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15/7/7

3年間弁当当番だった落ちこぼれ営業マンがニューヨークへ一人旅し、帰国後1年半で営業のリーダーに昇進した話

Image by Olia Gozha

お前、また弁当の個数間違えてるぞ!

そんなのも出来ないのか!


っす、すいません!!!!



すいません、すいません、すいません。



この言葉を言うのは何度目か。

こんな言葉から土曜の朝は始まってしまう。


しかも土曜は休日なのに当たり前の休日出勤である。

世に言うブラック企業出身だ。


大学卒業後就職したこの会社もすでに3年。

後輩もすぐ辞める環境だったので、私はいつまでたっても下っ端。

下っ端の役割といえば、「弁当当番」なのである。


全営業30人。

みんな頼むものもバラバラで、その上細かい注文が多い。

結果、混乱し挙句の果てに弁当が1つ足りないなんて事がしばしばあった。


足りない1つの弁当はもちろん自分の分をあげた。


「弁当もろくにとれねえのかお前は」


私は弁当をあげる代わりに、いつもこの言葉をもらう。


いつかこの会社を辞めてやる。

でも、自分にはどんな取り柄があるのだろう。

結局、転職しても。。


不安ばかりの毎日だった。


その不安もそのはず。

私の成績は全営業30人中30位が定位置だった。

良くて一度だけ25位になった事がある。


成績はふるわないのだが、顧客からのクレームは人一倍多かった。

一度だけ、お客さんが会社に怒鳴り込んできた事もある。


「なんであいつが担当なの!どうなってんの!呼んできて!」


「す、すいません。。」

「連絡もろくによこさないで何やってんの!?あんた担当者でしょ!?」

「以後、気をつけます。。本当に申し訳ございません。。」

「◯月◯日までに会社に届けるって言ったよね?なんで守れなかったの!?」

「はい。。」

「はいじゃ分かんねよ、もうお前じゃ話なんないから担当変えて!!」

「上司呼んできます。。」


お客さんとの連絡と打ち合わせを怠った結果がこれである。


しかも、相手は温厚そうな女性。。

優しそうな彼女を声高らかに怒らせたのは、ほかでもない自分だ。


その後、上司と上司のさらに上司と平謝りだった。

結局、担当は変えられた。


会社にお客さんが乗り込んできたのは過去はじめてだと言う。


伝説のダメ男


この日から、これが影の通り名になった。

営業のくせに上手くお客さんとの会話ができない。

提案もできない。

何を求めてるかなんてさっぱり分からない。

全てはお客さんの言いなり。


恐かった。

営業するのが恐かった。


でも、なんで営業を選んだんだろう??

こんなにつらい毎日なのに??


ふと思い出した。

お客さんから信頼されて、多くの事を任される営業マンがかっこいいなと思っていたからだ。

バリバリ働く営業マン。

そんなのはカッコイイに決まっている。

でも、自分とじゃ天と地の差じゃないか。

一生そんなの無理だ。


そんな中、丸3年が経ったある日。

私は決意した。

当時、25歳の私は会社に辞表を提出した。


ののしる社員はいなかったがダメなやつほど可愛いのか。

上司は心配してくれた。


自分で言うにもなんだが可愛がられるタイプなので、最後にはがんばれと背中を押してくれた人もいる。

でも、気付いていた。


「こいつはどこに行ってもしょせん何も出来ない。弁当すらまともに注文できないんだから」


間違いなくこう思っていたんだ彼らは。

こいつらを見返す。陰ながらフツフツと思いが溢れ出す。


アッと驚かせる事をやってやろう。


海外へ一人で行ってやる。



もともと、海外に興味があったわけではない。

だが、何かしらの証を作りたかった自分はなぜかアメリカを選択した。


初海外、それも一人でニューヨークへ行ったら面白いかもしれない。

思い切って語学学校に通ってホームステイもしてみよう。

なんの根拠もなく、ただ面白そうという思いだけで決断した。


2012年10月。初めて、日本から旅立った。

13時間かけて到着したニューヨークはまさに衝撃の連続だった。


空港に着いた途端、周りはみんな外人だらけだ。

銃をむき出しにこちらを睨んでくる黒人の警備員もいた。

初日には、白タクシーというぼったくりの名物にも遭った。


ホームステイ先についても、まさかの黒人夫婦のお出迎えだ。

今でこそ、抵抗はないが当時の私からしたら十分すぎるほど

黒人は怖い。


疲れはてた私だったがそれでも初日の夜は眠れずにいた。

なんてったって、夜中に荒いだ声で叫ぶ人たちの声やパトカーのサイレンの音が鳴り止まない。


帰りたい。


でも、英語もロクに話せないまま来てしまったし、そもそも夜中に外に出れるはずがない。

ここはニューヨーク。来なければよかった。。


まだ残り20日もある。。どうしよう。。


しかし、予想に反して私のこころは一転した。

翌朝には別世界が広がっていた。


映画の世界に迷い込んだのだ



見たことも芸術的な建物。

行き交う大勢の人。

街じゅう張り巡らされたディスプレイ。

まさに最先端という表現がぴったりのクレイジーな街。


そう、世界最先端の街に私は今立っているのだ。


その日から、伝説のニューヨークウォーキングは始まった。


ニューヨークのマンハッタンは歩いて回れる大きさだ。

そこまで極端に広い地域ではない。

隅々まで歩いた。


途中、道に迷い黒人ににらまれ

「Hey Chiken(ビビり野郎)」

と話しかけられた。


無視するのが精一杯だった。

怖い経験もたくさんした。

だけど。


とにかく、毎日夢中だった。

テレビの中にあった世界遺産が今すべて目の前にあるんだ。

見るものすべてが新鮮だった。


ウォール街をさっそうと歩くビジネスマン。

思い思いの時間を過ごすセントラルパーク。

ゴスペルの音が鳴り響くハーレム。

本場のベースボール。

本場のミュージカル。

世界中から人が集まっている語学学校。


私はやる気に満ち溢れていた。


次は、ここに行こう。

次は、これをやろう。

時間がいくらあっても足りない。


気持ちはどんどん前を向いた。



学ぶ事も、見る事も、体験する事も楽しくて楽しくて。

治安なんて気にもならないくらいたくさんの経験をした。


気がついたら、ニューヨークの隅々を歩ききってしまっていた


足にマメを作りながら。

思った。


未知の領域を知るってこんなにも楽しいことなんだ。

ここで自分が生粋の冒険家という事に気付いてしまった。


人と同じ事をやらずに、これまで飛び込んでなかった世界に飛び込むのがこんなにも楽しいなんて。


こうして、「冒険家」の生活がスタートした。



冒険家として初めての行動は「転職」である。

一発逆転狙いの転職は上手くいった。


私は、転職をし一部上場企業の営業マンになった。

飲食店をサポートするプロのコンサルティング集団の一員になったのだ。


誰もが知っている会社で鼻が高かった。

それでも最初の数ヶ月は仕事に追われ、結果も伴わなかった。


だが、あたたかいお客さんと上司のおかげでメキメキ成長した。


旅の経験がかなり生かされた。


思考が変わっていたんだ。

とにかく、考えるよりやってみよう。

失敗という文字はないのだから。


どんなに怖い事があってもニューヨークほどの緊張感はない。


失敗して銃に撃たれる事はない。

どうなっても平気さ。


前向きな挑戦者になった私はそれからも人一倍行動した。

毎日終電近くまで仕事を続けた。

とにかく失敗もした。

当時は失敗と思っていなかったが今思い返せば笑えない事も多々あった。

クレームも多かった。


だけど、本気でお客さん向き合えたからこそ信頼もしてもらえた。


結果、お客さんが増えてきた。

新規開拓ばかりのハードな営業だったがお客さんが増えて行くのは喜ばしい事だった。


過去なんども訪問してNGだったところと何件も取引を結ぶ事も出来た。


まだ見ない扉をどんどん開いていく感じはニューヨーク探検と一緒だった。


無我夢中だったんだ。


プライベートでもお客さんの為に、ライバル店を視察した。

とことん分析した結果を持っていった。

お客さんにすごく喜んでもらえた。


自分が提案する事に対して基本的にお客さんは喜んでくれた。

中には、100%自分だけを頼ってくれるお客さんも居た。

提案した事を全て即実行してくれるお客さんも居た。


新しい物を仕入れたり、メニュー価格を見直したり。

ビールメーカーですら自分の意見を参考にして変えてくれた時は、正直驚きだった。


その甲斐あって、そのお店は今は人気のあるお店になっている。


お客さんからの信頼でさらに営業成績は上がっていった。


ついに、年間を通して110%の達成率で年間達成をしてしまった。

そして、2014年4月に上司から声がかかった。


「リーダー職に推薦されたのでぜひ、頑張って欲しい。期待してるぞ。」


思ってもみない事だった。


通常、入社1年半での昇進はかなり早いと言われた。


周りはだいたい早くて入社2年。だいたいは入社3年〜5年で昇進する。

自分が。。まさか。。


「不安ですが頑張ります」


この一言で決まった。

昇進が早すぎると思い、なぜ自分が対象になったかを上司に聞いた。


すると上司は

「お前ならやれると思って推薦した。どんどん新しい事に挑戦していく姿勢は今後後輩にも示していってくれ。」

と言ってくれた。


嬉しい事に、そのまた上司の所長も強く推薦してくれたらしい。

しかも、その上の厳しい事で有名なグループ長もすぐにOKを出してくれたらしい。

後に、こっぴどくグループ長にいろいろ言われるのだが笑


シンデレラストーリーみたいな話があるんだなと思った。

何も出来ない3年間弁当当番だったダメ男が、こんなにすぐ駆け上がる事ができるなんて。


内心、嬉しくて仕方なかった。

それは、自分の能力が認められたのが嬉しかったからではない。


いつも自分を頼ってくれたお客さんに、

「お客さんのおかげで最速昇進できました!ありがとうございます!」

と胸をはって言えるようになるからだ。


実際、お客さんはすごく喜んでくれた。


さすがだな、見込んだ通りだなど誇りに思ってくれるお客さんも居てすごく嬉しかった。


毎日夜遅くまで仕事し、お客さんに少しでも良い提案をしようと資料づくりを頑張ったからか。

実際にお客さんのお店に訪問して、ストレートにお店の良い所・悪い所をぶつけて真剣に向き合ったからか。


いずれにせよ、本気でお客さんと向き合う事が出来たから結果はついてきたのだと思う。


そういえば弁当当番をしていた頃は、真剣に向き合うという事がなかった。

どちらかというと、社内でうまく立ち回ろうとしていた。


結果、それすら出来なかったのだが。


全ては私を前向きに変えてくれて「旅」のおかげだ。


旅は私に、未知の領域に挑戦する事の楽しさを教えてくれた。


真剣に、自分の人生ややりたい事とも向き合う事が出来た。


旅は、自分の人生を大きく広げてくれる不思議な力を持っている。


今後の人生にどんな形で役に立つかわからないけど必ず何か大切なものをもたらしてくれると信じている。



最後になるが、自分自身さらに強く生きていく為に最近ある一つの選択をした。

伝える側になる選択だ。


今は、旅の楽しさを伝える活動と自分自身で稼ぐ力を身につけて自由に旅に出る

「自由なバックパッカー」育成に取り組んでいる。


これまでやってこなかったセミナー活動や相談がメインだが今まさに新しい道が広がっている感じだ。


これは、本当に旅を経験していなければできなかった事だ。


どこでどう繋がるかわからない不思議にワクワクしている。


これからも私は、歩き続けたい。


そして、今これを見ている読者さんといずれどこか

世界のどこかで会える日を楽しみにしたい。



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