会社は福岡市のど真ん中の天神の中心
右は西通り、左は親不孝通りというどっちも飲み屋さんが多かった
結局北九州の実家からJRと地下鉄で通勤1時間半
JRでは行きも帰りもぐーぐー寝てたら、夜寝ようとしても眠れない
てっとり早く効率よく寝るには、、、酒、、、ウォッカ(度数高い)
だから23時くらいからウォッカをキでぐいぐい飲んで寝てた
酒と男などは20歳から特に法律関係は厳しく制限されてた
うちの家系は飲兵衛で、法事とかただの飲み会だったからあたしは
「お前は絶対呑み助なるから」ってもちろん飲ませてはもらえなかった
正月のおとそ少しくらいだったが、確かにあたしはお酒強かった
で、あの頃の会社は研修期間があった、確か半年だったかな
同期は10人、ITオタクの先輩から研修受けてた
で、その中のちょっと年上の人の家が近くだったから、そこで飲み始めた
実はその人のこと少し好きだったんだけど、東京から帰ってきた人でその時点で妹さんの紹介で笑顔の可愛い看護師さんと付き合ってたので残念wってね
で、他の人から惚れられた。2個上の大卒
けっこーアプローチされて、まいっかで付き合ったら家が遠かったけど会社の近くのボロアパートでいきなり一人暮らししだして、借りたんだから毎日来るようにって、あたしは皆と飲むほうが楽しかったし、合わなかったんで3ヶ月で別れを切り出したら、気がくるったような行動をするようになった
待ち伏せ、暴力、押しかけ、軟禁、小レイプ状態、狂言ともいえないレベルの狂言自殺未遂、首は3回絞められた
同じ会社だし、誰にも相談できずに逆らえもできずに4ヶ月目くらいか?ようやく向こうの親が出てきて収束(遅いっつの)
向こうの親は三菱電機のお偉いさん、ぼっちゃんは会社を辞めていった
この時散々懲りた私は自分が好きになった相手としか付き合うまいと思った
で、研修が終わりお仕事
もちろん喋れない人なので、だまってもくもく仕事
そして、もう一人いっこ上の女性が同期でいじわるくてなんでか闘士むき出しだった
仕事終わって飲み会誘われてたけど「近藤さんいくなら、あたし行きませんっ」って言われて行けなかった
で、なんかで飲み会に参加して酔っ払ったら性格が180度変わることが判明
喋るは笑うは天然だったので皆が面白がるわ
「お前暗くて陰気やと思ってたけど、おもろいやないか」で、そっかお酒飲めばいいんだ!
で、呑み助の多い会社だったもので週3~5のお誘いを絶対断らずに行って飲んで、いじられてた
ど天然の常識なしだったんで、いつも笑っていじられてた(いい意味で)
そのうち、タバコも覚え、家に帰らないことが多くなり母親が烈火のごとく怒りまくる
「あんた、働いたら好きなことしていいって言ったの覚えてる?絶対覚えとけよって言ったよ
それを胸にずーっと我慢しまくってきたんだけど」
「言ってないし、言ったとしても限度があるやろ!!!」
水風船で例えると、小さな穴で水を逃がしておけば爆発しない
母親は穴など全くあけてない、その風船はどうなるか、、、爆発するよね当たり前
で、もう自分が叩けないのはわかってる、そしたら兄貴を使ってきた。兄貴に当たりまくったらしい
そして、家に帰ると兄貴から「お前がそーやからオレが当たられるんじゃー」とぼこ殴りにされ続けた
あたしは初めて本気で「殴るならいくらでも殴れや!どれだけ我慢してきたと思ってんじゃ、
いつまで縛り付ける気なんじゃ、もう前には戻らんわ」といいながら殴られてたらどれくらいかは忘れたがついに母親と兄貴は諦めた
でも独り暮らしさせたらどうなるかわからんから絶対費用は出さんと実家は出れなかった
ITだったけど給料少なかった上に飲むから貯金できなかったし
反抗した、母親の手から離れたと思ってた
でもそれは間違いで、この時点でもうすでに思考停止の依存人間になってたのよね
反抗じゃない、寂しさ・楽しさから依存先が会社の人に変わっただけのことだった
もちろんこの時点でそんなことにも気づいてない
どっぷり依存・思考停止人間にとっくになっていたのだ