離婚時代に私が小学生ながら何を考え、何を悟ったのかというお話の2つ目です。
そもそもの家庭事情やこの文章をかくに至った経緯についてはぜひその1をお読みください。
2)「離婚している」ことをコミュニケーションに活かせること
離婚後の生活環境の変化の中で何が一番堪えたかというと、貧しさや周りの「可哀想」という目線からくる劣等感ではないかと思います。そしてそれが「使える」ということにも徐々に気付き始めたのも小学校高学年くらいのことだったと記憶しています。
順を追ってお伝えしていきたいと思います。
もともと裕福な家庭ではなかったものの、離婚後に引っ越したのは、六畳二間で外に洗濯機のあるぼろアパート。
部屋が狭いから辛いとかひもじいとかということは全くなくて、「狭くてごめんね」と暗い表情で謝る母に疑問を覚えるほどに、こんなの何でもないって思っていました。
実際、決して不自由な生活ではなかったと思います。
家のすぐそばに祖母といとこの一家が住んでいて、「ポケモン」や「たまごっち」などの当時流行っていたゲーム類もゲーム好きの叔父さんにプレゼンしてもらいましたし、プリクラを撮ったり、シールを集めたりといった女の子にとっての娯楽的なものを買い揃えることについても毎月500円のお小遣いとお年玉貯金の範囲で対応できました。
児童館代わりに地元のおばあさんが運営している補習塾にも入れてもらって、教育機会にも恵まれていたと思います。
しかし、
じわじわとこれは友達の家とは違うということがわかってきて、家の現状が見えてくるようになりました。
ただ、家に友達を呼ぶのはちょっと恥ずかしいと感じたり、仲の良い友達はみんな私立の中学に通うために受験勉強しているのに自分はできないという現実を知ると、私は普通のお家とは違うんだ、劣っているんだと感じました。
それから、私の家が離婚していると聞いた上で、いかにも同情してる風の顔で話しかけられるのも、自分が可哀想な存在だと思い知らされるようで、とても嫌でした。
だから私は母子家庭だから劣っていると言われないように、勉強も頑張り、学級委員的なポジションにも進んで立候補しました。
いわゆる優等生になることで、自信のない自分を守っているところがあったと思います。