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運動部でバリバリやってた人は、ひょっとしたら根性論が身に染み付いているのかもしれない。自分は、今それを剥がしている最中。
頑張るのは素晴らしい。頑張ることでしか経験出来ないことが世の中多々ある。でも、目標が曖昧な中での努力って一体何なんだろうか。
職場で、僕は多くの人のモチベーションを上げる事が必要なんだけど、一年程前から徐々に職場の雰囲気が良くなってきた。理由は、『全ての業務は、とある目標の為』を前面に打ち出してきたことによる。当たり前だが、目的がないと仕事は面白くない。目的がはっきりしていれば、そこにたどり着く為の色々な方法が思い浮かぶ。物事に臨機応変に対応する事さえも可能になる。
危険なのは、頑張る事自体が目標になっている事。人間、思っている事、願っている事がなんだかんだ実現してしまうので、頑張る事自体を目標にしている人は頑張ることは実現出来てしまう。目標には、頑張ることではなく、自分が本当に達成したいことを設定すべき。
まあ、目標を達成する為には、時に頑張らないといけないこともあるだろう。でも、少し体力を温存しておくことも必要。常に100%だと、まあいづれ鬱状態か、それに近いものになる、と思われる。
先日、またもや軽い鬱状態にはまってしまった。飛ばさなくて良いのに飛ばした結果がこれだ。しんどくなる前に休憩した方が、結局生産性も上がる。そんな単純なことも、ある程度経験を積まないと分からない人間だが、おそらくこれは根性論が原因だ。
もう、この考え方とはオサラバしよう。
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