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15/8/9

書くことで自分メンテナンス①         時間・成績・倍率の壁が高い状況で受験を決意した娘へ あなたがお腹にいた時の私の受験体験を読んで欲しい

Image by Olia Gozha

わたし「「書くこと」は癒しであるクモ膜下出血発症後 ICUで思いつき始めたFBへの投稿と手書きメモ1年前から STORY.JPへの投稿を始める。投稿は何度か試みるが 書いている途中で思い出せなくなる!うまく使えない!などのトラブルを経て 今日こそ発信します。」

わたし「1日かけて 娘に読んでもらったら分は 消えてしまった…けれど、今日はあきらめない!!」

娘へ 夢をもってくれてありがとう。

 この数年で 上手だった習い事も私の都合でやめ、「やりたいことがない」と言うのは、私と家族が起こす問題のせい。やりたいことを見つけてほしいと あれこれ提案し嫌がっていたね。ごめんね。

 あなたの決意で、私がわたしを許すことができた。ほんとうにありがとう   





30歳妊娠4カ月、今度こそ国公立大学に合格したい!!

現役時代のチャレンジでかなわなかった夢に別手段で 再チャレンジした時のこと 



「社会人入試で合格??まず無理です。宝くじをあてるようなもんですよ!」との予備校スタッフの言葉に、「私は受かるな!」と本気で思っちゃった。理由は 妊婦は宝くじに当たるというジンクス。

「もし、合格したら授業料は半額返金します!!」で入学手続き終了する。成績判定は もちろん合格圏外 論外の状況、しかも小論文20点以下だったような・・・

 それが6月初旬ごろ、受験は8月末 出産は12月(だったと記憶しているが定かでない)

1日8時間×週5日×10週間(息子の保育園の都合)±子どもの病気とお昼寝時間でおよそ400時間

当時は隣りに住むおじいちゃんのいびきが聞こえる、風呂なし・クーラーなしの長屋くらし、妊娠中のためかやたらといろんな虫に刺される状況だった。






★時間がないことはメリット

 これは今気付いたことですが、時間がないので「失敗したらどうしよう?」と考える余裕もない。

1、「前日までの自分とは違う勉強する自分の姿」を日常生活に取り入れる。

具体的な方法としては

①予備校自習室で勉強する → 周りからの雰囲気を受け取る、日常生活との遮断

②できる問題から数をこなす→ 最初の一歩はハードル下げどんどん前へ進めることで勢いをつける

以上2点を、習慣になるまでやり続ける。スタートダッシュできたので、案外早く身に着いた。

 

2、勉強できない時間を減らす

 子どもの世話の時間、家事の時間で、見たこと・感じたことにすぐに独り言にする、メモをする、携帯メールで下書きにする。目で見たもの・触ってみたもの・聞いてみたもの・味わってみたものに関心を持ち感想を持つ。 具体的には、触った感触を「ふわふわしていて、まるで眞綿のような感触。これに包まれたら眠ってしまいそうなくらいここちが良い」「まるで雲のようにふわふわしていて・・・」などと感想を考える。息子と過ごすときは 実況中継「ごはんをスプーンで・・すくっている。次は口へ持っていく・・こぼした」などと 考える習慣を身につけようとしていたことである。(これは保育士時代に連絡ノートを書くために開発した能力でこの時にはすでに習慣になっていた。)

 

3.計画は立てない・目標は設定しない・時間制限のみかける

 計画を立てる時間がまずなかったので、「とりあえずやれること時間内でやれるだけ」今思えば、目標も立てたら評価する→落ち込むか焦る のマイナス思考ルートを作らず澄んだことは大きい。やるだけ達成感を感じるので、どんどん自己暗示にかかる「私はできる!」「絶対出来る!」「私ができないはずがない!」これも考える時間がなかったので、きっと潜在意識でそう感じていたのだろう。


★とことん自分を信じる

 合格倍率は関係ない!私にとっては、1/2 の確率

 さらに勉強することによりこの確率を上げることができる!

 2か月前より 合格確率は絶対にあがっている「できないことはない」と信じ切り 受験当日に挑んだ。入試問題は 決まった答えがない小論文。つまり、問題に食いつけば点数は取れる。なんでもいいとにかく書く、字数を埋める、やりきるんだ!という気力だけは失わない!!


★妊婦であったメリット

 受験校を決めるとき、妊娠を告げると「対応できない」と言われたこともあり、妊婦であることはわからないように洋服も工夫した。

 しかし、受験前に「出生前診断(羊水穿刺)」を受けたこと。診断を勧めた担当医に会いたくなかったので、直近の定期健診を受けていない。といった不安要素があったため、事前相談で、「別室受験も可能」とのことで決めた受験であったため、受験2日目の下痢、腹痛は軽いが、トイレが気にかかり別室受験へ。お陰で 足を椅子の上おいて、空調も調整してもらい快適に過ごせた。しかも、助産師の教員がついて、試験監督の社会学教授は奥さんが自宅出産されたことを話してくださり緊張が和らいだ。 終了後、保健室で服装の調整をしお茶まで頂き、他の受験生は駅まで一緒に帰ってくれた。感謝の思いで終わった私の受験であった。この時は 満足感で満たされていた。

 後日、その時の受験生たちのメールで、私の合格を知る(2日目に空席になった受験番号を記憶してくれていたようだ)彼女たちは、私の出産前後に他府県公立大合格の知らせをくれた。

 

 その後 予備校で授業料半額返金を受け、小論文の提出課題がまとめて返される。すべてが90点以上、その結果は当然だ。英語の受講は無駄だったかとも思ったが、スタートダッシュのきっかけになったので今回は無駄はなかったと思った。



 ★国公立大学合格は10年越しの目標だった

 きょうだいの出来が悪い方だった私は、「No.2」を目指すことで自己実現を果たしてきた。おとうとが、地域1番の高校に行くだろうから、私は、地域2番の高校を目指した。次は大学受験、おとうとは、国立理系だから、私は、国公立文系を目指すも、結果は無残に散った。

 その過去を引きずったまま10年。努力はすべて報われるわけではないことも学んだが、社会人としての経験・結婚・出産を経てもくすぶり続ける思い。結婚資金の名目の貯金、準備は出来ていた。


★チャンスは、ピンチの後に来る

 出産後、夫の単身赴任→会社倒産 私も無職になり→休暇でハワイ旅行→妊娠→つわり→医師との考え方の相違→保健師・助産師に相談→看護職への興味→社会人看護学生の友人に相談→予備校相談(そのうちに夫は再就職)どこまでがピンチだったかはわからないが、目標は定まった。



★応援したくなる人になる 

 受験当日だけでなく 受験を決意した時から家族・ご近所・親戚・友人と多くの方に助けてもらっていた。周囲の助けなしにできないことは承知だったので、目標を宣言し協力をお願いした。

 私が必死になるほど、周りも応援してくれる、プラス言葉をかけてくれる。

 私も、必死になっている人は応援したくなる、応援する自分も同じ目標に向かえるような疑似体験にもなるし、その人の「役に立てる」という満足感が得られる。

 努力する姿を周りに見てもらうことは、大変有効な手段だと思う。


★「駄目かもしれない」と思えるのは 努力の成果

 受験勉強をやりつくす時間の余裕があれば、そう思えたかもしれないと思う。大学の4年間で何度か思った「ここまでかも・・・」は、やりつくした末の不安感。

 このときに『脱学習』の域に達し始める。頭ではなく、反射神経で判断する感覚になれる転換期だと私は思っている。

 

★覚えたことを忘れにくくする

 昨日覚えたはずをなのに…思いださえないことは何度も経験する。しかし、昨日とは違い 思い出せるスピードは確実に違うはず。明日になれば違いは明らかとなる。

 覚えるのでなく、脳内の引き出しにしまう。何度もその引き出しを出し入れするうちに どこの引き出しに何が入っているか整理ができた時、自分のものとなる。また、一つのことばかり集中して覚えるのではなく、何かと関連させることで、同時に複数のことが整理できる。

  

                        本日はこのあたりで・・・



 つたない投稿を読んで下さり本当にありがとうございました。

  書くこと、思い出すことは今の自分には大変な作業ですが、こうして場があることに感謝し

  丸2日間の家事も忘れるほど夢中にさせてくれた家族に感謝します。

 書くこと・語ることの持つ癒し効果を考えて行きたいと思っています。

  ありがとうございました。




















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