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これから病気になる(かもしれない)全ての30代へ。大病をしたら、新たにこんな世界が見えてきたよっていう◯のこと。

Image by Olia Gozha

みなさんこんにちは!3◯歳、東京在住の会社員さおりです。私は今まで、大半の同世代のみなさん同様に持病も無く、たいして大きな病気もしたことが無く、それなりに忙しく充実した日々を過ごしてました。ある日突然、そんな私の人生にするっと滑り込んで来た、「乳がん」という病。

告知されたのは去年11月、とある◯曜日の午後。新宿のA病院でした。先生は、特に何の前置きも無く、なめらかな口調で淡々とこう言った。

先生「悪性ですね。あ、ガンってことです。」

その二週間前にぶっとい鍼を刺して細胞の断片をとる検査をしていたので、完全に良性だと思っていた(先生もそう言っていた)私には、100%完全に「寝耳に水」でした。その後先生からは手術や治療方針の説明やら、超音波で腫瘍の大きさの計測やらがあったようなんだが、気が動転してぼーっとしていたのか、後半の詳しい記憶がほとんど無いです。

帰り道、南口のサザンテラスで夫に電話をかけた。

さて、そこから足掛け約半年。RPGゲームのような綱渡りな毎日を乗り切って、いま何とか生きてます。我ながらよくやったよ。

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1.は死なないよ

「」っていうとさ、死ぬ前にかかる病気っていうイメージしかないよね。少なくとも私は、そういう偏見を持ってた。「死に至る病」と思われている。


2.医療は、「見えないものに命を預ける」というギャンブル

さまざまな病院をかけずり回って、セカンドオピニオン含め迷走した結果、たどり着いた港区のB病院。主治医は幸い本当に信頼できる、私と同世代の女医先生。

病気になってから、ずっともやもやしていたことがある。自分の中で起きていることなのに、他人事のように実体がないというか、中心が抜け落ちているような感覚。

西洋医学は、悪いところをぜんぶ取ってあげる。取り切れば直るから大丈夫、と私に言う。東洋医学は、あなたの中に眠る免疫力と回復力を快復させてあげる。快復すれば元気になるから大丈夫、と私に言う。

どちらも確からしいし、信じたいしすがりたくなる。だけど、ここでポイントはどちらも私の肉眼には実体が見えない、ということで。

「自分の身体」というブラックボックスをかたや、まな板の上にのせられて切り刻まれ、かたや、針を刺されたり揉まれたり温められたりする。でも「分かり切らない」ことを承知の上で、ギャンブルのような不確実性の中に身をゆだねて、信じて生きて行く道しか(医療者でない)私には、無い。

この、ある種のあきらめを伴う楽観主義というか、、、誰もが通る道だから、これって意外と現代の人間存在の、普遍的なことかもしれないなーと。

東洋医学のメンタリティを西洋医学にアジャストする


3.病気を退治するって、頑張るだけ無駄

一生付き合って行くもの。本当に自分じゃ完治したかなんて、最短でも五年十年、極端に言えば死ぬまで、分かんないかもしれない。

下痢やら熱やらと、平時なら全くなんて事の無いような体調不良も、どうしたって、いちいち病気と関連づけて考えてしまう。再発の兆候なんじゃないかとびくびくして、毎度眠れない夜を過ごすんだよ。

病気だけじゃないよね。事故も、災害も、離婚も、生死の問題も。人生の一大事と言えるレベルのものに遭った人なら少なからず、同様に感じるはず。

すべてきれいさっぱり忘れて「無かったことにする」って、やっぱり、無理なんですわ。

これ余談ですが、高校のとき、家族を普通じゃない死に方でなくしたことがあります。一見片がついた、清算できたかに思えた悔いや哀しみや不安の感情が、くりかえし、くりかえし、何らかの外的内的刺激をきっかけに立ち戻ってくる。

とうぜんその強さや鮮烈さは年々薄れてはいくけれども。

でも、そういうもんなんだと思う。それでいいんだとも思う。

生きる限りは、「ままならないこと」が厳然とそこにあって。

でも、そのどす黒い膿のかたまりみたいなものを、無理に目をつぶるでも排斥するでもポジティブ転換するでもなく、ただ「ああー、あるよねー、仕方ない」と評価もせず、白黒もつけず淡々と生きるっていうのが、人生の豊かさや色合いなんじゃないかって。そう思うわ。

黒いものを排斥しよう、退治しよう、光だけを見ようとするなら、人生ですごく大事なものがまるっと抜け落ちる気がする。


4.「絶対病気になる食事と食べ方」とか自慢げにシェアしてる人、もう死んでいいよ

「絶対病気になる食事と食べ方」、「」「3年以内に必ず離婚するカップルの会話あるある」とかさ。挙げ始めたらきりがないけど。こうした言い分がどんなに暴力的で、弱った人を無自覚に傷つけるか。かく言う私も、たまたまFacebookで目にしては気になって、ついつい読んでは、小ぶりな胸を痛めてましたよ。

しかしながら、これって冷静に例えれば、「世界中の原発が無くなれば、立ちどころに世界が平和になる」と主張する人が、社会派なように見せかけて実際は単に自己顕示したいだけ(イデオロギー押し付けたいだけ)な気がするってことと、いわんや同列。

「◯◯したから病気になった」「◯◯が原因で離婚した」「◯◯さえなければ死なずに済んだ」…。

この原因⇒結果一対一の因果の考え方、私の今回の少ない経験からすれば、やっぱり詭弁ですよ。だったらさ、世の中でマクロビオティックの大家や玄米菜食のカリスマ料理家って言われてる人たち、結構な確率で早世してる訳ですよ。しかもガンや重大な病気で。一体これらの事実は、どう説明つくんだろうね。

仮に原因があったんだとしても、それが事実として一要因だったとしても、唯一絶対の一つなんてことはあり得ない。物事の因果って、そんなに単純でも、浅いものでもないって思います。

かつ、元々私がそういう考え方をしがちな人間だったので言えることだけど、因果的なメンタルの縛りが強いほど、いつか、自分で自分の首さえ締めることになることを気づいていない。

気を使うべきだけど、ストイックになりすぎないこと。ある程度の毒、不摂生、ジャンキーなものも必要悪かも。ふだんストイックにより過ぎている部分があると、いざというとき痛い目にあうのね。


5.その肉体って実は、相当賢い

苦痛の素が複数あるときは、まず最大苦痛とのバトルが最優先。私がのたうち回って闘っているあいだ、二つ目以降の反乱はギリギリまで押さえ込まれ、何とか一段落した直後にむくむくと戻ってくる経験をした。医学的なことは分かんないけど、脳の機能なのかな。一気に来ると発狂しちゃうからなんだろうか?


6.人生で大切にすべき人やものごとは、そんなに多くない

現代人、忙しいよね。私も相当忙しかった、というか忙しぶって居たんです、倒れる前は。というか、全てを並行でうまくやれるほどの時間は、実際にそこまでないことを実感する。


1.みんな死ぬのに、みんな生きてる

この当然すぎるけど、平時には見えにくい事実に自覚的になる。かつ「生きてるだけで丸儲け」を、真剣に実感する。命あるうちはちゃんと生きようと思ったよ。


6.世の中を見る目が、いくらかは優しくなる

友だち「なんだ、思ってたより全然元気そうじゃん?安心したよー。」

って。退院後に会う人、会う人、みんな口を揃えてそう言ってくれます。いやね、気を使ってくれてるんだろうし、そりゃあ、「病的だね...」って言われるより100万倍うれしいんだけどさ。


とはいえ、こちとら、二度の手術で身体はガタガタ、体力は最低まで落ちてるから、電車の優先席とかでも、いちいち座りたくなっちゃう位な訳で。調子はどう?って聞かれて、すなおに「元気!』と返せないというか、複雑な気持ちになることがある。

で、今さらながら、ていうか何で今までこんなことに気づかなかったんだろうって恥ずかしくなったこと。外面から分からず、優先席で譲られることがなくても、実際は何かしらを抱えて生きてる人がたくさんいるんだなって。


9.なんだかんだ、保険は無いよりあった方がいいかも

おせっかい極まり無いけど、私を教訓にみんな見直してよ。


10.必ず終わる

どんなに辛くても必ず終わりがある。このまま一生このままだったらどうしよう?と考えることも、ぜったい終わる。


11.そして忘れる

喉元過ぎたとたん、あれほど死ぬかと思ったことを、忘れられる。あっさりと。


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などなど。次号につづくー、たぶん。




何かをしているときは、その物事に集中する

人生そのものも否定したくなる、すべてリセット、そんな極端な

ここ数日過去のことばかり回想していた。

もし顔があんなじゃなかったら、もしもっと真剣に自分の未来進路を考えていたら、もしもっとちゃんと勉強していたら。

人生にイフはないのに。一度きりだから、楽しいのに。

先生にカウンセリングされたのかー。わたしは考えすぎている、

未来の不安を先取りしすぎて自分の首を絞めている、

元どおりの生活に戻ったら 、これは消えて無くなって行く不安なのかな。

一生続くかもしれないという、不安に、取り憑かれている。そもそも変わらないものなんか、ないのだ。悪いことだけじゃない。いいこと素敵なことだって、同じだ、

一緒続くなんてありえないんだから、そこへの不安は、まったく有り得ない、



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