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アトピーから自分らしさと生き方を教り、アトピーセラピストへ生まれ変わる物語

Image by Olia Gozha

『アトピーと仲良くする生き方』


「atopiness」は「atopy」と「happiness」を合わせた造語。


ここに、アトピーと共に生きてきた足跡があります。


「自分の姿が悲しかった・・・」


「かゆくて眠れなかった・・・」


「そんな毎日が苦しかった・・・」


「先の見えないこの体質が、すごくつらかった・・・」



そんな終わりがないような 永い永い繰り返し。

落ちるところまで落ちて、絶望を味わいました。



そこに降り注いだ たった一言が、


僕の世界を変えてみせた。



「アトピーは才能・ギフトだよ」



この言葉が、心の深い闇の奥で

ちいさな希望の灯火になって 僕を導いてくれました。



歩み出した新世界。


アトピーのセラピストへ


そんな、ありのままの「STORY」





〜 誕生からアトピー発症の19歳まで 〜



1980年2月初旬。

母の故郷、鎌倉で生まれました。

誕生までに24時間もかかる難産、長時間の出産に体力も消耗し、

僕が生まれた時に母は出血で意識を失いました。

母は緊急で運び出され、僕はひとり保育器の中で過ごしたそうです。


「こんなに泣く子はめずらしい」


病院内でそう言われるほどよく泣いたそうです。

母も無事安静を取り戻し、

その後はよくある家庭のように僕は温かく育てられました。

小さい頃はの写真は、海で遊んだり、

お友達と一緒にいる写真が多い普通の子でした。

もちろん、アトピーなんてまったくなく、

2歳の頃に一度肺炎で入院をしたくらいです。


小学校に入って僕の中で少し変化がありました。

それまでは女の子とお話をしたり、

一緒に遊んだりすることは普通のことだったのに、

よく女の子と仲良くしているとからかわれました。

なんとなく男の子と女の子が

「仲良くしているのはおかしいんだ」と感じるようになって、

僕は今まで自然だと思っていたものを切り離したと思います。

とくに幼稚園から仲良しの女の子と

「大きくなったら結婚しようね」の会話をすごくバカにされて、

しばらく嫌な日が続きました。

ちょうどその頃「人の噂も75日」

ということわざを知ったもので耐えることで過ごした思い出です。


そんな年頃の思い出に、

学校の何かの授業で将来の家の図を描くことがありました。

なぜか僕にはすごく楽しくて、

「天窓があって」

「螺旋階段で」

「庭はこんな感じで」

「屋根裏部屋に繋がってて」みたいに。

その授業は終わっても、

家で遊んでいるときに新聞に挟まっていた

不動産のチラシを見ながらたくさん描いていました。

不動産の仕事を長く経験してきたことを思えば、

なんとなく不思議でご縁を感じます。


その後、中学校、高校と

どこにでもいるような少年時代、青春時代を生きてきました。

おとなしい性格から、

ときどきイジメられることもあってつらい時期もありました。

でも、仲の良い友達にも恵まれ、

勉強やスポーツもそれなりにやってきたし、

アルバイトで社会にも少しづつ触れる機会もできました。

恋をして、失恋もして ごく普通の学生時代を過ごしました。




〜 アトピーが現れる19歳前後 〜



高校を卒業して1年後、大学生のとき。

ある日、お腹のおへその辺りが無性に痒くなりました。

赤く腫れてだんだん痒みも強くなりました。

放っておくとジュクジュクして気持ちわるい。

なんでか分からなかったけど、

どうやらベルトのバックルに触れていると痒いことに気づきました。

そこから「金属アレルギー」だと知り、

皮膚科で薬をもらいベルトも直接肌に当たらないようにして治しました。

それが過ぎるとさらに、僕の左の二の腕に湿疹が現れます。

また皮膚科に行って塗り薬ですぐに治りましたが、

しばらくして今度は全身に現れました。

赤い湿疹が身体中現れて気持ちも不安定になったこともあります。

何度か通院して、飲み薬と塗り薬で一応治すことはできました。


この頃の僕は、自分が将来どんなふうになっていくのか。

そんなことを模索しはじめた頃でした。

読書が大好きになり、とくに自己啓発的なエッセイを読み漁りました。

何かにチャレンジし、乗り越え、輝くような成功していく。

そんなストーリーがどこかで願うようになっていた。

何の目標もなく大学に行ってということに疑問が浮かび、

そのまま大学を中退しました。


「それからどうしていくの?」


そういうことはあんまり考えていませんでした。

漠然と時間だけが過ぎ、

気がつけば熱い胸の内とは裏腹に、

ただのフリーターみたいな生活になっていました。

もちろんそんな僕に両親もガッカリしたでしょうし、心配させました。

肌もだんだんアトピーらしくなり、

かゆくて掻いては搔き壊し、ステロイドも多用していました。

週に一度は皮膚科に通い、バイトして帰ってくるだけ。

幼友達も就職したり、大学に通っていたり、

僕だけ何もない。

時間がどんどん過ぎて、何も変わらない。

自分の居場所が徐々に分からなくなってもいました。



結局、自分がどんな未来を築くのかこれっぽっちもイメージできないまま、

フリーターをやめ専門学校に通い、就職をして社会人となりました。

プレッシャーに負け、会社を転々とした時期もあります。

付き合っていた彼女にもフラれ、

アトピーも以前よりひどくなってしまい療養してから再就職。

という流れになりました。


再就職をしたホテルのレストラン。

そこが僕にとっては社会人としてのちゃんとしたスタートでもあります。

最初はとっても仕事が出来ない子で、

毎日怒られていましたが少しづついろんなことを覚え、

自信芽生え少しづつ成長することができました。


落ち着いたりひどくなったりするアトピー。

就職とともに始まった一人暮らしから

不規則な生活と食生活の乱れもあって、

肌荒れが落ち着いた状態が

一年を通して徐々に少なくなっていきました。


Yシャツに血がつく。

常にかゆくて落ち着かない。

肌を隠す部分が増えてくる。

夜も眠れなくなって起きているのか眠っているのかも分からない。

もう誰が見ても大変な状態になっていても仕事をしている。

ボロボロになって、涙も出ないくらい。

全身が燃えるように赤く、かゆく、痛む。

血と浸出液にまみれてバケモノのように変貌していく。

体と同じように、心も朽ち果てていくよう。


「人生が終わった」

「もう、生きていたくない」


言葉に尽くせないほど、

どうしようもないほどの状態を迎えました。



そんなとき「漢方の煎じ薬」と「人生で最も大切な人」に出会います。




〜 恋愛、結婚、仕事、マイホーム、愛する2人の子供たち 〜



ボロボロの僕を見かねた人が漢方をすすめてくれました。

藁にもすがる思いで漢方の先生のもとへたどり着きました。

見たこともないような不思議な薬草。

ものすごく苦くて独特な香りの煎じ薬。

毎月5万円かかったけど

「もうこれが最後の手段だ」

素直に信じて、必死で治そうとしていました。

仕事を頑張って、帰ったら静かに静かに生きていました。

とにかく漢方の煎じ茶を信じて続けました。


仕事以外で外に出たくないのは変わらず、

友達から「飲もうぜー」とか「休みいつ?」

なんて連絡が来るたびに、遠回しに断ったり。

だから、いつも一緒にいた友達と離れていく気持ちが

とても寂しく感じたりもしました。

ちょっと前向きになりたくてインターネットからお友達を探して

部屋から出ずにコミュニケーションを取り始めました。


そんなとき、僕は彼女に出会いました。


「Mikaちゃん」と呼んでいます。


外では、「奥さん」と呼んでいます。

「妻」とか「嫁」とかじゃなくて、

隣にいないときでもそう呼んでいます。

もう出会って10年になるんですね。

あの頃のことは今でもよく覚えています。


Mikaちゃんは、都内に住んでいたこともあったけど地方へ異動になり、

慣れない環境や悩みもあって地元でもないし友達との距離も遠く、

時間の合間にインターネットに触れていたそうです。

僕らは何度かメールでやり取りをして次第に仲良くなりました。

電話もするようになり、

そんなときはアトピーのつらさを忘れていられたような気がしました。

「遊びに行きたいね」とか話していたり、

「会いたいなぁ」とか思っていたりするけど、

僕は「アトピーなんだ」って言えませんでした。

怖かったし、もう自分の見た目にも自信がなくなってました。

「どんな人なんだろう?」

そう気になっても、僕がどんな人かを明かす勇気に戸惑っていました。

会いたくて とにかく、きれいになろうと励みました。

その後たった一枚だけ、

何度も何度も撮り直してきれいに撮れた写真を

Mikaちゃんに送ることができました。


ボロボロだったけど、

漢方の煎じ茶のお陰だけど、

Mikaちゃんと出会えたことが

絶望から這い上がる「希望」になっていきました。


Mikaちゃんと出会ってから

日々のことなどをメールで話したり、

ときどき電話をしたりして次第に明るい気持ちになってきました。

でも、アトピーのことをなかなか話せなくて不安な気持ちも一緒でした。


「いつか会いたい」


僕は一人暮らしをいったんやめて実家に戻りました。

まだアトピーの辛い時期でもあったので、

仕事以外のことは両親に助けてもらうことを選びました。

深夜に帰ってきて母さんが作っておいてくれた煎じ薬を飲んで、

なるべく寝るようにしました。

鏡をのぞき込んでは

「もうちょっと、あと少し」と言い聞かせていました。

そのうち、初めてのデートの約束になり、

そのときはじめて「アトピーなんだ」とMikaちゃんに伝えました。


「何も気にしないでいいんだよ」


Mikaちゃんは僕がアトピーであることを

何のマイナスもなく受け入れてくれました。

猛烈アトピーから立ち直りつつある中、僕はとても痩せました。

やせ細ったのではなくて、いらないものが抜けて身軽になった感じでした。

それまではちょっと太っていて

コンプレックスでもあったのでそれは嬉しい変化でしたね。

デートの日までに新しい服を買って、

髪もいじるのが楽しくもなっていました。



年が明け、1月25日。

僕はいつも仕事に向かうのとは違う電車の中。

まだ少し肌荒れも残っていたけどあまり気にしないでいられた。

約束の場所に着くまでの電車の音、駅での停車と発車。

緊張とワクワクの行ったり来たり。

近づくにつれて、僕の胸の奥はドキドキが止まない。



駅について、時計を気にしながら改札をでたとき、

長い髪で、

可愛らしい白いコートを着て

改札の脇で僕を待っていてくれました。

会う前に送ってくれた写真も可愛かったけど、

目の前にあらわれたMikaちゃんはとても綺麗でした。

今までたくさんお話ししてきて、

でも会うのは初めて。

不思議な気持ち。


どんな挨拶をしたっけ?

ちょっと忘れてる。

でも、自然で気が付いたら笑ってた。


真冬の後楽園。

Mikaちゃんとの1日が楽しくて楽しくて、

何に乗っても、一緒に食事をしても幸せな気持ちでした。

アトピーってホント苦しかったけど、

夢のような1日をプレゼントしてもらいました。


日も暮れて、あたりがイルミネーションに変わるころ

2人で観覧車に乗って、

空にいちばん近いところまで上がったとき

僕は伝えたい気持ちをMikaちゃんに贈りました。


車内にはレミオロメンの「粉雪」が流れていて

観覧車を降りるとき

手を繋いで一緒に歩いた帰り道から

新しい日々が動き出しました。



体もすこしづつ楽になっていき、

いつまでも親元にいてはと

実家からさほど遠くないマンションに引っ越しました。

引っ越した先は面白いところで、

1階には昼はカフェで夜はビリヤードバーがあるマンションでした

。なぜか2階の踊り場にはバーベキュー場まであったんですが、

使っているところは一度も見ることはありませんでした。

休日には、Mikaちゃんは仕事が終わった後で

電車を乗り継ぎ3時間もかけて遊びに来てくれました。

僕もいつも帰りが遅くなるので、

深夜に二人で最寄りの駅で待ち合わせて一緒に歩いて帰りました。

1階のお店で食事をしながらおしゃべりをしたり、

休みはどこかへ遊びに行ったり、

一緒にゲームをしたり、映画を見たり、

どこにでもいるような2人です。



夜、Mikaちゃんは僕の顔や手をマッサージしてくれました。

肌荒れで人に見せたくなかったし、

触れられることもなかった僕にとってMikaちゃんの手は愛情そのもので、

そのまま安心して眠りにつけました。

次の日が仕事でもその晩に帰らずに、

日が昇る前の早朝に僕の部屋を出て仕事に行った日もありました。

僕にとって失われていた日々が少しづつ帰ってきました。

Mikaちゃんと友達に会いに行ったり、

実家でも職場でも僕に笑顔が返ってきたことを

みんなが喜んでくれていたように感じました。

もちろん、ときどきケンカしたり仲直りしたりもありました。

そんな日々に包まれて、

それと一緒に辛い症状からも解放されていきました。



ある日、

Mikaちゃんが遊びに来てくれた夜。


僕がシャワーを浴びて部屋に戻ると、

床の真ん中にMikaちゃんがポツンと座っていました。



少し沈黙があって


それから、ちいさな声で、



「別れようね」


と告げられました。


Mikaちゃんの瞳からは、


ポロポロ涙が溢れていました。



「ゴメンね」



ケンカしたわけでもないし、何があったか僕には分かりませんでした。


そのまま伝えて去るつもりだったかもしれませんが、

涙が止まらなくて、僕に話してくれました。

Mikaちゃんの実家は木材を扱うお仕事を長くしていたのですが、

経営が苦しい時期だったそうで多くの負債を抱えてしまう心配がありました。

何も知らなかったMikaちゃんはそのことを告げられ、とてもショックだったと。


一緒にいたい。

でも、このままいたら


「きっと迷惑かけちゃう…」


そんな想いがいっぱいで

僕の体が良くなってきたら、


僕と別れようと決めた。



いま思い出すと、どうだったかな。

よく考えるって何だろう。

未来を見据えるって何だろう。

ただ想いが伝わって、

心が先だったか

体が先だったか

迷いがなさすぎて分からないくらいだけど

Mikaちゃんの前に膝をついて、頭を下げて


「結婚してください」でした。


お風呂上りだったからパンツ一丁でした。

涙を拭って、Mikaちゃんも受け止めてくれました。



そこから僕の歩みは加速していきました。


休みの日に一人で実家に行き、両親にMikaちゃんと結婚することを伝えました。

アトピーのことでもさんざん心配をかけたから、父さんと母さんは心から喜んでくれました。

祝福されるって幸せなことですね。

家族にMikaちゃんを紹介したときも暖かく迎え入れてくれて、

とくに母さんは僕のことを相当心配していたのでMikaちゃんに心から感謝していました。

Mikaちゃんのご両親にも初めてのご挨拶と婚約のご挨拶で2回ほど会いに行きました。

ご両親も「アトピーのこと、気にしなくていいよ」

アトピーのことって一番否定していたのは僕だったんですよね。


Mikaちゃんも「東京に戻りたい」と職場に願い出て、

めでたく都内での勤務に変わることになりました。

僕が住んでいたマンションは半年くらいの生活で終わり、

Mikaちゃんが東京に戻るのをきっかけに一緒に新居を探し、

2人で暮らすこととなりました。



しばらくしてから、

僕は母さんから渡したいものがあると呼ばれました。


父さんと母さんから贈られたもの。


幸せを結ぶ輪。


アトピーがなかったら

僕はMikaちゃんと出会うことはなかったかも。

両親がいなければ

僕はこの世に生まれなかった。

いつも繋がっていて

そのつながりに感謝と愛情を感じることが幸せなんだと思えます。


そう、僕がMikaちゃんにプロポーズしたときってパンツ一丁でした。

それはそれで良かったけど、

素敵な思い出をプレゼントしたいなと勝手に考えて

僕は仕事後に「ちょっと遅くなるね」と電話してから深夜のファミレスにいました。


アトピーって苦しくて必死で

「どうして自分がこんなになるんだろう‥」

そう思う毎日ばっかりでした。

だから体も落ち着いてきて

振り返ってみるとMikaちゃんとの日々は感謝で溢れていました。

そんな想いで手紙を書いて真夜中に帰宅しました。

家に着いた時はとっくにMikaちゃんも眠っていました。

次の日はお互いに休日で特に予定も入れていませんでした。

僕は早朝の5時にそっと起きて着替え、

昨夜書いた手紙と

「初めて会った場所で待ってます」とメモをテーブルに置いて家をでました。

母さんから少し前に手渡されていたものをバッグに入れて。


薄暗い道を通って最寄りの小さな駅で電車に乗りました。

ちょっと眠くてウトウトしてました。

後楽園の駅に着いて

開いていたcaféで本を読んだり、

どんな1日になるかなってワクワクしたり過ごしていました。

Mikaちゃんが喜んでくれると思うとドキドキもしていました。


時計が朝7時を回り

のんびりそのまま8時を過ぎ、


「Mikaちゃんもお休みの日だからね」と思って気分転換にcaféを変えました。

することがなくなり「ONE PIECE」を本屋さんで買ってきて読んでいました。


9時が過ぎ、

あたりも朝の空気から日常の雰囲気になって「ONE PIECE」も読み終わってしまいました。


さら10時近くなって、

僕は


「いいかげん起きてもよくね?」


と思ったけど、

サプライズのつもりなので、こちらから連絡しないルールに縛られてしまい。

ただただ待ち人になっていました。

前日ほどんど眠っていなかったので、店内でボ~っとしていると

やっとMikaちゃんから電話がきました。


「どこいってるのっ!」


「… 」


僕は、

こっちとあっちのテンションの違いに戸惑いながら

「テーブルっ、テーブル見てねっ」

とだけ伝えて一旦電話を切りました。

しばらくしてまた電話がかかってきました。


「準備してからだし、すぐに着かないからねっ」


「…はい」


でも、やっと気づいてくれたので少し安心しました。

準備も含めて1時間半くらいかなぁと。


そんな待ちに待った1時間半後、

携帯のメールが着ました。

「やっと来たっ!」と思ってメールを開くと、


「いまから出るね!」


僕はお店の天井を見上げていました‥

朝、家をでて6時間以上経過。

あとちょっとです。


この日のこと。

ホントに待ってたことばかり覚えています。



やっとMikaちゃんが到着して駅まで迎えに行き、

もうその時は、普段のデートのように楽しく過ごしました。


夕方、思い出の観覧車に乗って

街を見下ろしながら、景色もだんだん変わっていって

出会った日と同じ一番空に近いところまで登ったとき

父さんと母さんから受け取った指輪を、Mikaちゃんへ。

僕の両親が結婚するときに、父さんが母さんに贈った指輪です。

母さんからの提案で、その指輪を上野の宝石店で働いていた僕の従姉妹に持って行き、

もう一度石を磨いて新しいリングに変えてもらいました。

指にはめてあげたとき、Mikaちゃんは泣いちゃってでも笑ってくれて。

お互いいろんなことがあって出会ったけど、

その瞬間は淡い思い出になっても一生忘れることのない時間になりました。

いま僕らには二人の子供たちがいて、

彼らが大きくなってそんな場面を迎える時、

両親が僕らにしてくれたように

またこの指輪をつないでいってほしいなと思います。


その後、幸せな結婚式を迎え。

僕は不動産という新たな仕事に出会い、

慣れ親しんだ街で家を買い、

そこで人生最高の宝物。

2人の子供たちに恵まれました。

実は子供が苦手だった僕も、2人の子供にミルクをあげたり、オムツを替えたり、

仕事から帰ったら可愛がって、夜に泣いちゃったら抱っこして寝かせていました。

両親から見れば、僕がこんなに子供と触れ合う姿は予想外だったようです。

これ以上ない幸せを受け取りました。


それから10年近く、アトピーとの生活は続きますが幸せな日々でした。




〜 アトピー再発、過去最大の苦しさに、すべてが壊れてしまうとき 〜


家族も仕事も、

叶えないたい願いが叶った。

アトピーはあるけれど、

漢方の煎じ薬が毎月高くても

それで安心だった。


幸せな気持ちも、

だんだん慣れて薄れていく。

そんな感じだったかもしれない。


漢方の煎じ薬が

あまり効かなくなってきました。

ちゃんと毎日飲んでいるのにアトピーが出てくる。


「なぜ? あんなにきれいになったのに・・・」


記憶によみがえる あのつらい日々の恐怖。

徐々にあの頃の自分に戻ってしまうようなドス黒い不安。


気にしないでいられたのに。

何年もたくさんのお金をかけてきたのに。

時間と肌の悪化とともに

アトピーにとらわれていく。

アトピー、荒れていく肌に意識が奪われ

家族との幸せな時間が消えていく。


信じてきた漢方薬を

信じられなくなりました。


僕は漢方をやめ、半身浴や食事制限、足裏シート、オイル、サプリメント。

次々と目に付く治療や方法に手をつけだしました。

効いたかと思えばそうでなかったり。

すこし良くなっても、

気がついた時には「振り出しのカード」が手渡される。

続かない。信じられない。延々と繰り返される治療ジプシー。

この螺旋に囚われて、いつしか僕は再びアトピーから抜け出せないループの中にいました。


必死に取り組む僕を見て、

ときどきMikaちゃんは言いました。


「もう少し自分の体と仲良くしてみたら・・・」


「アトピーでもいいんじゃないかな・・・」


僕にとっては、

「こんなに頑張っているのに何を言っているんだ」

「こんなに苦しいままでいいわけないだろ!」

そう思っていました。


Mikaちゃんの言葉を頑なに受け入れませんでした。




2014年 春


毎年、花粉の季節になると肌荒れが強くなっていく。

周りの人より早くマスクをつけ、

周りの人がマスクを外しても僕は手放せない。

春を過ぎ夏になっても長袖のまま。

かゆくてつらいのが当たり前になっていました。

顔と手に出やすい。

どんな季節でもどんな場面でも

隠すのが難しい部分。


僕を見る人の視線が気になる。

気になって僕は人の顔を見て話せなくなっている。

誰かが心配して声をかけてくれても

僕は、何か隠し事を突かれたように感じる。

心に突き刺さる自分の姿。


顔は真っ赤に腫れ、

ガサガサとデコボコ、浸出液が溢れてくる。

服もベッドのシーツも血とシミで汚れ、気を遣うあまり体勢も限られて堅くなる。

毎晩、かゆみと「どうしたら治るか」の思考に眠れない。

疲れ果てた明け方、やっと浅い眠りに落ち、わずかな時間だけ無になれる。

目が覚めたとき、部屋の周りに落ちた皮膚やカサブタの山に罪悪感が積もる。

僕の手は2倍以上に腫れ上がり、関節が切れ、ペンやお箸もちゃんと握れない。

ここまでひどくなるとは、想像もしていなかった。

歩くことも、話すことも、

そう。普通に生活することのすべてが

苦痛でしかなかった。


つくり笑顔すら消えてしまいました。

つらいのに涙が枯れました。


家族との会話や触れ合う時間が消えていく。

仕事以外の時間は、暗い部屋でたった独り。

Mikaちゃんが、子供たちが、僕に話しかけても答えない。

頭の中では この苦しみを

「わかってほしい」がいっぱいなのに。


体と同じように 心が壊れていきました。


アトピーのつらさを理解しきれないMikaちゃんを責める。

責める言葉が強く、きつく、研ぎ澄まされる。

まるで肌を掻き毟る僕の爪のように鋭利になっていく。

子供たちに怒る。

自分が静かに独りきりでいたいがために、我慢させ支配しようとする。


僕の言葉に怒りが。

僕の振る舞いに苛立ちが。

僕の存在が、家族の恐れになっていく。

そして、そんな自分をどうしようもないクズだとジャッジし続けた。


そんなストレスから少し楽になろうと、

家族と楽しい時間を作ろうと、

僕は初夏に旅行の計画を立てました。

一泊だけの、車で行ける距離。

終わりのないイライラとストレスの中で過ごした日々だから、

久しぶりに家族と一緒に笑いたかった。



前日は、着替えをバッグに詰め

明日は早めに起きて出発しよう。

少し前の明るい気持ちでいられた。


でも、

玄関のドアに鍵をかけ

車のエンジンをかけ

何気ない旅行のドライブにも

かゆみから逃れられなかった。


せっかく楽しい時間にしたいのに・・・

信号に、渋滞にイライラする。

ため息から、眉間にしわが寄る。

Mikaちゃんのなんでもない一言や自由奔放な子供たちに気が散っていく。

かゆみと体に気を遣う時間に疲れてくる。

車内や遊びに行った場所で言い争いになる。

とめどなく家族も自分も責めてしまう。


そんな1日になってしまい、そのまま日が暮れていきました。

ホテルでもベッドのシーツを汚したくなくて

独りだけ椅子で眠ろうとした。

1日の後悔が、頭の中を駆け巡って眠れませんでした。



翌朝、


僕の気持ちと疲れは変わることなく


たった1日の旅行も普通にできない。

アトピーを思い通りにできない苛立ちから



とうとう


心が砕け


怒りが爆発しました。


完全に


自分を見失いました。



なんでもないことに怒鳴り散らし


不機嫌と無口で終わらせる。


家族を責め立て、暴走する心。


なぜこんなバケモノのような人間なのか。



涙で必死に僕をおさえようとするMIkaちゃん。


怯えるちいさな子供たち。



なにもかもが

崩壊していくような絶望。



アトピーが憎い。


おぞましい自分が憎い。


呪いの言葉の渦が止まらない。


忌まわしいほどの感情に塗りつぶされていく。



予定をすべて切り上げ


誰も会話をしない車のまま帰宅しました。


僕は荷物も片付けず、そのまま独り部屋にこもりました。


延々と暗闇の中で、終わることのない自分への嫌悪に苦しむ。



Mikaちゃんとの想い出。

幸せな日々。

子供たちと触れ合った一瞬一瞬。


こんなにも

愛しているのに。。


どうして僕は、こんな存在なんだ・・・



真夜中。


子供たちも眠りについた頃。


寝顔だけ見たいと


1階に下り

誰もいないリビングに独り佇んでいました。



時計の針の音だけが

静かに刻まれていく。



もう、何も考えられないほど責め続けた。



そこにいるだけで

もう、なにもできませんでした。



寝室の戸がスッと開き

そっとMikaちゃんが僕の隣に座りました。




アトピーが現れてから15年。



はじめて


この夜に はじめて


言えた。



「もう、アトピーがつらいんだよ・・・どうしようもできないんだよ・・・」



そう癒えた。



Mikaちゃんの隣で 死ぬほど泣きました。



頑張ることをやめようと思った。

我慢することをやめようと思った。

アトピーと共にある「何か」を手放そうと思った。



このとき

僕のまわりを

何か優しい光のようなものが降り注ぐような気がしました。





〜 アトピーは才能・ギフトだよ 〜



何かが吹っ切れた気がした。


僕はよく「手放そうと思う」

どこかで聞いたことがあるわけじゃなかったです。

ただ自然と、なぜかそう口にすることが多くなりました。



それから

ネットでアトピーについて検索するなかで

「アトピーと心」についての言葉が目につくようになりました。


「心と体は繋がっている」


心?なんだろう?


いままでまったく目を向けていなかったし

むしろバカバカしいとさえ思っていた。

スピリチュアルな本。

引き寄せの法則。

メンタル・心理学のブログ。

たくさんの真新しい言葉が流れてくる。


「インナーチャイルド」

「受容」

「手放す」

「許す」

「陰と陽」

「男性性と女性性」


僕は自分の内面にフォーカスする時間に目覚めた。


いろんなブログや本から

僕の問いかけに応えるかのように

次々と心にスッと舞い降りてくるメッセージ。


そして、

僕は深く自分と向き合う決意をしました。


ネットで見つけたもの。



「キネシオロジー」



キネシオロジーとは、

痛み・違和感・不調・ストレス・トラウマ等の原因を、

身体の筋肉の状態やエネルギー(気)の流れをみて探すもの。

心や体の状態は、神経システムの反応として、

皮膚、姿勢、背骨・骨格系に影響を及ぼし、日常生活に現れている。


「心と体は繋がっている」


キネシオロジーについて本を買って読んだりしていくうちに

次第に自分の体。

アトピーの声を聞きたいと強く思った。


そして出会ったキネシオロジストさん。


同じアトピーを体験し、

同じようにたくさん苦しんで、

そこからメンタル・キネシオロジーと出会った方でした。


「この人に会いたい」


心と体に導かれるようにメッセージを送り、


セッションを申し込みました。



人は誰でも、

手渡された境遇が

どれほど苦しく自分を試すようなことがあっても

ちゃんとそばに出口はあって

ちゃんとそこから光が差していて

それに気づくまで

ずっと傍で寄り添っていてくれた何かがあります。



セッション当日。

僕にとってはキネシオロジーだけでなく

メンタルにフォーカスするカウンセリングのような場は初めてでした。


緊張もしていました。

もちろん肌荒れもあって楽ではなかったけど

なぜか穏やかで楽しみな、そんな不思議な気持ち。



アトピーについてのカウンセリングを受け、

僕の体、筋反射を診てもらいました。



このときはまだ

僕は

アトピーの原因が知りたかった。

アトピーの治し方を知りたかった。



でも、


キネシオロジストさんが、


僕に伝えてくれた言葉。



「アトピーは才能・ギフトだよ」



本当なら「何を言ってるの?」かもしれないけど

その言葉が心に深く届いて。

居場所を見つけたような不思議で穏やかな気持ちになりました。

素直に受け取ることができました。

波に身をまかせるような気持ちの良さ。



「ブログを書くといいよ」



もう僕には

出会いであれ、出来事であれ、ちいさな言葉であれ

どこまでも素直に、受け取ろうと思えました。




〜 不動産会社員からアトピー自己表現セラピストへ 〜



ブログをはじめることになりました。


アトピー。

僕自身について。


そのとき感じたことを

自分日記のように綴り始めました。



僕がアトピーについて想っていたこと。

アトピーの裏に隠されていたもの。


書くことで、

言葉にすることで、

自分の内にあったものが表に現れてくる。


「掻く」が「書く」へ


溢れるように湧き出てくる想い。

何もかも包まれているような感覚とリズム。

それがアトピーと向き合うことで自分が自分に贈るセラピー。


忌み嫌い終わることなく否定し続けた

「アトピーという自分」

そう、子供の頃に切り離した大人しく繊細な自分。

アトピーという僕の感性は「女性性」だった。


女性的な感性は「ギフト」それは受け取ること。

アトピーを受け入れてあげること。

自分を全部 愛すること。


Mikaちゃんが教えてくれた言葉。


「アトピーと仲良く生きる」


「治し方」が「生き方」へと変わる。



アトピーについてこうしたブログを書き続ける毎日。

書くだけでなく、たくさんのブロガーさんと出会いました。


文章が好きだったり、デザインが好きだったり、

面白かったり、興味が湧いたり、学んでみたくなったり。

スピリチュアルでも、カウンセリングでも、コンサルティングでも、

会いたいと思った人。

その場所へ導かれるように行きました。


ブログの文章も僕のリズムとスタイルが育まれて、

いつしか自分日記から、僕と同じようにアトピーに悩み苦しんだ人へ伝えたい。

そんなブログへと少しづつ変わっていきました。


それと同時に、アトピーはきれいさっぱり完治。

ではなくとも、徐々に楽に、肌荒れもだいぶ治まりました。

気になる程でもなく、好きに自由に生きられる。


仕事をしながら夜は記事を書く。

以前、僕がよく見ていたアトピーのブログランキング。

同じような気持ちを抱えた人がいるかもしれない。

そんな想いでランキングサイトに登録しました。

記事を書くごとにだんだん順位も上がり、

ブログのアクセス、訪れて読んでくださる方も増え、

常に上位にいるブログへと読者の皆様に支えられてきました。


アトピーで悩む方からご相談のメールを頂いたり、

お話を伺う機会ができたり、

そうしていくうちに、

僕と同じような気持ちがあることを、

一緒に分かり合える気持ちがあったことを知りました。


今の僕にできることをしたい。

あのときの絶望の中にいた僕のような人にこそ伝えたい。


僕は周りの人に「セラピストになる」とそう伝えました。

時期も明確に、退職日もそのとき決まりました。


でも「言っちゃった・・」とあとで思いました。


人は宣言すると、そうなるのかな。

言ってこそ決まる。

それから、僕の頭の回転は、

アトピーをなんとか治そうとフル回転していた かつての思考は、

そのセラピストになる宣言から

すべて「どうやってそこまでいくのか」に切り替わりました。

目に見えるもの、聞こえてくるもの

全部意味があって現れたもの。

気になったり、惹かれたりするものは全部触れてみる。

そうして徐々に数ヶ月先の道のりが一歩一歩見えるようになり、

僕の景色が変わっていきました。


もちろん、不安とプレッシャーは当然にあります。

収入は?家のローンは?ちいさな子供もいるんだし。

一時期、不安に押しつぶされそうでブログ記事が更新できなかったときもあります。


それでも、

僕の心に湧き上がる 不安も、

降り積もる心配も

「そう感じているんだ」

否定せずに受け入れるようにしました。


アトピーもそうでしたが、

ネガティブに思われる感情や思考。

それこそ感じ、味わい、受け入れる。

そうすることで自分の力になる。



そして、僕はアトピー自己表現セラピストに生まれ変わりました。





〜 アトピーとどう生きるのか?ありのままを表現して生きてほしい 〜



アトピーとは、ギリシア語の「atopia」が語源で「奇妙な」を意味する言葉。

確かに経験上、この体質って奇妙だと思います。

本当にわからないことが多いから。

ネットで一生懸命に治る方法やそうなった原因を探しますよね。

みんな同じようなことをしたと思います。

食事改善、環境を変える。漢方、マクロビオティック、湯治、整体。

もちろん皮膚科への通院。

もっともっと数え切れないくらいの治療法・改善方法があるのに、

いつの間にかなんともなく治ってしまう人もいれば、

あらゆることを試したけれど、どれも良い結果に思えない状況の場合もありますよね。


「どうしてなんだろう?」


何度も何度も体と感覚をとおして辛さを感じるのに「答え」が見つからない。

不思議ですね。なんて言っていられないくらい追い詰められるような日々を味わうことがある。

普段の生活習慣、またはその人の考え方。

周りを見渡せば、自分より体に負担のかかるような生き方をしているんじゃないかなって、

そう思うような人だっているのにアトピーではない人の肌と僕らの肌質は「違う」


「アトピーから自由になりたい」


そこに特別な願いはないですよね。

ただ普通に心地よく眠りたい。

ただ普通に美味しいものを食べたい。

ただ普通に好きな服をきて歩きたい。

ただ普通に人と触れ合いたい。


「奇妙」と呼ばれる語源に対して叶えたいものは、

どこにでもあるようなこと。


アトピーの人が特別なわけではないです。

辛かったり、悲しかったり。それは他の病気だって、他の悩みや苦労だって、

形を変えれば誰にでもあるもの。


体は体で、思いっきり人目に見えるように表現しているけど

僕は頭の中は、人目に見えないように何でも取り込もうとしてた。

治療ジプシーになって、外からばっかり求めたりしてました。


自分の胸の中にある大切なもの。

それをおざなりにして外ばかりみても仕方がなくなるときがあります。


「アトピーと仲良くする」


人によっては「バカじゃないか」とかありますし、

何かの勉強したの?資格は?なんて声もあったりします。


それでも、いまの僕にできること。やっていること。


アトピーさんなら見せること。


頭痛、腹痛、体の不調。

たいていは我慢していれば周りは分からないものも多いと思います。

でも、アトピーは我慢してもしなくても


「見えています」


アトピーは見せている。

自分にも他人にも。


それは「自己表現」だから。


自分が誰で、

どんなふうに生きて。

肌と同じように全部表に晒け出すこと。


勇気がいるけど、

それは持っているもの。

もっと自信をもっていいの。

持っているもの全部受け取って。

アトピーだけじゃないけれど、

あれだけ過酷で潰れそうな気持ちや状態を味わったなら、

何の意味もなく過ぎてくものなんてありはしない。

全部持っている。

全部使い尽くせる。

心も体も全部解放する。

迷って、悩んで、信じて、疑って、トライして、失敗して、砕けて、ボロボロなって、生き返って。


アトピーの燃えるような苦しみは、

まるで不死鳥みたい。


何度でも這い上がる力。

灰から蘇る力。

みんな持っています。

みんなカッコイイんです。


ちょっと固い表現かもしれないですが、

おおよそアトピーの原因とは自然のまま、

本来の人間としての体・命の機能にたいして

現代の情報社会の価値観や思考、生活環境や食生活の変化。

いろんなものが心にも体にも止めどなく入ってきては

対処しきれない不要物を体は何とか排泄しようとしている。

アトピーが先進国に多く発症するのもうなずける部分です。

それならいっそ すべてを捨てて大自然の中だけで生きる。

というわけにもいかないですよね。

そしてそれだけではないようにも感じます。


アトピーと向き合うということは、

僕にとって自分自身と向き合うことでした。

アトピー肌と同じように、

僕は隠すことに精一杯なものがありました。


肌を隠したいように

心も隠したい。


その代わり、

見せてもいい自分だけを見てほしい。

良いところだけは受け入れてほしい。

あの人と同じように認めてほしい。

できれば自分がいちばん大切にされたい。

自分の中にあるなんかモヤモヤしたもの。ダメなところ。

そういうの全部、隠して、閉じ込めて、

みんなが受け入れてくれそうなもので覆って、塗り薬みたいに塗りつぶして。

そうし続けるうちに自分じゃなくなった。

否定しようとすればするほど、

その劣等感・罪悪感がたまりたまって

それに引き寄せられるようにストレス・暴飲暴食・自律神経の失調。

それらを排泄するための体の機能がアトピー。

たしかに、つらいと思うこの症状。

それは、

人目に見せられないと決めつけてきたことを、見せつけられる状態でした。


アトピー肌。

ホントの心。


でも、

それでも、強い体なんです。

苦しい気持ちと憎まれ役。

気付くまでずっとそばにいてくれたもの。

アトピーって深く優しくて大切な自分のためにしか機能しない。

他の誰でもなくって僕なら僕に。

あなたなら、あなたのためだけにある。


そんなアトピーの繊細な心はあなたの「個性」


自分の弱さをさらけ出せる強さを、

なんの努力もなしに体は備えてます。


だから、

向かい合う必要があるのではないかと思います。

「アトピーな自分はいちゃいけない」と決めつけた

恐怖や悲しみが、

心の奥深くに残っているからです。




2015年7月から、これまで従事してきた不動産会社を退職し

アトピーと仲良くなる生き方を伝える

「アトピー自己表現セラピスト」として起業し活動しています。


アトピーの苦しさに、自分らしい生き方を見失ってしまった人

アトピーの毎日にとらわれて、素直に感じる心を忘れてしまった人

いろんな道を自由に選べなくなってしまった人に


その人らしいアトピーとの生き方

その人が、どんなアトピーとの付き合い方をも選べるように

その人が、アトピー体質とあり方を信じて安心できるように


ブログだけでなくヒアリングと対話を通じてお手伝いしています。

無料のメルマガ「アトピーから自由になってあなたらしさを受け取る9日間のメールセラピー」でも、

僕が実際に行ってきたことをそのままお伝えしています。


症状を改善する手法を当てはめることもしないし、

どこかの研究で発表されていた「アトピー改善」の専門家でもありません。


アトピーの心のセラピストとして起業してもそれ以前でも、

自分と向き合う「痛み」は感じます。

ブログなどのメッセージでいかに優しい雰囲気が伝わっても

リアルなコミュニケーションにおいて相手の気持ちなんて全然気づけなかったこともあります。

それにモヤモヤすることだってあります。

セラピストという肩書きを持ちながら、身近な人とケンカして後悔することもあります。

「完全完治」なんてしていないし、この体質と付き合う日々の中で肌荒れすることもあるでしょう。


「仲良しなご夫婦だね」と思ってもらえる僕もいれば、

ときにはリアルに奥さんとケンカしている日もあります。

「子供達と楽しそうにイクメンだね」と感じてもらえる僕もいれば、

ときには思い通りにしようとして怒ったりしている自分もいます。

「アトピーきれいになった人なんだね」と見てもらえる僕もいれば、

少し湿疹があったり、跡がのこっていたりする自分があります。


それでも

僕はこの自分の姿を晒しながら

それがアトピーで悩んでいる誰かの役に立つのであれば

それが自分らしく生きるということであるのなら

このまま歩いていこうと信じています。

悩みもあるし

弱いところもいっぱいあるし

まだまだ未熟で、これからも何度も学びながら

僕と同じアトピーで悩んできた人

そんな人たちに寄り添いながら、

僕が感じたこと、体験したことはプレゼントしたり、シェアしたり。

時には一緒に考え、悩み、

一緒に泣いたり、笑ったり

一緒に生きていきたいと思うのです。




〜「atopinessな世界」〜



現在、アトピーについて「改善」「完治」「克服」いろんな向き合い方があると思います。

アトピーは戦い続けるものなのかな。

苦しい症状は、克服という考え方のみで向き合うことなのかな。

治るというのは、何かに勝って、何かに負けないことなのかな。

正しいあり方と、間違ったあり方を選別することなのかな。


そんないまから100年後・・ 

アトピーというものはどうなっているんだろう?

はっきりとした治療法があって、もう誰も苦しまない世界があるのかな。


僕にはわからないです。


いまここに立って

自分が生かされているこの世界で、

僕はアトピーという体質を持つ一人の人間として

こうしてアトピーについて伝えたいことは、

もっと大きな視野で、もっと全体を見渡せる気持ちで、

アトピーさんのあり方を見つめてほしいなと思っています。


忌まわしいほどの状態を何度も味わってなお、

手を差し伸べられるような気持ちを忘れないでいてほしい。


僕の中にもアトピーを「病気」として「否定」する気持ちはいまでも「あります」

でも、その見方にとらわれ続けるのをやめて、

とっても辛かった日々だからこそ

分かることがあったり、気づけることがあったり

どんなあり方も「あっていい」と自分の内側から溢れたりします。


歩んできたこれまでの一日一日を自分から認めてあげる。受け入れてあげる。

個人のテーマではなく現代の状況、環境、価値観なら、

電化製品とか添加物とか化学薬品などが溢れる

そんな時代と世界に生きている。

やっぱりそれらがアトピーの原因だったとしても


それでも世界にYESと伝えよう。


そういった心からスタートして

いろんな改善アプローチやナチュラルな過ごし方を

みんなで分かち合えるようなアトピーのあり方を、描いていきたいです。



ありのままの自分を表現すること。

僕のイメージの中に、はっきりと描かれている。


子供のころ、いくつもの夢の建物を想像した。

不思議なご縁のように、不動産の仕事をしていました。


「アトピーとは幸せになる才能」

ブログはネット上にある、僕の家のような場所です。

いつでも誰でも気軽に来てもらいたい

そんなバーチャルな空間。

アトピーセラピストのかたわら

ブログやSNSで繋がった人たちに、ブログの始め方や文章の書き方。

自分でできて、ブログを訪問してくれた方にも見やすいカスタマイズ。

実際にブログの発信から、どのように起業へと繋がるブランディングをしてきたのか。

いわばバーチャル空間における「DIY」のような考え方。

そんなアドバイスやお手伝いもしています。


ブログも含めてインターネットで使えるインフラやツールは

「自分メディア」


そして毎日パソコンやスマートフォンを活用する

ネットビジネスのライフスタイルを持っています。


WEB上の空間での活動だからこそ、

リアルな出会い、つながりがとても大切だと実感しています。


ブログを通じてご縁を頂いた

セラピストさん、カウンセラーさん、デザイナーさん、ブログ講師さん、

ビジネスコンサルタントさん、サロン経営者さんなど

個人で自分の志業をもったたくさんの素晴らしい方々と出会いました。


WEBの世界でだけでなく、

セミナー・お茶会・イベントなど実際に交流したりする、

そういったリアルな機会から生まれたご縁に支えられています。


起業するまでの間には勤務先の不動産会社の協力もあり、

お世話になっている大家さん、地主さんにお越しいただいて

これからの賃貸経営について

僕のアイデアをお伝えするセミナーやコンサルも経験させて頂きました。


WEBとリアルを繋げる空間。

それぞれの生き方・お仕事が自由に表現できる空間を創りたい。

セラピー・カウンセリングスペース、サロンルーム、アトリエ。

いつでもお茶会ができるcafé。イベントセミナールームも揃える。

そのために必要なインフラは建物が備えている。

来てくださったお客様に、この建物へ足を運ぶだけで幸せになってもらいたい。

敷金・礼金や更新料はなく、できれば入居審査はその人の「想い」を大切にしたい。

ブログやSNSを使って、その人が自分の大好きなお仕事と大切な想いが実り、

夢が叶うようにそばで支えたい。

僕だけでなく入居者さんみんなで支え合えるような、夢の建物。

きっとそこは、アトピーさんでもそうでなくても

自分らしい表現と、それを紡ぐあり方が繋がりあっていく。

きっとそんな場所は、いつか自然や歴史と調和して

幸せな建物を、街を、世界を

そこに生きる人々を、引き寄せていくんだと

気付いてもいいかなって思っています。



この世界が僕の物語。

アトピーからのギフト。


僕は、そう アトピーなんです。



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