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15/6/6

時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険②

Image by Olia Gozha

脳の障害ヤバいよ!ヤバいよ!

それが早い退院を決めた理由でした。


脳の特殊な検査をする西宮の病院で最悪の評価を受けて、生きる希望がありませんでした。

一般的にはこの検査は2時間もかからないそうです。


でも、この時一つ一つの検査が僕にとっての当時の体感ですよ。

それは、まるで50mの全力ダッシュを繰り返しているようなそんな疲労感でした。

つらすぎでした。

だから、連続で検査できず、中断とやる!を繰り返しました。


例えば、こういった検査などがありました。

1、話を聞いて、聞いた内容を覚えているか言い返す。

2、図形を見て、どこにどんな形があったか当てる。

3、間違い探しをする。

など等。

そういった色んな種類の単純な作業ををこなして脳力を計るものでした。


昼から夕方になっていました。

僕は4時間以上かかったようです。


検査の結果。

切れた神経は戻らないし、これから先も劇的に良くなることはないそうです。

一生悪いままかもしれませんし、少しずつ良くなる可能性もあるらしいです。


ただ、誰にもどうなるのかわからないらしいのです。。

薬、手術・・・そういったことができません。


回復するには自分の努力しかない。

ひとつの真実は「プラスに考えても、少しずつしか回復しないことです。」

マイナスだと・・・

未来に光が見えません。どれくらい、何をすれば、どうなるという見通しもありません。

帰り際に、僕は父に電話をかけたそうです。

長野亘孝「ケンサ・・・だめ、やった。」

「・・・そうか。」

父が言うには、僕は今にも自殺しそうな弱弱しい声だったそうです。

医者が言うには中途半端にIQがあったそうで、その落ち込みぶりに心から落胆しました。


タクシーの窓からの景色がモノクロに見えて、音がなくなり、体の中がカラッポで乾きました。

何も考えられません。


そして、一週間その事実を受け入れられませんでした。


168時間どう過ごしたのか、正直覚えていません。

ただ、ジャンプすら読む元気を持てなかったと思います。

無味無臭で五感すら奪われた気がしました。

きつい現実は拷問ですね。


今思えば、「病は気から」と言います。

もちろん、今回自分にとって最悪の事態です。

ナガノノブタカ「・・・もうだめなんだ」

ただ、知らないうちに一人で自分にそう言い聞かせていたはずです。

だから、もっとダメなように感じたのではないかと思います。


自分の捉え方次第で精神的に事態を悪化させるんです。

できれば、気持ちだけはいい方向を向きたいものです。


なんてね、今だからかけるんですけど。笑

皆様はこの教訓を積極的に活用してくださいね!


当時は、この負の連鎖に気付くことができませんでした。

ただ、ナゼかお寺に足が向かいました。

耐えきれなくなり、お寺の方に話を聞いてもらいに行きました。

どうしていいのかわからず混乱し、景色がモノクロのままでした。

長野亘孝「・・・あー、アタマ、ジコで、、駄目になった。・・・かいふく、する、わからない、、どういきる、できる?」

お寺の小僧さん「ほにゃほにゃ」

正直カラッポの体に声は響かず、言葉も理解できませんでした。


ただ、「僕を一生懸命励まそうとしてくれているんだなぁ」

それだけわかりました。


そして、体が仏像の方に向かい、そこでひたすら泣いていました。

何時間か過ごさせてもらい、子供のように泣きました。

完全に気持ちを切り替えることはできませんでした。

ただ、切り替えなければいけない!と思うようになりました。


僕は即断即決、気持ちの切り替えは早い方です。

(メニューは開いたら5秒くらいで決めます。服も25秒以内に決まります。笑)


ただ、今回は何とか気持ちが切り替えられるようになるまで、時間がかかりました。

正直混乱していました。

何が良くて、どれくらいやればどうなる見通しがありません。

病院で過ごすと甘えが出ます。

だから・・・

ナガノノブタカ「もう・・・退院、します。」

担当の先生「え!? まだ2カ月も経ってませんよ?まだ安静にしていないといけません。ゆっくり休んでしてください。」

ナガノノブタカ「コクリ。はやくて、んーいつ退院いいです?」

担当の先生「(話しのわかんねぇ奴だ)とにかく腰の骨が固まるまでジッとしていてください。」

あなたならどうしますか?

もしこの状況なら、あなたは何を選びますか?


そうして、毎日リハビリ(文字を覚える、松葉杖で歩く)をしては倒れるように寝ていました。

最終的に、2カ月ちょっとの3月末で退院しました。


大学院に戻ろうとしました


1年も病院生活したら脳が回復できん。

もっと精神的に追い込まないといかん!


とにかく脳を鍛えるんや!という意気込みでした。


問題は言葉を理解できず、操れなくなっていたこと

体力がなかったこと、起きていられなかったこと

・読み書きできなくなり、話しもまともにできませんでした。

・それに体力もなくなり、毎日15時間以上眠ってしまいます。(1日の活動時間6時間くらい。)

・さらに、気圧の変化でベッドから起き上がれれない日もありました。(寝たきりでした。)


(気圧の変化は雨が降る前のことを指しています。だから、梅雨は相性悪いです。)


それを考慮し、僕の担当教授である経営戦略の三品和弘教授は聞いてくれました。

三品教授「・・・「卒業は1年延ばすのかな?」」

長野亘孝「・・・・・ことし、トツギョウ・・・します」

言葉がダメになったので当然のことです。

もう少しリハビリをしてから戻れば良いと先生は考えられたのでしょう。


しかし、僕は焦っていました!


「ことし・・・トツギョウ・・・します」

心が「決断」しました!


当時の僕にはあり得ない選択であった1年で卒業論文を書くということを。

(言葉がわからないため)

この難題を必ず成し遂げると「決断」しました!

絶対諦めん!


なぜなら、脳の神経を活性化させるため、脳に最大の負荷をかけないといけないからです。

切れた神経は使えないから、別の神経を使うため脳に刺激を与える必要がありました。


退院してから一人になったので、日常生活は苦労しました。

松葉杖生活ですが、日用品の持ち運び、炊事洗濯など一人でこなさないといけません。


「食べ物ってこんなに重いんや・・・生産者の気持ちがry」

そんなカッコ良いこと考えられなかったですよ!笑

おもてぇえええええええええええ!!

1日に使える時間が少ないのに!!

こんな雑務で気力、体力が大きく減ってしまう。

それから、1人になると考えるんです。


「これからどう生きていけばいいのか?」

「もう生きていてもしょうがないんじゃないか?」

「いっそのこと死んだ方が楽だったんじゃないか。」

過去の健康体だった自分と比較して、悲しみに暮れていました。

ナガノノブタカ「流れてくる刺身のパックにタンポポを乗せる仕事すら1時間もできんくなって、、どう生きたらいいんや?」

何ができる?


答えは見つかりませんでした。

将来の不安、今日できることが何もない。

未来に希望が1ミリも持てませんでした。

長野亘孝「「ことし・・・トツギョウ・・・します」」


病院生活で甘えない選択をしました!

だから、僕はこの言葉と共に心で「決断」した修士論文を書く目の前のことだけに集中しました。

楽しげなお誘いや誘惑を断ち切りました。

ケータイは1週間に1回しか充電しないくらい使いませんでした。

活動時間の全てを「修士論文」に捧げる心構えになりました。


決断が新しい人生を作る!

未来像を決めて、過去の習慣を断つ。それが決断です。

今日の生き方が変われば、未来も変えられる!


次回、覚悟は決まった!

修士論文を期間までに提出できるのか?


ナガノノブタカ「ここまで読んで頂きまして、本当にありがとうございました!前回分を読んでよかったボタンや感想を頂けてすごく嬉しかったです!皆様のおかげで今回書くことができました。ありがとうございます!!」


もし続きを読みたいと思ってもらえたなら、「読んでよかった」ボタンや「感想」を頂けると嬉しいです!モチベーションを維持して続きを書いていけます!宜しくお願い致します。


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