「「◎◎だけど、◎◎じゃない・・・!」」
行動しないと絶対に気付かなかった、「原理原則」を使うということ。
初めまして!心の事を仕事にしながら、全国を旅している、西勝と申します。
今はこうして、北は北海道から南は福岡まで、いろいろな方から声をかけていただいて、全国を飛び回りながら人に会いに行く毎日を送っています。
しかしそれが、本格的にできるようになったのも、実は、少し前からの話です。
社会復帰して、様々な上司や先輩方と出会い、その時、その時に必要な成長をさせてもらっていたと思います。そして素晴らしい教育コンテンツとも出会いました。
ですが僕は、「もやもや・・」と、自分のやりたいことに対して、本気で取り組むことも出来ていなかったと思います。
やりたい事とは、似てはいるんですが、別の仕事をやっていたり、休日も、別のことを考えていたりしていました。
学んではいる。本も読んでいるのに、ライフスタイルを一新するような、本格的な「行動」をしてない、ただの講釈ぶった野郎でした(笑)
今振り返れば、それは「趣味程度」として、終わっていたのかもしれないと思うくらいです。
そんな風に「もやもや・・」を思いながらも、人生一度きりだから、まずはやってみないと分からないと思い、決意し、「専業」として、対面での「セッション」を仕事にすることを決めました。
もちろん前途多難になることはわかっていました。だけれども、その前途多難の状態に「諦め」という形で、立ち向かうことをしなかった自分がいたのです。
こうして、ライフスタイルを決めたのだから、どんな壁にぶつかっても、やるだろう。そう、自分自身に思っていました。そこから3ヶ月、必死で、突き進んでいたか?というと、そうじゃなかったかもしれません。
しかし、僕は3ヶ月後、本当に何もかもを無くす状態が、できました。これはある意味ラッキーだったのかなと思います。
「やればできる。やらなければできない。それだけだよ。」
尊敬する恩師の言葉です。ただ、それだけが、難しい。そうなれるなら、なりたい。そう「思う程度」のレベルならば、独立は無理だったんだと、今になって僕は思います。
本当に自分がやりたい事で、世の中に影響力のある発信がしたい。ライフスタイルを一新して、独立をしたい。または、会社でどうしても「本気」が出ない。
だけど、自分が、まだお金がない・・実力がない・・両親が認めない・・などと、モヤモヤとくすぶっているあなたに、僕の恥ずかしい、今までの話の、ほんの一部を、共有させてください。
※汚い写真でごめんなさい(笑)当時の飯です。
独立1ヶ月目:ひもじい日々。
僕「やるしかない。でも、どうやって・・・」
独立を決めて、始めた生活。しかし、まずはお金が入ることもいつになるか分からない状態。商品も分からない。しかも、どうやって自分で生計を立てればいいのかも分からない。
そんな状態なのに独立してしまった背景には、ふかーいワケがあるのだが、これは、あなたと、お会いできたらお話しようと思う。
本当に僕は絶望の淵に落ちていた。簡単に使う言葉ではないが、だけれども「この世から、居なくなること」を考えそうになることもあった。
でも、まだまだ他の人に比べれば、そんな絶望するほどもないのだと思う。
当時のご飯は、こんな感じ。それを14時に食べて、22時に食べて寝る。そんな繰り返しの生活だった。
自分なりにホームページの記事を書きながら、時間はたくさんあったからこそ、同じ職業で参考となる人を見て、学ぼうとすることも出来たが、僕はそれをすることは、しなかった。
逆にそうなると、自分のひもじさ、不甲斐なさが、どんどん闇を覆うようにやってくるからだ。それが怖かった。だから僕は、信頼できる友達のアドバイスだけを元にして、それだけを信じて闇雲に手を動かしていた。
僕「とにかく、自分を出し尽くすことから始めよう。」
何もないからこそ、何もないところから始めるために、ひたすらに自分自身を構築する記事を書き上げていった。
そして、自分が感じてきたこと、先ほど言った教育コンテンツをベースにしたセッションで学んだ事を日常に使うとどういったことか?ということをホームページに書いていきながら、コーチとしては、珍しいようなホームページが立ち上がっていく。
周りを見てみると、意外にそういったホームページは少なくて、逆に僕がびっくりした。
こういった内容を作れたのも、手伝ってくれた、たくさんの仲間のおかげ。
今でも感謝し尽くせないほどだ。本当にありがとうを言いたいし、何もない自分に向き合ってくれたことが本当に涙が出るくらい嬉しかった。
だけど、怖いことがあった。
お金が、減っていく・・・
情けないけど、これだった。意気揚々と独立しても、悩むのはやっぱりお金。
自分は独立をした経験もないわけで、曲がりなりにも6年間は、朝7時に起きて会社に行き、夜に帰るという生活を繰り返していたわけだ。
今思えば、これは本当にすごい仕組みだと思う。変な話、行けばお金がもらえるのだ。もちろん上司に怒られたり、営業で数字を取ってこないといけない事は身をもって経験済みだが。。
しかし、歩合制などの激しい会社でなければ、固定給というものは、手に入るのだ。この仕組みは本当にすごい。だけど、「行けば、お金がもらえる」という、仕組みのすごさに甘えていた僕は、現実を痛感した。
実は当時、朝起きて、人々がスーツを着て会社に向かうのを、窓の外から見ているのが、一番苦痛だった。
僕「どうして、自分はこんな状態でいるんだろう?」
いや、お前が決めたことやねん!と言われればそうなのだが、それもまたキツイわけで。だけど、何度も言うように自分で決めたことである。そこで弱音を吐くのは、すなわち歩みを止めることになる。
「道は、あるんだから。走ってみるしかない。残した足跡を、見つけてくれる人がいるかもしれない。」
僕がお客さんにする人たちというのは、「悩みやすい体質」の人。時には「精神疾患」を持っていた人もいる。世間では「心の弱い人」と思われがちなのだが、正直、全然違う。
一番は「言葉にならないモヤモヤ」を抱えている人なのだ。
社会に出て、ある程度、仕事だって出来る。でも、本当に自分がやりたいことはこれで良かったのか?また、人間関係でも悩みが出る。
考えれば考えるほど、自分の優しさで、より広く多くのことを考えすぎてしまう事が、もどかしく、だけど諦めきれないような人たち。
あ、ようやく言葉が出てきた。そう、「不器用な」人たちなんだ。僕も不器用だということには、1000%の自信がある。
今だからこそ、こういった話はできる。だけど、当時は、お客さんも一人もいない。
「不器用な」人たちはネットという空間で、どんな情報を探しながら、モヤモヤと考えているのだろう?
今ままで、セッションをしてきた経験は多くあるが、それは友達づたいでやってきたこと。
だけど、今回は全くどこにいるかもわからない、ネットという空間の中での「魚釣り」のようなものだった。
ここが川なのか、海なのかもわからずに、自分がこれがいいんじゃないか?というルアーを落としては、今日も釣れず。今日も釣れず・・と繰り返す。
まるで営業マンが、飛び込み営業のようにチャイムを鳴らしてみるも、出てこない。居留守なのか、それとも本当にいないのか?はたまたチャイムが壊れているのか?
そんなこともはじめはわからずに、ひたすらにチャイムを押し続けるような、そんな日々だった。
とにかく時間はあった。だから、書いて、書いて、書きまくった。
そしていつの間にか、3週間で100記事が溜まっていった。メルマガも追加し、それっぽくなってきた。
だけど、書いたからって、偉いわけじゃない。書いても、お客さんが来ないと0円は0円。意味がないんだ。
目の前の幸せや充実感・感動を売りにしながらも、「お金がない」ということに焦り、心まで飲まれそうになるとは何たる滑稽。
インターネットで別の求人情報を探し出そうとする。以前、登録した派遣先から電話がやってくる。取りたくなる。
「いやいやっ!俺はどうしてこれをやろうと思ったのか?」
再び原点に立ち返る。僕には伝えたいものがあり、恩返ししたい人がいる。
そして、自分みたいに「不器用な」人間でも、本当に伝えたい意志があれば、それを貫いて仲間を増やし、誰も傷つけず、誰も奪い合わずに、夢を叶えられることを伝えたい。
そしてそれは、必ず日本や若者を元気にする。その確信をもって伝えている。
そこだけが、結果(お金を稼ぐ)が出なくても、やり続けるひとつの支えだったかもしれない。
ある意味、世の中に対しての、途方もないチャレンジ。だけど、待っている人は必ず、いる。だけれども、本当の本当に、僕は本気になれていなかった。
ワガママをどこまで現実にするかの勝負なんだと感じていた。たったの1ヶ月だというのに、会社員をしていた時の何百倍もの人生経験をした気がした。
独立2ヶ月目 そんなのは、自分じゃない。
おかげさまで、記事を見てくれる人が増えていった。そして、何人かとお話をする機会が増えてきた。
自分のFacebook上でフォローしてくれた方とか、横のつながりとか、Story’s.jpを見てくれて、共感してくれた人たち。
久しぶりに、そういった仕事で人と会うということは嬉しかった。
だけど、現実はそう甘くない。
「なんでも聞いてくれそう!」
僕の印象を聞いた時に、連続で5人くらいそのような返事をもらったことがあった。
僕「・・・・絶句。」
仕事をする前は、その言葉が嬉しかった。しかし、今はその言葉が、絶望的だったんだ。
つまりは、自分の話を延々と聞いてくれる都合の良い人でもあるわけだ。実際に相談の時間も長引いてしまうことが多々あった。
明確な規定が、自分の中にないからだ。
成長や変化を望むわけではない。それはただの話し相手と同じだ。
じゃあ、その人に対して「自分はそんなんじゃない!」と伝えるのか?それも違う。
あくまでも、相手がそのように僕を見ているのは、少なからず、僕が相手に対してそのような態度を取っているからだろう。
その相互作用によって生まれている、僕と相手との関係性。友達同士だったら、それは結構良いものだろう。
しかしそれは、プロじゃない。ただのボランティアだ。
僕は相手を気持ちよくするためにいるのではなく、相手の現在地を見極め、「次のステージ」へ、一緒に上がるためにいる人間なんだ。
相手の、「自信がない毎日の話」を延々と聞くのが職業ではなく、「自信がない毎日を挑戦したい毎日」に、相手自らが変化するために僕は話を聞き、整理するのが職業だった。
振り返って、自分がそのように見られているということは、本当にショックだった。
それが人間的にダメということではない。扱う商品、自分がどこを「プロとしてやるか」という側面からみると、僕自身は、全然、仕事ができていないことに直面したからだ。
自分がいかに、自分自身を活かしきれていないのか?そして、それに付随して、自分が扱っているコンテンツ(セッション)までも活かしきれずにいたのだ。
それは、素晴らしいコンテンツがありながら、僕自身のあり方や、やり方のせいで、それを活かしきれていない。。だからこそ、本当に本当に悔しかった。
5人目に言われた時、僕は家に帰り、布団の中で声を殺しながら叫んで泣いた。
僕「そんなのは、自分じゃない!!!!!」
・・・。
でも、その叫びは、自分の今の現状に向き合えず、否定しているだけだったんだ。
そして、その現状が、本当に変わりたいのではなく、他人と自分を半々に否定しているだけだ。と、ぼくは、振り返って思う。
本質は、もっと中にあったことに、気付くのはもう少し先だった。
独立3ヶ月目「割り勘」事件。
翌月。自分といつも協力してくれる仲間と3人で、いつもお世話になっている人たちを集めて新年会を行った。
会自体は上手くいったし、それはそれは、楽しかった。
しかし事件はその後に起きた。
会費と持ち寄ってきたお酒などを差し引いて、合計で確か10,000円とちょっとだったと思う。
僕「だから、3で割ると・・」
思わず電卓を取り出して、計算を始める自分。
そこで言われた一言が、あぁ、本当にお金に対する拒絶感を持っているんだと気付いたことだった。
友達「ねー西勝、今日は主催が西勝なのに、どうして割ろうとするの?」
「え、だって、みんなでやったんだから。僕一人じゃないと思って・・」
友達「今日は主催なんだから、あなたが持って返っていいんだよ。これは、あなたの、売り上げでしょ?」
「あ・・・・」
そう。お金を受け取れなかったのは自分だった。そして、受け取れない状態の自分をも、受け取れないという悪循環。
ここまで自分のお金へのメンタルブロックは強かったのか・・と、さすがに痛感した。誰のせいではなく、自分が受け取る体制をとっていなかったからだったんだ。
お金を払ってくれない相手のせいに、どこかしている自分。いや、そうではない。お金を受け取る体制を作ろうとしていなかった自分がいたのだった。
少し話が逸れるが、あなたは、自分で何か商品を作り、それを自分で価格を付けて売ったことはあるだろうか?それをした瞬間に、自分が価値を決める側に、なっていく。
その数字と、自分の価値がイコールなのだ。例えば、あなたと僕が2時間話すことで、あなたは50,000円の価値があると表示したとする。そしたら、あなたは2時間50,000円の人なのだ。
しかし、自分自身のことを「2時間50,000円の人」と、思えていないと、自分と相手の関係性に齟齬が生まれる。どこかに期待が生じてしまうのだ。
心の中「相手には、自分を敬ってほしい。尊敬してほしい。50,000円を払ってほしい・・」
その期待は、お金の裏に潜んでいる、自分への価値。つまり自己価値の低さを、相手から補ってもらおうとしている状態だ。
つまり、自分が、
「自分自身は50,000円の価値じゃないけど、50,000円の価値を、分かってくれくれ状態」
であるために、相手はお金を払いながらも、自分の期待ではなくて、相手の期待にエネルギーを費やしてしまっている。
よくよく見てみると、正に自分がそうだったんだと反省した。
この話は、とても本質的な話だから、詳しく知りたい方は、お会いしてお話ができたら、僕も共有できるからとても嬉しい。
それに気づいた自分は、本当に心で仕事をするということが何なのか?再び考えたし、相手の本当のニーズってなんだろう?と考えた。
頭が痛くなって熱を出したりもしていた。だけどまだ、エンジンがかかるまでには至らなかったんだ。
独立4ヶ月目 そして。残高、0円
Facebook上などでは、「活躍している様子を見ているよ!」という言葉をもらう。だけど、収支の割合が、あまりにも支出が多すぎる。
僕「ありがとう!(今月ダメだったら普通に働こうかな・・)」
そんな最中、公私ともにお世話になっているパートナーが、この状態の自分を見て、ひどく叱ってくれたことがあった。
パートナー「なんで今、生きられるかわかる?今こうやって食べてるご飯も、このお金も、どこから来ているのかしってる?その人たちに感謝がなくて、あなたが何かをしたいなんて言ってるなら、そんなのは、自分よがりで、口だけだ。」
俺の中で出てくるものは、「甘え」だ。すべてのことに当然なんてものはない。当たり前なんて、何一つないのに、その当たり前を当たり前と思い、目の前が霞む。
何か足りないこと、できないことに、自分や相手を否定して、突き進む。今の当たり前に気づかずに。
お金がもらえること。ご飯があること。息を吸って吐いていること。自分が生きていること。
当たり前なんて、何一つなかった。そこに感謝がなかった。叱ってくれたパートナーに、本当に感謝している。。
寒い季節だった。
ちょうどその時期、様々な経営者の方とお話する機会があって、俺はそこで「若者の現状」を発表する機会をいただき、お話をすることが出来た。
ありがたい話で、お金はかかるものの、本当にいい機会をいただいたと思う。
そして、コンビニからカードを入れ、お金を引き出して、残高を見た。
「0円」
通帳残高を見た瞬間に。寒気がした。。
残高、0円。
これから飯を食うことも、シャワーを浴びることも、何にも許されないのか。。
そう思ったら、なんだか笑えてきた。自分の価値が何なのか。本当に分からなくなる。
空を見た。昼の寒空だった。
ランチタイムなのか、多くのサラリーマンが、昼飯を食ってビルに消えていく。
一気に人通りが少なくなり、僕は一人ぼーっとした。
僕「あ〜、きた。とうとう0だ。俺は0になったんだ」
そう、0になったんだ。僕自身、ゼロ以上のモノを見たことはある。だけれども、それは自己投資のためのモノ。
今回はぜんぜん違う。頼るのは自分しかいない。この現状を突破するのも、自分しかいないんだ。
でも、なんだか不思議な力が湧いてきた。
・・・すると、誰かから声が聞こえるように、自分の体を通して独り言が出てきた。
「「ゼロだけど、俺は生きている。ゼロだけど、ゼロじゃない・・!」」
その言葉を自分が聞いて、自分がびっくりした。
そうだ、そうなんだ!!!!!!!!ゼロじゃない。まだやれる。
俺がようやく、本気になれた瞬間だった。他人の目、世間の目、そんなものは気にせずに、「自分のまだ出せてないすべて」を出し尽くす。あるものを、出し切る。
それをただただ、するだけだった。
それに気づいた僕は、この記事の元となる、「自分のこれまでの軌跡」をPCに打ち込んで、書いた。
しかし、書きながら気づいた。
「このストーリー、まだ途中だ。」
だからこそ、このストーリーを完結させるために、僕は、すべてを出し切ることを決めた。
より多くの人と出会い、がむしゃらに仕事を進めていった。
そして翌月。多くの人に感謝されながら、月商が90万円に到達し、続いてその翌々月は140万円を達成した。
そして、ストーリーはひとまず、完結した。
独立5ヶ月目 浮上。そして。
ここまで読んでくれて、あなたは何を思ってくれただろうか?
何か共感するものがあったなら、とても嬉しいです。
そして今。皆さんの応援をもらいながら、ようやく全国を飛び回れる力を持つことができた。
そこで出会った人たちとは、今もなお、様々なストーリーが生まれている。僕自身も、こうして自分が「セッション」を通して、自立をできた経験を基にしながら「夢と自立を実現する3ヶ月プログラム」を提供する日々だ。
そして、僕が出会った仲間たちをつなぎながら「心を自由に飛び回る仲間たち」という意味も込め、「チームハートトラベラー」という仲間のネットワークを作った。
どんなことも、何でも言い合えて、感動しあえる関係性を作りながら、そんな協力関係を、会社の中でも、友達の間でも、僕のような独立という形でも良いから、より多くの人に伝えていく若者を輩出しようとしている。
あなたにもあるように、一人一人にストーリーがある。だけどそれがまだ、花開いていないだけだろう。僕はそのあなたの種に、水をやり、根を伸ばし、花を咲かせる応援者になる立場にいることができるのが何よりも嬉しい。
だけど、僕は本当にヘタレで、ただただ、様々な人の力をもらい、自らを奮い立たせて突破してきただけに過ぎない。
だからこそ、誰でも出来ることが出来るんだと、確信があるし、勇気さえあれば、こんなライフスタイルだって可能なんだ。
さて、ここからまた僕は、新しいステージに行き、今もその真っ最中です。
だから、また、その話はストーリーとして途中。
だけれども、いずれまた書くときが来る。新しい行動をしていけば、どんなことでも、気付きとして帰ってくるのだから。
だから、挑戦して感動することは、やめられないんだよな。不器用なんだけど・・・。
「やればできる。やらなければできない。それだけ。」
最後までお読みくださり、ありがとうございました!