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東京オリンピック・パラリンピック

Image by Olia Gozha

記録上3回目の東京開催


 初めて、アジアの国家で行われたオリンピックは、外でもない1964年夏季『東京オリンピック』である。これは、特別目新しい話題ではないかと思われる。しかし、国際オリンピック委員会の公式記録上、1940年、東京と札幌の2都市でオリンピックが開催される予定であったこと、そして、それが結局は頓挫し、開催権の返上となり、開催候補地がヘルシンキへと移ったこと、そして、そのヘルシンキ大会も開催中止となったことは、あまり知られていない。

 折しも、日中戦争のただ中で、金属など軍需転用を市井の人にまで迫っていた中、これを開催するということは、非現実的であるということ、さらには国際オリンピック委員を務めた「柔道の創始者」嘉納治五郎がカイロでの国際オリンピック委員会総会の帰路で急逝したなどの諸事情もあり、開催権の返上となったわけである。ちなみに、ヘルシンキ大会も、第二次世界大戦の激化により中止となっている。近代オリンピック史の中で、中止となったのは、この1940年大会を含めて合計3回だけなのだそうだ。これについては、後述したいと思う。

 さて、ここ数か月、「新国立競技場の予算問題」、「大会ロゴデザインの盗作疑惑問題」、さらには、2020年の開催に立候補した際に当時、誘致を推し進めていた日本オリンピック委員会、関係委員会らが声高に掲げていた「コストの低いオリンピック」という大看板が、がたがたと音を立てて崩れているのは、報道を見ても明らかである。今回、この2020年東京大会について考え、オリンピックそのものの過去を振り返ってみると実に興味深いことが多々出てきたので、あと5年後に迫ったオリンピック、パラリンピック開催へ向けて、少し冷静になって考えてみたいと思う。


誰のためのオリンピック・パラリンピックなのか?


 今回、ふとしたきっかけで、このオリンピックに私は興味を持った。私は、『徹頭徹尾、文系』であって、『体育会系』とは縁遠い存在だ。ところが、武蔵小杉の駅前をふらふらと歩いているときに、「空手をオリンピックの公式競技へ」といって、空手着に身を包んだ少年少女、その保護者から、若い空手家たち、そして、その指導者たちが、署名運動をしている光景を目の当たりにした。再開発によって、整然とした街並みの中で、50人近い人たちが、声を張り上げて往来に署名を求めていた。無視して通り過ぎてゆく人たちもいる中で、私は署名をした。


 現状、これが実現可能かどうかは分からないのだけれど、2015年6月22日時点では、なんとか追加候補の中へと食い込んだようで、少なからず希望がつながったようである。署名をしてよかったなと思った次第ではあるが、だからといって、私が空手をやるわけではないので、何に対して「よかったな」と思ったのかを考えてみた。あれはまだ春先のことだったので、それほど暑い気候ではなかったと思うが、声を張り、なんとしても自分たちの学んでいる「武道」を夢の舞台、それも自国開催で競技化したいと思い、声を枯らし汗を額に滲ませながら励んでいた少年少女たちの努力が、一縷の希望へとつながったことに対して「よかったな」と思ったのであろう。

 「オリンピック憲章とその意義」については、後述しようと思うが、「誰のためのオリンピック・パラリンピックなのか?」という疑問について、明確に「競技者とそれを観戦する人たちのためである」と私は考えたい。夏季、冬季、オリンピックはそれぞれ4年ごとに行われているが、その代表選手になるために、多くのアスリートたちはすべてを捧げている。これは、どの競技でも同じことだ。その上で、彼らアスリートたちが、全力を出し切るための舞台装置として、「競技場」は存在するべきであるし、「ロゴ」を始めとした視覚的デザインは、観衆(そしておそらくアスリートたち)の熱意を集中させるための「記号」であるべきだ。

 連日の報道を見ていると、「総工費」、「損害賠償」、「違約金」、「法的措置」などといった、ネガティブな話題ばかりが見出しを飾っている。もちろん、これは税金を投じた一大事業であるし、私自身がそうであるように、何かスポーツをしていない人たちからすると、「公費の無駄遣い」、「醜態」などと感じられても仕方がないと思う。一連の騒動に対して、個人的にも憤りを感じていたので、『白紙撤回』と安倍首相が名言した際に、私は首相官邸のホームページの意見・問い合わせフォームにメッセージを送った。

「白紙撤回とのことで、首相を最高責任者として強いリーダーシップを発揮して欲しい。また、東日本大震災からの復興という観点から、一部建築資材なり、オブジェクトなりに是非、被災地で放置されている瓦礫を再利用するべきだと思います。」

首相官邸「首相官邸HP発信専用7月22日 ご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。 首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当」

 期待はしていないというか、期待を裏切らないテンプレート回答が返ってきた。しかし、少なくとも発言をしたのは事実だ。

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