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15/6/29

「今を一生懸命に生きる」それもボランティア

Image by Olia Gozha

「ボランティア」について

現在カンボジアで事業を進めていますが、カンボジアには大人、子どもを含め多くのホームレスがいます。政府からの支援は無く、東南アジア諸国が急速な経済発展を進める中でその問題は深刻化しているように感じます。

これまで、東日本大震災のボランティアを含め様々なボランティアをしてきました。その中で私の軸となっていることがあります。学生時代に行き着いた考えで、以下は2008年のこと。


自分のやっている活動はボランティアと言えるのだろうか

当時、私はよくそんなことを考えていた。学生時代の私は子どもたちを相手に活動することが多かった。メディアを通じて知ったことだけれど、世界には誰かに手を借りないと生きていくことさえ困難な人がいる。子どもからお年寄りまで大勢の人がいる。でも、その現状を見たことはなかった。

ある番組で大学教授が「ボランティア」についてこう発言していた。

「誰かが手を差し伸べないと生活ができなかったり、命を落としてしまう。そのような人たちに手を差し伸べる活動がボランティア」

たしかにそうだと思った。それこそ、私が初めて「ボランティア」という言葉を聞いた時に想像したものだったから。しかし、私が当時やっていた活動といえば子どもたちと一緒に自然の中でキャンプしたり、子どもたちにスポーツの楽しさ、スポーツを通じて団体行動を学んでもらうなどの活動ばかりで、人に活動を説明する時はひとまとめに「ボランティアをしている」と話していた。

その時は、人のためになにかをすることが、ボランティアだと考えていたから。


たしかに、もし自分がその活動をしなくても子ども達は生きていくことができる。その活動を中断することで、命の危険が訪れるわけでもない。その活動が行われなくても、何も変わらない。つまり先の教授の考え方だと、自分のやっている活動は「ボランティア」ではなくなってしまう。



何が正しい「ボランティア」なのか

カナダに住む友人とボランティアについて話をした。彼女は、日本にいるときも、高齢者、障がい者施設に行きボランティアをしていた。ボランティアをするため、インドにある「マザーテレサの家」で活動もしていた。日本とは違い恵まれない人が多いインド。「死を待つ人の家」というものまである。いわゆる本気のボランティアをしていた。

当時の私も、本当は世間一般の人が認識しているような本気のボランティアがしたかった。でも、その場にいるのが辛くできなかった。

その感情は差別ではない。自分を見れば五体満足で恵まれているのはずなのに、一生懸命生きてない自分の姿を叩きつけられるような気がした。老人ホームのボランティアに行き、鏡で自分自身を見せられたような気持ちになった。

だから「元気に走り回る子ども達を相手に活動を続けていたのかもしれない」そう思った。

人のために何かしたい。

子ども達に些細なことでもいいからきっかけを与えること 

子ども達を少しでもいい方向へと向けること

何か大切なものを気づかせてあげること

それが「自分のボランティア」なんだと考えていた。


死を待つ人の家で活動するシスターの言葉

ボランティアの話を続けているなかで、彼女からこんな言葉を聞いた。

「インドで会ったシスターが言っていたことなんだけど

 『世界には生きていたくても生きられない人がたくさんいる。みんな生きることを一生懸命に願っている。でも、恵まれた国の人達は生きていけることが幸せだと気づいていない。それは仕方のないことかもしれない。けれど、その人達のためにも一生懸命に生きて欲しい。今を大切にして、一生懸命生きること。それが、その人達へのボランティアになる』 

と。


この言葉を聞いたとき、私は胸につかえていたものがすっと消え安心した。自分は、今を一生懸命生きていた。これまで続けていたものが世間一般のボランティアと呼べなくても「人のためにできること」「今自分にできること」を一生懸命やっていた。それが、きっと「ボランティア」になっているのだと感じました。


その考えを持った3年後、私は災害ボランティアとして被災地での生活を始めました。現場では日本だけではなく世界中から「災害ボランティア」に来た方とお会いしました。多くの方は災害ボランティアがはじめてのボランティアで「現地に行くこともできず申し訳ない」「震災後、募金しかできなった」などと話される方が大勢いらっしゃいましたが、世の中には様々な形のボランティアがあり「今を一生懸命に生きる」それもきっと大切なボランティアであると私は思います。







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