失意と向き合うキッカケとなる小さな公園のベンチ
小さな変化をもたらすキッカケはいつもすぐそばにある編!
初めての方はこちらからどうぞ↓
時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険①
皆さん約10万viewsありがとうございます!!
そして、お時間頂きましてありがとうございます。
そんな素敵な皆さんには「医学の常識を超えて、一般的な常識を超えて」をお伝えできたらいいなと思います。
書きたいけど、まだめっちゃ先。
ゆっくり行くけど、また応援してくださいね~。
僕は命の危機からの挫折から立ち上がって結果を出しました。
そして、新しく会社を作る準備が順調に進み、仲間のメンバーが去っていきました。
それで心の底から落胆していました。
気持ちの切り替えができない。
辛い時はかわいそうな奴でしょ?みたいなふりをするんですよね。
その割には誰とも連絡を取らなかったんですけど。笑
対人ではなくて、自分自身に対してだったんですね。
かわいそうだから行動をしない自分を正当化しました。
そんな経験ありますか?
当時26歳の経験不足な僕には耐えられない重圧でした。
(自分にも問題があるのに、全然わかっていない時もありました。混乱していたんです。無力で無知だったかつてのそんな自分を許してください。)
だから、ゲームで現実逃避していたのです。
心の声「いやいや、まだまだ後遺症的にやるべきこといっぱいあるやん!何休んでるん自分?目は?頭は?言葉は?対人関係は?」
ナガノノブタカ「は、はぁ・・・仰る通り(やる気でねー)」
そんな引きこもり生活も1か月くらい経ちました。
食生活が乱れていました。。
ナルトみたいなカップラーメンが生活続いてたんです。
もうちょっと水気のある食べ物を欲しいと体が欲しました笑
身体っていうのは素直なんですね。
食べ物がなくなり、スーパーに行くため外に出ました。
途中に人目を避けられる建物に囲まれたすごく小さなボロボロの公園があります。
ふらふらっとそこに入り、ボロボロのベンチに腰掛けました。
どれくらいボロボロかというと、セアカゴケグモいるんじゃないか?
って心配するくらい隙間のあるボロボロのベンチ。
そこに座り、夏の終わりの太陽を浴びながら
長野亘孝「あぁいつまで今の生活が続くんだろう?もし今の生活が続いたらどうなっちゃうんだろう?」
再び危機感を募らせます。
カンカン照りの太陽が白い肌を刺していきます。
目をつぶっても眩しい。
やっぱり電気とは違うんですね。
沁みるなー。って当時は感じていました。
ながののぶたか「どうして自分だけ・・・」
暗いな!笑
でも、当時は人を信用できなくなっていたので、誰にも話をせずに胸にしまいこんでいました。
モヤモヤのムズムズは腹の底で渦巻いていました。
太陽の光を浴びて、ボケッとしていました。
こうやって外に出るのも悪くないかもしれない。
そう太陽を浴びるために外に出るようになるきっかけがボロボロのベンチでした。
え?何が言いたいかって?
太陽を浴びるって偉大なことだよってこと。
・暗い部屋の中で暗い気持ちで過ごす
・明るい外で暗い気持ちで過ごす
ってパターンを変えられていると思いませんか?
いつものパターンを変えると出会う人、触れるもの、匂い・・・全てが変わりますよね?
太陽を浴びるために外に出るという行動ができたって一歩前進できたと思いません?笑
小さな一歩に意味があると思いませんか?笑
この時はあまり太陽を浴びることに価値を感じていませんでした。
でも、結果的には「生活のパターンを変える」ことは良かったのです。
もし、上手くいかないなー。どうしたらいいんだ?
なんて思っていたら、小さくパターンを変えてみてくださいね。
結果、変わります。
もし、いい結果なら続けましょう。
もし、悪い結果ならまた別のパターンを作りましょう。
行動からしか、成果は生まれません。
あ、今だから言えるんですけどね。笑
今回も多くの皆様に支えられて書けました!
いつもありがとうございます。
何かしらの思うところがあって読んで頂いているという認識で大丈夫ですか?
素晴らしく素晴らしい!

次を書くモチベーションになるようナルトの影分身ボンッの出現数くらい読んでよかったボタンクリック☆詳しく聞きたい☆コメントお待ちしております。久しぶりでもジャンプでしめますよ笑
