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15/7/30

本をつくりたい

Image by Olia Gozha

本をつくりたい。口では言いつつ本気ではなかった。


気づいてない

大学3年生の時、他の企業よりエントリーシートを書くのが大変という理由で出版社を受けることから逃げた。

名の通った企業に入って、普通に働こう。たまたま細野真弘さんの経済のニュースがよくわかる本にはまり、お金を扱う仕事が面白そうだと思い証券会社に就職した。



東京都内の営業店に配属され、朝から晩まで電話や飛び込み訪問をした。

「突然すいません。〇〇証券の西川と申し・・・」名乗る前に切られたり、話そうとすると「結構です。」と相手にしてくれないのが大半だった。

すぐ切られることを乗り越えても、第2の壁が現れる。「わからないし、お金が減る可能性あるんでしょ。いいです。」説明するから話を少しでも聞いて欲しい、だがだいたいは容赦なく切られる。

得体の知れない奴から、わからない商品を勧められるのだから断りたくなるのもわかる。

「わからない」というのが大きな壁だった。興味がないのに言われても聞く気にもなれない。

でもなんで普段使っているお金のことなのに、投資という言葉になると興味がないのだろう。

株や債券、投資信託聞いたことはあるけどよくわからない、私も就職するまでは同じだったが、入社したての新人でも少し知識がつくだけで全然違った見方になっていた。もちろんリスクはある。しかし一人一人自分の状況と嗜好に合わせて保有した方が定期預金より良いと思うのに何で知らないのだろう。

普通に暮らしていると投資について自分から興味を持たないと触れる機会がないからじゃないか。学校では教えてくれないし、本も難しそうなビジネスや経済の棚にしかほとんどない。

なんで漫画とか小説とかで金融知識を少しずつ身につくようになってないんだ。

出版社に入って、若者に少しずつ金融知識を擦り込み、将来証券会社の新人が電話した時「その債権利率低すぎて魅力ない」を断られる理由一位にしたい。そんな妄想を配属されて半年ほど経った時からするようになっていた。


願えば叶う

1年目、営業成績は散々だった。

1年目の冬休み、東京駅で「すぐ乗れる新幹線の切符ください。」大阪行きだった、一人でどこかに行きたかった。

大阪を適当に観光、ドリカムの大阪LOVERを聞きながらビリケン様の足を触る。一人じゃ東京タワーに勝てないよ。炭酸を一気に飲んで色々考えるのをやめた。

その夜、一人はさすがに寂しいので、どこかで飲んで人と話をしたいと思いバーに行くことにした。大阪駅近くを歩いている途中で見つけたバーにUターンして、ちょっとドキドキしながら木の棒が取手の扉をゆっくりあけた。そこには、二人のバーテンさんとお客さんが一人いた。とりあえずビールを頼み、ちびちび飲んでいた。女性のバーテンさんが話しかけてきてくれ、どこがオススメスポットか相談した。

鈴虫寺という凄いお寺があると言う。有名なお寺らしいが知らなかった。そのお寺でお願い事をすると願いが叶うというのだ。嘘だと思ったが、そのバーテンさんが実際に行って叶ったというのだ。なんでも、某アイドルに東京で会いたいとお願いしたら、旅行で東京にいる時に居酒屋で遭遇し最終的に一緒に飲んだというのだ。本当なのか、本当なら行くしかない。翌日朝一番で鈴虫寺に向かった。そこは京都駅からバスで40分ほどの山のなかにあった。少し急な石階段の上にこじんまりと建っていた。



一年中鈴虫の鳴き声を聞けるお寺だった。参拝客はお坊さんのありがたい話を聞き、帰りに草履をはいたお地蔵さんにお願いごとと住所を伝える。すると、そのお地蔵さんが願いを叶えに家まで来てくれるのだ。私はそこで「何でもいいから、1日でもいいから同期で1番になりたい。」そう願った。



お地蔵さんは来てくれた。2年目の4月に法人との大きな取引が決まり新しい資金を入れるという部門で同期1位になった。そして、半期が終わる直前に抜かれた、さすがお地蔵様願いどおりです。そのおかげもあってか、9月に名古屋に転勤となった。

初めて過ごす名古屋では休日は本ばかり読んでいた。そんな時に岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」と出会う。



“危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。”(「自分の中に毒を持て」著岡本太郎 青春文庫 p28)

一冊を通して、岡本太郎さんが安全な道か危険な道か岐路にたった時、常に危険な道を選び鮮烈に生きた人生が描かれていた。

正直証券会社はつらかったけれど、大きい企業で給料も良かったので続けていれば何不自由はない。

自分の危険な道を考えた時、本をつくりたいだった。

何をやりたいかこれまで振り返った時に、ターニングポイントに本が大きく関わっていることに気づいた。

小学校の野球は補欠、中学校のバスケも補欠。練習に出るだけだった。

高校ではテニス部に入った。たまたま読み返した井上雄彦さんのスラムダンクであることに気づく。

主人公の桜木とライバル流川が朝自主練している、そして小暮が隠れてシュート練習をしている。そう、みんな隠れて練習してる!!私はしてない!危機感だった。そこで初めて、自ら練習するということを学んだ。そのおかげで、テニス部では試合にも出られるようになり地区大会を突破することもできた。

大学のテニスサークルでキャプテンをやっていた時には、二ノ宮和子さんの天才ファミリーカンパニーに救われた。

自分が迷い悩んでいる時に、気づきを与え行動を変えてくれた本に感謝すると共に、私ももらう側からつくる側に回りたいと思った。


危険な道を選ぶことにした。


証券会社を辞める時、本への思いをぶつければ何とかなるだろうと勘違いに近い自信に満ちていた。それに鈴虫寺がある、大丈夫だ。この時を思い出すと、かなりの思いこみの激しいあほだったと思う。

鈴虫寺に行き、「本をつくれる仕事に就けますように。」とかなりざっくりお願いした。

そして、辞めて出版社の求人を探して気づく。あんまり求人ないじゃん!!

私の中で小さな見栄が邪魔をしていた、「正社員」がいい。

雇用形態を選ばなければもっとあったが、この条件を入れると両手で足りるくらいの求人しかなかった。

あるだけ申し込み、そのうち何社か面接に進んだ。

数が少ないので、人材紹介会社に相談すると、印刷会社の紹介を受けた。

その印刷会社は本の印刷をメインにしているということで、まあとりあえず受けるかそんな気持ちで応募した。

一時面接を担当してくれたのがAさん。Aさんは社長の息子さんだった。一時間くらいの面接だったが、私が話したのは最初の10分くらいで、大半はAさんの印刷と会社への熱い思いを話してくれた。面接でこんなに自社のことを話してくる会社初めてだなと思った。

一時面接が通ったと紹介会社から連絡をうけ、ほとんど聞いてたのに通ったんだ。

二次面接の部長面接で私は落ちた。その時他の出版社からも連絡がこず、次をどうするか迷っていた。

紹介会社から落ちた連絡がきた後もう一度連絡がきた。

Aさんのはからいで復活できるけど、どうしますか。面接って復活とかあるの!?

Aさんが気に入ってくれたらしく、意思があるなら再度面接を上層部に取り計らってくれるとのことだった。

本当に行きたいか迷ったが、現状もあり復活をお願いした。

再度面接する前に、現場を見学しAさんの兄Tさんと話をすることになる。

この時は電子書籍のストアが日本でもオープンしだしていた時で、電子書籍に可能性を感じていた。

Tさんから電子書籍の制作に精力的に取り組んでいることと、思ったことをやっていい環境であることを聞き、Aさんとは違う角度での自社の可能性について熱く語ってくれた。

印刷会社でも本を作ることにどう関わるかは自分次第だと感じ決意が固まった。

後日、復活面接は社長と行い、握手で終えることができた。ありがとうお地蔵さん。

できること、したいこと

印刷会社で働き始めて最初は先輩に同行し色々な出版社をついて回った。1年目の途中から徐々に何社か先輩から引き継ぎが行われた。

2年目になり、まだまだ抜けているところもあるが仕事の一連の流れを一人で回せるようになってきた。そこで感じ始めたのが、印刷は受注産業であるということだ。発注者がいないと仕事は生まれない。印刷物を作りたい人のところに出向くのが普通だ。そして、作るものが決まっているものを受注するからこそ、価格競争が激化していた。

だったら、こちらから発注者を作れないかと思った。そして、思ったことをやらせてくれる会社だった。

まず目を付けたのが電子書籍。電子書籍ストアができたといっても、まだ電子書籍に手を出していない出版社も多かった。紙の書籍を電子書籍にすれば沢山本数をとれる、そう思った。色んな出版社の方に会い色々聞いた、著作権の問題もあったが、それ以上に皆さん気にされていたのが制作費以上に売り上げを上げることができるかどうかだった。紙の印刷に比べ電子の制作費は安いが、書店に比べ電子書店のマーケットはまだまだ小さかった。それでも、将来的には必要になると電子書籍の制作をやらせてくれる出版社ができた。

電子書籍ストアでは、スペースが必要ないので何冊でも取り扱えるが、書店のように本棚から偶然目につくということがあまりない。だから、まずは書店でも置かれていて売れやすいタイトル制作で、そんなに本数はもらえなかった。

つぎに目を付けたのが電子ストアだ。電子ストアは出版社でなくても、個人や会社でも電子書籍を販売することができる。うちなら電子書籍制作はできる、ならばコンテンツをいっぱい持っている会社と一緒に本をつくって売れる。そう考えて動いたが、コンテンツを再編集するコストと売り上げが見合うかという問題に直面し、まだぶつかりっぱなしだ。

そんなこんなしてるうちに疑問が湧いてきた。紙からWEB化はすすんでいるのに、なんでWEBから紙へはほとんどないのだろう。WEBのほうがコストも安いし、手軽だし、やれることも多いと思う。

でも、紙には紙の良さがある。起動に時間がかからず、生活していて何気なく目に留まり、質感を感じ読み進めるごとに右と左の重さが変わる、書き込みや読み返すことで汚れるアナログな媒体だ。コンテンツの保管の仕方として紙で保存することに価値があるものもあるはすだ。ニュースのような鮮度が大事なものではなく、いつ読んでも不変的に人のこころを打つものならば紙という媒体で残す価値があるのではないか。WEBと紙、両方で伝える価値があるのではないか。

そう思った時に真っ先に浮かんだのが、もともとファンだったSTORYS.JPだ。

とにかく一度会って話して見たい。思っていることをメッセージにして送った。



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