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両親の奇妙な恋の話、及び私が少女漫画を放り投げた理由

Image by Olia Gozha

りぼんくらいは、買って読んでいた。小学校3年生くらいの歳だろうか。でも、それは「ちびまるこちゃん」が読みたかっただけで、恋愛どうこう、というのは、さっぱりわかっちゃいなかった。キスだとかが遠い世界だと思っていたのもある。活写されたところで「絵だしな」と思う、醒めた子どもだったのも災いした。本の虫という可愛くない、ともすれば苛められそうな子どもだった、というのもあって、本当に恋心なんていうのは、もうちょっとイメージとして遠いものとして固定されていてもいた。ちゃんとした、どうしようもない恋愛感情というのは、全く湧きはしなかった。少なくとも、少女漫画沙汰のは。

何よりも、クラスメイトに繰り返しなんやかや言われたり、相談されるこの言葉で、私は限界に達した。少女漫画の、タウンページよりはやや攻撃力に劣る分厚さのそれを床に叩き付けたい心持ちだった。

「好きになる奴が軒並みいちいちアイドルみたいな顔してる必要あるのか?」くらいならまだ、まだ許そう。夢見るお年頃だもの、うん。そう。「夢見るやつ」。大前提。


「先生好きになっちゃったんだけど、そんなの絶対あり得ないよね!でも好きなの。なおちゃん、どう思う?」夢見るお年頃。少女の幻想。

私はばりんばりんに砕け散りました。複雑でした。

何故ならば、私は教師と生徒の間に生まれた子どもだからです。

おまけに、私の下には、4人も兄弟姉妹がいます。

まあ私の生まれたての頃は母も24、5才。詮無いことですが父にモノ投げたり泣いたりしてケンカもしてましたし、父の咆哮ったら怖いっちゃない(対不良スキルかなにか?)。けれども、これが、笑っちゃうくらいのおしどり夫婦…というよりむしろ、中学生の私が頭を抱えていた時と同じ情熱で「ラブラブ」なのです。


ノーコメント。ノーコメント。そして友達が「そんなの絶対無理だもん!」と泣き崩れる度に、私は自分のアイデンティティをじわじわと失う心地がしたのです。


子ども時代、私はずっと本を読んで過ごした。ただ通り一遍のものを端から読んでいただけなので、つまらない読書歴ではあるけれど。変、といったらキルケゴールは高校時分愉しく読めたくらいで、出版の意図はきらいだが、かまちの最期に関してのみ言えば、あれは最高にロックだと思っているし、読む価値はあった。それと、中学時代から(暗いものを求めていたわけでもないのに)なぜだか中也が好きだった。おおかみが井戸の中の星を眺めているような、そんな詩が初めてだったのをよく覚えている。それで先生が、随分嬉しそうにしたことも。

図書室じゅうの本から「何でもいいので」詩集を選んで、一篇の詩から想起される絵を描く、という、中学生がやるには厄介極まりない課題であった。

世界観を広げる意図はわかる。義務教育でやっとかなければ、その機会がないかもしれない、という懸念もわかる。が、これはやれない人はやれないし、やりたくない人はやれないで正解だとも、大人になっては思うのだ。こういった領域について『伸ばすこと』という観点で語るならば、それは、成長して「本でも読もうか」と、強制のない状態で触れてほしいと、願って止まない。読書感想文なんかは、書き方を教えるところから始めるべきだと、私は思う。五感を取り入れて書きなさい、というが、それも成長してさらに読書経験を積めばわかるのだが…酷だ。確かにそういう文章は、読んでいて快く、瑞々しいものだ。けれど子どもの感性の瑞々しさがそこに直結すると考えるのは浅慮も甚だしい。感じるところはあるかもしれないが、それは本筋と全然違うところにある手触りであり、匂いだ。また、それをうまく描写できるかといえば、その困難さがわからぬ国語教師ではあるまい。無理やりねじ込んでしまっては、国語教師すら、それも情熱のある人こそ危険に追い込まれる…。

私は絵というものが、美術が得意な人なら差し替えられるかもしれない感覚、いや、致命的なそういった「感覚音痴」であり、苦手だった。自由に描け。その言葉には困惑させられる。描きたいものなんて、なんにもないのだ。図工のときは、つくりたいものはわんさとあった。けれど、絵に関しては駄目だった。グラデーションを表現したり、石膏で掌をつくったり、技術的な教えで目を輝かせる出来事があったのは、そのくらいだ。

《だいいちに、美術や音楽等の教師というのは、そのジャンルの好み如何に関わらず、変わり者(これは褒め言葉だ)というよりか、創作に於いて確立した内部世界を個々に持つが故に「我関せず」が余りに多すぎる。特に、一人でやっていこうと思えば、やって行けてしまうジャンルの専攻ならば。そりゃあ、目の前で骨が折れるほどのリンチが繰り広げられようが、涼しい顔で、自らの作品世界を繰り広げていられたことでしょう。(音も関係ないのだものね)。あれには全く呆れた。》

国語教師の気持ちが、分かり過ぎてしまうのだ。何も恋人に国語教師を持った訳ではない。私は前述のことを除けば基本的に「先生というものは、いい人だ」と、中学時代まで信じて生きて来たし、また、その信頼に先生も応えてくれた。

とりわけて、国語教師というものの気持ちは、私には接し方でわかったのだ。

その先生は、中也の詩のその絵に、長い長いコメントと、大きな花丸をくれた。上記の通り、自由に——否、好きなものを愉しく描けたからなのか。それだけじゃない。先生が、その詩の選択へ、評価如何に関わらず同感を寄せていること、実はその年の苛めやリンチの騒動には、私も、謂わんや若きその先生も巻き込まれていたのだ。私は中也が、文学において、太宰と並ぶ御用達であることなど知りもしなかった——先生は、きっと、その萌芽や「やっぱり中也に何かを感じてしまったか」だとか、感じてしまうところがあったのだろう。

彼女は華奢で小さくて、まだ赴任したばかりの、若いひとだった。綺麗だったが、迫力がない。それなのに正義感がつよいひとだった。それで、舐められてしまったのだろう。辛い目にあっていた。みんなそれを見過ごしていたのが、私は気分が悪くて仕方がなかった。正義感で言っているのではない。

「私はそんな光景を見たくない」し「それを放置して延々見せられるのが深いで堪らない」上「好んでいる人物に危害を加えられるのが不愉快」「何故ならば、私の好みというのが否定されている、というのは不快そのもの。そうして、好んでいる人物が排斥された場所は私にとって居心地が良くない。だから戦う」自明の理だ。格好つけではなく、衝動のままに言えばそうなる。不利益を被ったりもするが、それは覚悟の上。それを正義や大衆の為、と、こうした苛めの場で踏ん張って言える人には私は本当に賛辞を贈りたくなる。


彼女は、弱い人の味方だった。私はあるときの課題で「多対一の苛めの構図」というのに興味をもって、それを文に纏めるという試みをした。自由作文か、人権作文かなにか、もっと直裁に言えば、苛めのテーマで書くものだったのだろう。素朴な疑問というよりも、ごく当り前のことでしかないだろう。ただ、社会心理学、というものへの意識、認識、気付きの切欠には、きっとなった。あなたとわたし、それで社会。わたしともっと大勢、それも社会。劣勢をひっくり返すには、さてどうしよう。そんなオチだった。多勢に無勢とは卑怯なり、を書いているうちに達した文だった。彼女がそれを取り上げて、読んでくれた時、むしろ私は感謝した。教室中「どうせこれ苛められっこのアイツが書いたんだぜ」とひそひそざわざわ言っていたが、私は気にならなかった。いや、当然嫌悪はあったけど(私は「負けずに行ってやって勝利しました」論を手放しに褒めるつもりはない。それ以外は負け犬とでも言いたいような、彼ら彼女らもまた、同様の蔑みの目線を持つのならば、あなた方のその体験は、なるほど「忍耐」という点に於いては立派だが、顧みることを欠くに甚だしい。自らの「原因に目を背けて逃走し」「柔軟な観点を持つことを一切認めない」その姿勢は、あなた方の嫌った、その元凶である者と同じではないか、と。

私も偉いことは言えない。ただ通い続けることも偉いが、結果として命を守る為に「行かない」という選択を下し貫くのも、それはキツい上にエネルギーがいるのだということが、あまりにも周知されていなさすぎる。「行かない」間に、内申のぶんだけ勉強できる環境や将来のことを見極めた環境への進学方針を着々と進め、結果、よっぽど立派になった子だって、私はたくさん知っている。はなっからそっちを選び、校外で質の良い学習を受けてきた彼ら彼女らの選択は賢かったな、と、思い知らされるのは最早常識だ。それでもどうしようもない奴輩は、やっぱり失敗する。まったくおんなじだ。


大人になって、仕事して、美しい背中を見せてくれた、認めてくれた。

そんな大人って、滅多にいやしない。それこそ、人を成長させる大人の姿だろう。私はそうなれたか、自信はない。けれど、最期までには道標になりたい。

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