行くことになった。


電車ですぐ。


私たちは、行列のできた、トルコ料理屋さんに並んだ。





NYのコーヘー君の、NY在住の友達も2人合流。


革ジャンに、パッツンおかっぱ、ベティちゃんのような


とても個性的な出で立ちの女性と、


対照的に、ノームコアな雰囲気の優しそうな男性。


二人の新しい友人たちは、


どちらも9年、11年の長いNY生活。


こちらの生活がどんな感じなのか、


NYに住むってことに、興味があった私は、


話をきいてみる。


NY在住11年女性。

でもやっぱり、お金って必要じゃん?

ってなニュアンスで。

NYのオフィスで働くルーティンさ、

アメリカ人は、意外とNOと言えなくて陰口を叩く、etc……


生活するためには、お金が必要、

そのためには、雇ってくれる仕事をやらなければいけない、

多少やりたくないことでも、

退屈していても、

仕事は、生きるために必要なこと。

だって、お金を稼がなくてはならないから。




私は話をききながら、なぜかとても退屈していた。


NYに住むことには、とても興味があったんだけど、なぜか。


テーブルを囲んで、野村さんは、うんともすんとも静かで、気配を消していた。


ご飯を食べ終えて、新しい友人たちと別れると、


またまた2人のコーヘー君と私と3人になった。


で、結局私たち、表現したい人たちならば、


やるしかないだろう、と、毎度の話になった。


やっぱりそうなのだ。






そうしてあらためて、野村さんとホテルにもどり、


さっきのことがらは何だったのか探ってみる。


「ボク、おならばっかりしてました」


そっか。静かだと思ったら屁ばっかりこいてたのかー。


「やっぱり、あの二人は退屈してるんじゃない? 


退屈してる人からは、退屈しか出てこないよ」


そかー。なるほどー。たしかに。


だってさ、そういう話って、


東京でも、よく聞くじゃない?


どこに住んでいようとも、毎日を充実して生きてないと、退屈してしまう。


海外にいけば、NYに住めば、変わるってわけじゃない。


あたりまえなんだけど、NYに住みたかった私には、


改めて、教えてもらった気がした。






最後のNY宿泊。


窓際に寝る野村さんとベッドを交換してみた。


寝る際の景色がまるで変わって不思議。


でも、頭がぐるぐるして、ぜんぜん寝れない。


景色は変えてみたかったけど、


このベッドは、すっかり野村さんのエネルギーになっていて、


そっか、野村さんの家なんだなー。


まだまだ話せる気がしたけど、野村さんはおこさずに、がんばって寝た。








最終日。


あんまり寝れなかったけど、8時起床。


野村さんは、もう起きてて、瞑想。


さて。


おしゃべりもそこそこに、お土産を買って、


ホールフーズに行って、


昼のぶらぶら、マンハッタンの公園で、一休み。






そのままお昼寝なんかしちゃって。


最後のNYを感じて。


私たちは、チェックアウト。


さよなら、Aceホテル。






タクシーで、空港へ。


運転手は、アラブ系の彼。


気前良く運転しながら


携帯で恋人と話して、


片方の携帯で、メール打って、忙しそうだ。


「なんか、すごいね」


日本語でもらすと、


え?って感じで、反応する運転手。


私たちの会話にだって、参加してくる。


そして、空港についてみると、


最初に言われてた金額より、


上回っている。


え? なんで?


いやいや、高速乗ったから。


え? 聞いてないし!


ちょっと、待ってよ、先に言いなさいよ。


と、噛みつきそうになるも、


そういえば私、アラブ系の人を相手に、


ケンカをすることが多い気がする。


と、我にかえる。


野村さんは、特に腹を立てる様子もなく。


ここは、豊かさを受け取りましょう。


空港にもあっという間についたし。


よしと、しましょう。






またたく間、ぎゅうぎゅうのNY。


面白かった。


さよなら、NY。






帰りの飛行機では、


「深夜食堂」を見た。


とても、面白くて。日本らしくて。


日本の、汚さ、はかなさ、情、美しさがつまっていた。


やっぱり、日本は美しい。


形式的なものも、そうじゃないものも、すべて。


そう感じて、日本へ帰った。



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